河畔に咲く鮮花  

第一章 六輪の花 2:その綺麗な微笑みの奥に 義鷹の闇編


 ――深夜。

 義鷹は扇子を開いたり、閉じたりと珍しく苛立った様子で真正面に座る女を見た。
 要人などの会合によく使用される、格式の高い高級な料亭屋。
 その一室で、人知れず密会が行われる。
 義鷹はいつもこの料亭で密かな会合をしたり、覇者の接待に使用したりしていた。
 いつもなら義鷹の思惑通りに相手は動き、上手く転がされていく。それを愚かだと思う反面、同時に愛らしさまで湧き上がり、会合も接待も悪くはないと――そう楽しみにしている自分もいた。
 だが、今日だけは相手がいくら権力者の覇者の娘といえども、心の中は氷の如く冷えて、何一つ楽しさを見いだせないでいた。
 人の心を操り、ゲームのように興じる義鷹の気持ちは、暗く沈みきっている。
 その悪の感情を義鷹に与える女を扇子を煽ぐ振りをして密かに見つめた。
 いくら、高級で格式の高い料亭でもこの女の強い香水が臭くて、品位を落としている。

――なんて下品な女なんだ

 義鷹は心の中で悪態を吐いて、自分が美しいと信じて疑わない傲岸(ごうがん)な姫・蝶子を感情のない瞳で見据えた。
「……なんでまだ雪様はあの下慮の元へ通っているの? もう戴冠式も近いというのに」
 義鷹の光を失った視線にも気がつかず、蝶子は苛々した様子で、長い巻髪を指先で弄ぶ。その仕草が美しくなまめかしいと思っているのか、ご丁寧に小首まで傾げている。
 他の男なら一発で、その妖艶さと際立つ美しい美貌に虜になるのだろうが、義鷹はそうではない。
 顔の造りの一つ一つが大きく、艶やかな瞳も潤った肉感的な唇も自身が持つ華やかなオーラも人を惹きつける。
 張り出した大きな胸を誇張する、襟元が大きく開いた服を着ていても義鷹には心を動かされるものは一つもない。
 色気があるとも思わないし、純然に男として抱きたいとも、雄の機能が昂ることはなかった。
 裏では蝶子は貴族の美男子をはべらせて、小姓として買い占め、夜の伽の相手をさせていることは知っている。
 それでも、美男と名高い義鷹に手を出さないのは雪を幼い頃からお守りしている貴族のトップだと分かっているからだ。
 あまりに近い場所で手を出すのは、自分の首を絞めると知っている――そこまでは馬鹿ではないらしい。
 そこは褒めてやるべきだが――それでも義鷹は、この女にぞんざいに言い放った。
「雪様が下虜の娘の元へ通われている理由……それはあなた様のせいでは?」
 義鷹は失礼にあたいすると分かっていたが、わざとそう言って蝶子の高い鼻をへし折ってやった。この女の無謀な計画で、蘭が危ない目に遭った。


 本当はこの手で――その喉を砕き潰してやりたいぐらいだが。


 義鷹は静かな殺意を胸の内に沈ませ、厚顔無恥な蝶子の顔を眺める。
「……そうね。確かに仕損じたわ。あのゴミのような下慮を殺せなかった」
 低く発せられる怒りを孕んだ蝶子の真意を聞き、義鷹は目を大きく剥く。

――バチンッ 

 義鷹の持つ扇子が激しい音を出して、空気を切り裂くように閉じられた。あまりの大きな音に蝶子は目を丸くして、ゆるりと義鷹に首をねじる。
「……私はただ雪様と蘭を離す……そうお聞きして、力を貸したのですが」
 あくまで義鷹は綺麗な笑みを絶やさなかった。


 それが演技だと誰にも見破られたことのない――虚飾に彩られた綺麗な――とてつもなく綺麗な微笑み。


 感情を完璧に隠した心の奥は、自分の肌をもひりつかせるような殺意の炎が燃えている。それを蝶子は知らずに、形のいい眉をしかめて、薄く紅を引いた唇を醜く歪ませた。
「見解の違いですわ。目的は同じでしょう。離れれば何でもいいのですわ。下虜を殺しても罪には問われない。この世界はそういいう風に成り立っていますもの」
 何一つ罪がないという素振りで蝶子は、今度は艶やかな微笑みを唇に浮かべる。
 その邪悪な笑みを見つめ、義鷹の表情から一瞬、偽で作られた微笑が剥がれ落ちそうになった。それでも何とか平静を保ち、義鷹は気品溢れるたおやかな笑みを張り付かせる。
「――そのせいで、大事な雪様は怪我をなされた。あの刺客の計画者があなた様とは知らずにね。本末転倒もいいところです。あの一件で、あの二人は固い絆で結ばれてしまった」
 そこまで言って、ふっと義鷹は失笑する。蘭が襲われたあの夜のことはただの脅しでよかったのだ。蘭を少しだけ脅して怖い目にあわせる。
 雪の傍にいるから危険が生じると思わせ、それであの二人が一時でも離れればいい。
 傍若無人で、自分勝手に物事を進める雪にはたくさん敵がいすぎるのだ。これまでも何度も刺客に狙われ、命を落としそうになっているのをこの目で見ている。
 蘭を弱みに敵対する周りの覇者が密かに動いているのを義鷹は知っていた。
 だから義鷹は蝶子のくだらない計画にわざと乗ってやった。
 蝶子も雪と蘭の間柄をよく思っていないのを、あの二人を一緒にいさせてはいけないことを、女の勘で感じ取っているようだった。
 少しだけ脅すという条件で、わざわざ厳しいセキュリティを隙間だらけにした。それだけで良かったのだ。それなのにこの女の無知さと、感情的な命令だけで、計画は大きく狂う。
蘭を殺されそうになった怒りが、ふつふつと湧き起こり胸の内がじりじりと炙られる。 


――だが、これはこれで良かったのかも知れない。


 そこで、ふと義鷹は思いなおす。
 絆を深めれば、雪は必ず行動を起こすだろう。そうすれば思い描いたレールの上を走っていってくれる。
 義鷹が興じる、パワーゲームの駒達はもう盤上の上で思惑通りに動いていた。

 だがまだ足りない――キングを取るにはまだまだだ。

 ここで気を抜いては、長年かけた計画が脆くも崩れ去っていくだろう。
 蝶子も所詮、義鷹の手の内で踊らされている盤上の駒だ。
 自らをクィーンと名乗るであろうが、義鷹にとっては蝶子など歩兵(ポーン)的要素でしかない。
 そう、一番に斥候させて消されていく――たったそれだけの役割を与えている。
 ただ王手(チェックメイト)をかけるのに、この女も必要な悪として使ってやっているだけだ。
 けれども、駒には感情がある。いくら義鷹が上手く動かそうとしても、意思の力は時に予測も出来ない道を走っていく。
 それは十分に分かっていたはずなのに――。
 それでももうこの女のくだらない感傷で邪魔はされたくはない――そう義鷹は笑う瞳の奥で底知れぬ怒りと狂気を刻んだ。
「まさか私の指示とでも雪様に言う気じゃないわよね? 貴族の分際で覇者に逆らおうとでも思えば、いかにあなたでも――」
「まさか言う気はありませんよ。その計画を聞いてあの日、屋敷に入れるよう手引きしたのは私なのですから」
 蝶子のくだらない言い訳を聞きたくなくて、義鷹はわざと遮る。それを聞いて蝶子は安堵の笑みを浮かべると、ほっと胸を撫で下ろした。
「ですが、私はもう協力は致しません、いいですね。蝶姫様。あなた様も戴冠式までもう少しなのですから、大人しくしていることです」
 そう釘を押すと、分かっていると口だけで蝶子は返事をした。
 その嘘をすぐに見破り、義鷹の胸はざわめく。
 そのような表面的な嘘で、この義鷹を騙せたと思うのか。覇者の娘として何不自由なく暮らしてきたわがままな姫――。
 闇を多く見てきた義鷹にとっては、それはくだらないと思えるほど簡単に見抜ける嘘。
――これ以上、蘭に危険が及ぶことがあれば、この女でさえもこの手にかける。
 その自慢の美しい顔を二度と見られないほど切り刻んでやるのも――艶やかな瞳が空を仰げないようにえぐり取ってやるのもいい――
 覇者の、名家の娘であろうと蘭を傷つける者はなんぴとたりとも許すことは出来ない。
 義鷹の蘭に対する執着にも似た想いは、奈落の煉獄よりも燃え盛り、晴れ渡る空をも闇色に焦がし尽くせる自信があった。
 灰色に錆び付いた義鷹の世界では蘭だけが、鮮やかな色を放つ最も高貴な、何にもかけがえのない美しい花なのだから。
 この権力だけの無慈悲な修羅の世界で、蘭だけが義鷹の闇に差し込む一条の光。
 そう、あの時から義鷹の気持ちは何も変わってなどいない。
 忘れもしない――


 今でも閉じたら瞼の裏に鮮明に浮かぶ、美しい――美しい身も心も奪われた、灼けるような落日の日のことを。


 それを摘み取ろうとするものは全てが敵――。
 義鷹は内側に孕んだ自身をも焼き尽くすような、どす黒い感情を押し隠して今だけは騙された振りをした。
 蝶子は騙せたと思ったのか、その塗りたくられた醜い唇をにやりと歪ませる。
 それを見るだけで義鷹は強烈な吐き気を催す。

 ――純粋に、気持ちが悪い。

 そんな嫌悪感を抱きながら、蝶子の動きに注意しなければともう一度念を押した。
 話は終わり、この空間にこびりついた臭い香水から逃げ出したくて、義鷹は後ろを振り向くことなくさっさと退席した。
 そして、心を癒してくれる蘭の芳しい香りを嗅ぎにいきたい――そう、義鷹は心を躍らせる。
 明け方にいつも、義鷹が寝所に忍び込み、寝ている蘭の髪を撫でていることを本人は知らない。
 今は雪が入り浸っているが、それでも義鷹はそれが止められなかった。
 一緒に寝ている蘭と雪を見て、義鷹がどれだけ激しく胸を焦がしているかも、知りはしない。
 だが、もう少し――もう少しだけの間。
 ――雪に預けてやる――
 そう義鷹は思うようにしている。全てをこの手の中に入れる為に――。





 





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