河畔に咲く鮮花  





 「姉小路君の部屋も用意してあげるよ」
 にこりと綺麗に笑い、義鷹はもうこの件については有無を言わさないと言った感じで話を断ち切った。
「では、また後で。蘭、少しの間だけどあの頃のようにのんびりと過ごそう」
 来た時と同じように優雅に去って行く義鷹を見て、公人は顔色を青くしている。
「蘭様、僕のことはやはりいいです。だから、屋敷に戻りましょう」
 公人が蘭の手に触れてきて我に返るがゆっくりと首を振った。
「大丈夫よ、公人君。心配しないで。義鷹様は酷いことはしないわ」
 蘭の知っている義鷹は決して酷い仕打ちをしてきたことはなかった。
――そう、義鷹様はいつでも優しくしてくれた
 一緒に寝るという行為がなにを示しているのかいまいち把握は出来ない。
 あれだけ屋敷にいたのに、義鷹が最後の一線を越えなかったのも事実である。
 二年も経って今更、蘭に固執する理由も分からない。
 ただの懐かしさで一緒に過ごしたい、そんな気持ちがあるのかも知れなかった。
「ですが……蘭様……僕はなぜだか嫌な予感がします……わざわざこんな条件を出すなどおかしい。それに覇王の奥方と知っていて、このようなことを言い出すとは。これは覇王に対する冒涜でもあります」 
 不安そうに瞳を揺らめかせる公人を見て蘭はもう一度にこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、心配しないで」
 そう言うと公人はようやくなにを言っても無駄だと悟ったのか肩の力を抜く。
 天候が崩れると、空には黒い雲が覆い始めた。
 気持ちを現しているようにぽつぽつと雨が降ってきて、蘭の心にも暗雲が垂れこみ始めた。
――なんだか荒れそうだわ
 蘭は薄暗くなった空を見上げて、ざわめく胸に拳を当てる。
 夜になる頃にはざあざあと雨脚が強くなり、空には雷光まで走る始末である。
 公人と義鷹と三人でご飯を食べ、風呂もいただいた。
 公人は隣の部屋を与えられ、蘭の部屋には布団が一式敷かれてある。
 この布団で義鷹と一緒に寝ると思うと、自然に胸がどきどきと高鳴り始めた。
――まさか……そんな……一緒に寝るって嘘よね
 蘭が躊躇いその場に固まったように佇む。
「さぁ、夜も遅いから寝ようか」
 義鷹はいつものように華のような笑顔で、蘭の手を取ると布団に潜り込む。
 警戒心を解くような笑みは、蘭の気持ちを自然とほだしていった。
――義鷹様はそんなお方じゃない
 蘭は安心して暖かい布団に入り、愛しんでくる義鷹の顔を見つめた。
「蘭……こうやって一緒に寝るのは初めてだね。あの頃はいつも雪様がお前と寝ていた」
――そういえば、そうだった
 雪が毎日といっていいほど蘭の側にいて、抱きしめられながら寝ていた。
 義鷹はそれを思い出しているのか蘭の髪を撫でると、慈しむ瞳で昔のことを語る。
「私はね、もう少し後に待つ予定だったが、今この手に蘭がいると思えば理性が利かないことを知ったよ」
 優しい瞳の奥が怪しく光ったかと思うと、義鷹の声音が低くなった。
――義鷹様?
 義鷹の言いざまが分からずに蘭は少し眉をひそめて見せる。
「どういう意味ですか、義鷹様?」
 義鷹の心の中が読めずに蘭は綺麗な顔を見つめた。
 バリッと雷光が煌めき、暗闇の中――義鷹の顔を浮き上がらせる。
 その瞳には昔に見たことのある獣のような情欲が浮かんでいた。
 蘭はハッと体が強張り、義鷹の顔を見つめる。
――義鷹様……その瞳は……
 まさか、義鷹が自分を抱こうとしているとは思いたくもなかった。
 雪とのことを知っている義鷹がそのような馬鹿な行為をするとは。
――そんなわけないですよね……義鷹様……
「あの……義鷹様……?」
 怖々と義鷹に呼び掛けるが反応をしてくれない。言葉よりも義鷹は蘭にキスの嵐を降り注いだ。
「……んっ……義鷹様……だ……めっ」
 義鷹は蘭から唇を放すと艶やかに笑む。
「義鷹様……どうして? 私は雪の妻なのに……」
 信じられないと蘭は声を震わせる一方で、義鷹の唇は蠱惑的な微笑みを湛えた。 
「いいことを教えてあげよう、蘭。妻になったが、まだ妻の記をお前は貰っていないのだよ?」
義鷹の紡ぎ出す言葉に蘭は理解が出来ずに眉をしかめる。
――どういうこと?
 蘭の背中にひんやりと冷たいものが走っていく。
「知らないようだね。覇王の記を与えられていないだろう? 妻になった者はその覇王の指輪を貰ってこそ正式の妻と認識される」
――覇王の記? それって……
 覇王の記と言う言葉に蘭は遠い記憶を手繰り寄せた。
 春と唯に監禁された時に聞いた名称が思い浮かぶ。
 あの時も春が覇王の記を探すと言って、蘭を調べあげた。
 そのことを語っているのだと悟り、蘭は義鷹の余裕ぶって笑っている顔を見上げた。
「それをまだ与えられていない私は……まだ正式な妻ではないってことですか?」
 喉の奥から絞り出すようにその真実を聞き出す。
「そうだよ、雪様も人が悪い。早く蘭に与えればいいものを。だから、こうして横取りされるのだ」
 バリッと空を裂くような雷鳴が轟き、稲光が部屋を一瞬にして明るくする。
 蘭を組み敷く義鷹の目はどこか焦りと悲哀を浮かばせていた。
「……義鷹様?」
 覇王の記を貰っていないという真実を目の当たりにして、蘭の心中は穏やかではない。
 だが、それ以前に義鷹がなにを考えているかがさっぱり分からなかった。
 正式な妻と言わなくても、世間体には雪の妻である。
 同じ覇者同士であれば、横取りも可能であろう。だけど、義鷹は覇者より下級の貴族。
 いくら貴族一の権力者といっても、蘭に手を出すことは自分の首を絞める行為でもある。
「……私のこと嫌いかい?」
 義鷹はふいにそうこぼすと、繊細かつしなやかな手で蘭のネックレスを手に取る。
――どうしたの、義鷹様? なんで悲しそうな顔をするの
 チェーンにかかった指輪に軽く口づけて、内側に彫られてある鷹の紋章を手でなぞった。
「義鷹様……私は嫌いなど一度も思ったことがありません……」
 蘭がそう言うと義鷹は指輪を手で弄りながら、安堵したようにふと微笑みを漏らす。
 「私もだよ蘭。お前に出会ってから片時も忘れたことはない。ずっと、ずっと見ていたんだよ」
 指輪を弄ぶ仕草を止めて、視線が蘭に流れてきた。苦しげな表情を滲ませている義鷹を見て胸が詰まりそうになる。
 悲しげな表情は何度か見たことがあるが、ここまで苦悩している姿を今までに見たことがない。
 どうして義鷹がここまで悲しみに満ちているのかが分からなかった。
「それなのに、私は愚かだ。やはりお前を手放すべきではなかった」
 義鷹の長い髪がさらりと蘭の頬を撫でる。罪の告白のように義鷹はまた蘭では理解できない内容を静かに紡ぎ出す。
「こうなることは分かっていた。だが、もう遅い。全ては終焉に向かい動き出してしまったのだ」
 義鷹はもう一度ぐっと強く指輪を握り締めて、悲しく溜息を吐きだした。
「義鷹様……」
 蘭が問おうとすると、義鷹の手からゆっくりと指輪が放される。
 しゃららと鎖の音を奏でて蘭の胸元に戻った。
「すまないね。やはり、今日は一人で寝てくれないか。私は本家に戻る」
 義鷹はばっと布団から出ると、蘭に振り返ることなく部屋を出ていく。その後ろ姿を見つめながら、蘭は胸に戻った指輪をぎゅっと握り締めた。






 





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