河畔に咲く鮮花  

第一章 七輪の花 1:淫らな刺の罠 春と唯〜咎の檻編


 戴冠式が近付くにつれ、雪は織田本家に呼び戻されると、あまりの忙しさに学園にも来れなくなる日が続く。
 会えない日々が続き、蘭の心は凍えるように吹きすさぶ。
 蘭の周りには秀樹もとももいない。多分、戴冠式の準備とやらで付きっきりなのであろう。
 義鷹も傍にいないが、その代わりに蘭には見張りがついていた。
 義鷹があの事件から心配して、家の者を学園の見送りに付けてくれている。
 下慮如きに大袈裟だと断ったが、義鷹は首を縦に振ってくれなかった。
 もう、雪も傍にいないから心配はないと思うのだが。
 そう肩を落として、蘭はいつもの通りに下校をする。
 門には義鷹が付けてくれた者が車を回して待っていてくれていた。
 だが、正門を出るところで銀にぽんぽんと後ろから肩を叩かれる。
「なぁ、蘭。今日はちょっと付き合ってくれよ。行きたいところがあってさ」
 珍しく銀が下校の後に遊びに行こうと誘ってくれる。気分が塞ぎこみ気味だった蘭はそれを受けることにした。
 学園で御三家と一緒にいる蘭に話しかけてくれるのは、編入した当時から銀だけである。
 その銀から誘われては、蘭も断るわけにもいかない。いつも気さくに近寄って来てくれる銀に、少しでも報いたいと蘭は肩を組まれながら歩いて行った。
「でも、静かに行きたいから、悪いけどこっちから出よう」
 銀から回された手の力にぐっと力が込められると蘭は、無理やり方向転換させられて、正門ではなく裏門から出ることになる。
 お付きの人に連絡したかった蘭は義鷹から渡された携帯電話を取り出した。
「蘭、携帯打つの遅いから俺が打ってやる」
 銀がさっと蘭の手から携帯を取り上げると、勝手に打ち始めて送信してしまった。
 友達と遊びに行くから今日は一人で帰ります、などと簡単な連絡だ。
 肩を抱いたまままた銀はのっしのっしと歩いて行った。
 蘭は覇者や貴族が住んでいる地域のことは知らない。
 下慮である為に、このような高級な地域では住めない。もちろん今まで用事もなかったし、来ることもなかった。
 銀に連れられ、やって来たのは大きな邸宅が立ち並ぶ閑静な住宅地。
 こんなところに何の用事だろうと蘭は首を傾げるが、銀は気にしていないようでさっさと歩いていった。
 角を曲がり、また角を曲がり――何度も曲がられて、土地勘もない蘭にはもうここがどこだか分からなかった。
 銀はやっと目的の場所で止まり、ある建物に入って行く。
 縦長で五階ほどのデザインビル。
 こんなところになにしに来たのか分からず、それでも蘭はついて行った。
 最上階までエレベーターで行くと、目の前にはすぐにドアがあった。
 銀は手慣れた手つきで、鍵を開けて蘭に手招きをしてくる。
 蘭は少し怖いながらも銀の後を追った。
 靴を履いたまま室内へ案内されると、目の前にもう一つドアがある。二重のドアになっているようで、さすがは覇者街はセキュリティが厳重だと蘭は感心してしまう。銀はまたそこのドアの鍵を開けて、蘭を促した。
 蘭は呼ばれるまま室内へ入ると、銀はさっと後ろに回り、ドンッと背中を押してきた。
 蘭は押されるがまま部屋へ入り、反射的に銀の方に振り向いた。
「ごめんな……蘭……」
 銀はそう消え入りそうな声で呟き、蘭を部屋に閉じ込めたまま外から鍵を掛けた。
――カチャリ。
 無情に響く施錠の音が、やたら大きく聞こえてきて、蘭の気持ちを不安にさせる。
「銀ちゃん!」
 蘭はすぐに身を翻し、ドアノブを回すが開けることが出来ない。
 すぐ近くに指紋認証のような機械が設置されてあり、手をかざしても蘭には反応を示すことはなかった。
 内側からドアを開くのも、どうやら決められた人間にしか無理のようである。
 蘭は恐る恐る押し込められた部屋をゆっくりと見回して、辺りを用心深く観察した。殺風景だが、誰かが生活している居住区のように見える。洒落たインテリアは一切なくて、ベッドと簡易なローボード、椅子にテーブルがあるだけだ。壁も打ちっぱなしのまま灰色で塗装はされていない、まるで寝るだけの簡素な生活感のない部屋。
 その色のない寒々しい部屋に怖くなり、蘭はすぐに携帯電話を取り出そうとしたが、人の気配を感じて体を固まらせた。
 カツカツと高級そうな革靴をけだるそうに鳴らし、蘭に不安を植え付ける音が近づいてくる。
 ベッドの奥に繋がる部屋から現れた男に、蘭はごくりと喉を大きく鳴らした。
 そこには以前、学園で見たことのある、眼帯をしている男。

 ――そう、確か名前は――

「俺は伊達政春(だてまさはる)、お前が覇王の記を持っているって本当か?」
 伊達政春――伊達家の子孫で、織田家に敵意を向けている男。

 ランチの時にこの男は『雪は溶けて春が来る』――そう言った男。

 今、考えると春という自分と雪の名をかけて、これから先のことを示唆している言葉を放っていたに違いない。
 今頃それに気がつき、蘭は恐ろしくなって、一歩後ずさった。
「おい、(ゆい)も出て来い」
(はる)、でかい声を出さなくても聞こえてる」
 春が呼んだ男は、同じくランチの時に一緒にいた男だ。
 そう、秀樹が確か真田唯直(さなだただなお)と呼んでいた。
 春には愛称で(ゆい)と呼ばれているらしいが、近くで見れば身長も高く逞しい体をしていた。
 髪を肩までざっくんばらんに伸ばし、一見見ただけでは悪そうな男には見えない。目は鋭いが、どちらかというと爽やかで、精悍な顔立ちだ。
 春も眼帯を片目にしているが、もう片方の覗く目は流麗で、怪しい美貌を湛えている。
 ランチの時にも思ったが、この二人は他の覇者達とは違う圧倒的な威圧感を醸し出していた。
 覇者の中でも名家のこの二人が何の用だろうか。蘭は身に覚えがなくて、携帯電話を胸の前に抱き、体を震わせた。
「携帯をよこせ」
 春が蘭から携帯電話を無理やり奪い取り、なにかを丹念に調べている。携帯電話を見ていた春はふっと笑い、次には床に叩きつけて無情にも足で踏み潰した。
 あまりにもそれが一瞬のことで、蘭は呆気に取られてしまう。
 灰色の床には無残にも、義鷹から与えられた携帯電話の部品の残骸が散らかっている。
「おい、なにも壊すことないだろ、春」
 唯も驚いたのか、携帯電話を壊した春の行動をたしなめた。
「ご丁寧に、発信機をつけていたものでな。居場所が分かると困るだろ」
 春は淡々と言ってのべて、なおもぐりぐりと足で携帯を踏みつけた。
「へぇ、やっぱりそこまでするって、大事なのかな」
 唯は腕組みをしながら、のんびりと春と喋る。この緊迫した空気の中で、和やかに話す春と唯にますます不信感が募った。
 胸が不安でざわめき、蘭は荒い呼吸を自然に吐き出していた。
「さぁな、それは調べりゃ分かる」
 春が面倒くさそうに鼻で笑うと、蘭に視線を戻した。
「な、なにをする気」
 蘭は精一杯の虚勢を張って、強がって見せる。春はにやりと不敵に笑っては、けだるそうにかつかつと靴を鳴らして歩み寄ってきた。
「なぁに、ちょっと調べ物。なければすぐに返してやる」
「な、なにを調べるって?」
 蘭は冷たく笑う春から距離を取ろうと後ずさった。
「お前が覇王の記を持っているか調べるんだ。蝶姫からそう聞いた」
 唯がそう言うと春はチッと舌打ちをして、じろりと睨みつける。
「お前、馬鹿正直すぎるんだ。誰も蝶姫の名前を出さなくていいだろ」
 春に叱られて、唯は今分かったようにあっと大きな手で口を塞いだ。だが蘭はそんなやり取りもどうでもいい。蝶姫という名前を聞いて、心が激しくざわめく。
 最近は大人しくしていたと思ったのに、まだ蘭を気にくわないのだろうか。
 分からない――後、もう少しすれば雪は永遠に蝶姫の物になるのに。
 それでも雪があまりに蘭にべったりしていたから、許せなかったのだろうか。
 蝶姫になにを吹聴されたか分からなかったが、ここで蘭の足止めをさせる気なのだろう。
 戴冠式はもう目前なのだから、最後の邪魔をしにきたわけだ。
「待って、蝶姫がなにを言ったか分からないけど、お望みのものは持っていない。騙されているんだ、あなた達は」
 後ずさりながら蘭はそう言って説得を試みる。春と唯はお互いに顔を見合わせて、またゆっくりと蘭に視線を戻した。
「まぁ、俺達も本気にしているわけじゃない。だけど少しでも可能性があれば調べてみるのもいいだろ? ちょっとお前の体をさ」
 蘭はえっと目を丸くして、驚愕の表情を顔に刻んだ。蝶姫の目的は春達に蘭が女ということを知らせる為なのかも知れない。
 学園では男装をしている為に、他の者は蘭のことを男と思っている。
 蘭が女と知っているのは、雪ととも、そして蘭を裏で調べていた蝶子だけだ。
 春達が望んでいるものは絶対に蘭は持っていない。
 男であれば、すぐに解放してくれるはずだが、もしも蘭が女だと分かったら――?
 覇者や貴族は横取りや略奪、逢瀬に、夜這いは当り前だと噂では聞いたことがある。
 雪がずっと傍に置いていた蘭が女だと知られると、どうなってしまうかは手に取るように分かった。
 身を買われたあの商売人の男のように下慮の女を傷つける。目の前にいる男達も同じで、散々欲望のまま遊んでは、ぼろぼろにして、雪の前に放り出し、嘲笑うのだ。
 もう自分に雪の傍にいる小姓の役割がないと言っても無駄だろう。
 そんなことは信じずに、嬲るに違いがなかった。
 そのような想像は、野望と獣めいたぎらぎらした春の瞳を見て感じ取れた。恐怖に支配され、自然に蘭は自分の肩を両手で抱き締めた。
 戴冠式が過ぎるまで、この密室という逃れられない檻の中で、この男達にいいようにされてしまう。それを考えただけでぞっと背筋が凍りついた。
 蝶姫はそれを見込んで、蘭を罠にかけた。
 そこまでしなくても、雪はもうあなたのものなのに――。
 蘭は悔しくて、悲しくて、ここから逃れたいと身を翻した。
「くっくっ、逃げられないぜ」
 春は楽しそうに喉の奥を鳴らして笑うと、のんびりとした足取りで蘭に迫る。蘭はその手から逃れようと部屋の中を走り回った。
「唯っ、そっちに行ったぞ」
 狩りを楽しむように春は声を掛けて、蘭をじりじりと追い詰める。
 背が高く逞しい体型の唯に眼前から抱きとめられ、蘭は体を暴れさせた。
「俺の力から逃れようなんて無理だ」 
 じたばたする蘭を抱きとめ、唯はぎゅうっと自分の腕に力を入れて、蘭の華奢な体を締めあげた。
「くっ!」
 唯に力任せに抱きとめられて、みしりと背骨が鳴り、蘭の呼吸は一瞬だが飛んだ。







 





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