河畔に咲く鮮花  





 「……蘭はまだ子供だ。それにあっちは俺のことを兄貴にしか思っていない」
 光明の言葉に驚いたのか秋生はあんぐりと口を開ける。
「覇者の娘も狂わせる美貌の持ち主の君が、片恋だとはねぇ」
「……覇者の娘? あんた、覇者の娘も断りを入れていたのか?」
 ――どうやって?
 光明の中に疑問が生じる。同じ位の貴族ならなんとか退けることは出来そうだが、その上の階級の覇者を跳ね除けるとは。
「う〜ん、色々あってね。私の仕えるお方は凄いってことさ」
――仕える?
 何を聞いても秋生はいつもその調子でのらりくらりと光明の質問を交わす。
 命を預け秋生の元で働き始めて三年も経つが相変わらず謎だらけであった。   
 それ以上のことは光明も何も聞かない。
――どうせ、下虜の俺では知る由もない
 平穏に暮らせて金が貰えるだけでいい。光明はその時はまだそのように思っていた。
 季節も巡り、秋の訪れが冷たい風を運んで来た頃――
 光明はちょっとした好奇心が芽生え、秋生の後をつけてしまう。
 いつもふらりと出かけ、いつの間にか帰って来ている秋生が外で何をしているのかと思ってしまったのだ。
――あいつどこに行っているんだ?
 秋生は普段とは違う真剣な眼差しを湛え、きびきびとした足取りである。いつものふやけた雰囲気はすっかりと抜け、獣のような雰囲気を纏わせていた。
 秋生は寺院に入って行き、光明も慌てて後を追う。
 見事なほどの紅葉の木が立ち並び光明の目を奪った。少し気を取られた瞬間に秋生の姿を見失う。
――しまった、どこに行ったんだ?
 そこに美しく悲しげな笛の調べが聞こえてくる。その音に誘われるように光明はふらふらと境内へ足を運ぶ。
 木々の向こうに見えるのは、貴族らしい者達の姿。
――貴族様の紅葉を愛でる会ってか
境内には何人かの貴族が座り、雅楽に聞き入っている。
 くだらないとその場を立ち去ろうとした時に、光明は身を乗り出して境内を見つめた。
 巫女装束に身を包む女が数人、貴族達に酒を注いでいる。
 その中に三年前に光明が助けた少女の姿があった。
 少しだけ大人になったようだが、それでもまだあどけなさを残している少女はぎこちない笑みを浮かべた。
――バイトしているのか?
 無事に生きていることを確認して、光明はほっと安堵の息を漏らした。しばしその少女を懐かしく見ていると、宴は加熱して巫女装束の女達は貴族に絡まれ始めた。
 かさり――光明が目の前にある枝に手を触れた瞬間、紅い葉が乾いた音を立てる。
――まるであの時のようじゃないか
 三年前の嫌な出来事が脳を掠め、光明のてのひらがじっとりと汗ばむ。
 違っていて欲しいと願うのに、どんどんと状況は悪くなっていく。脱がされ始めた女達は逃げるが、それを追いかける貴族。
 雅楽団は何食わぬ顔で、雅な音楽を奏でていた。
――もう、人は殺めたくない
 あの時、貴族の首を落とした感触がてのひらに広がっていく。
 一度で斬り落とせなかった為に、二度刀を振り下ろした。
 あの嫌な感触は生々しくまだ残っていた。
 それでも――光明は自分が助けた少女が同じ目に遭っていることを見過ごせなかった。
「この女は下虜だ。だから犯した後は殺してしまおう」
 貴族がにやけながら、あの少女を組み敷く。
「もったいないなぁ。殺すのか?」
 もう一人の男がまんざらでもないように、気持ち悪い笑みを顔に刻む。
「下虜などはいて捨てるほどいる。それにお主、人を殺してみたくないか?」
「ふうむ、確かに殺したことはない。首を絞めるのか? それともどうやって?」
「刀鍛冶に設えさせた刀がある」
 貴族の視線が隅に置かれてある刀に注がれた。
 どくん――と光明の心臓が大きく鳴る。
――もう一度、罪を犯せというのか神よ
 光明はぼきりと枝を折り、一心にその様を見つめていた。
「嫌ですっ! 犯されるぐらいなら殺された方がましです。下虜とて誇りはございます!」
 少女の曲がりない強い言葉に光明は心を揺さぶられる。
――下虜にも誇りはある
 光明はその瞬間にもう一度、その少女を助けようと決意をした。
「くだらん! 下虜に誇りなどない。ただのゴミだ!」
 貴族は一喝すると隅に置いた刀を手に取る。
――止めろっ!
 光明は真っ直ぐに境内に向かって走り出した。笛の音が強く鳴り響き、少女の悲鳴を掻き消す。
 あっさりと少女は貴族の手にかかり、がくりとその場に膝をついた。
 舞い散る紅い葉が鮮やかな血の上にはらりと落ちる。
「おい、しっかりしろっ!」
 貴族の目もくれずに光明は境内に上がり、倒れている少女の体を揺さぶった。
 生気を失った瞳はもう何も映しておらず、白い肌はひんやりと冷たくなっている。
「嘘だろ……どうしてっ……」
――あの時、俺が助けたのは意味がなかったのか? 殺される為にこの少女は生きていたのか?
 下虜という立場の娘はあっさりと短い命を散らす。
 その儚さに光明の心はずきりと痛んだ。
「なんだ、お前は?」
 突然湧いた光明に貴族達はたじろぐ。
「俺も下虜だよ」
 そう言うと貴族達は頬を緩ませて、刀を構えた。
「待て、今度は俺に殺らせろ」
 もう一人の男が刀を奪い、血走る目で光明を捉える。
――この外道がっ
 睨み据える光明の体に躊躇もなく振り下ろされる刀。
――俺もここまでか
光明は少女を抱きかかえながら、その刀が振り下ろされる様を見つめていた。
だが、瞬時に光明の前に現れる大きな背中が見えて――
 ざしゅっと肉を断つ音が耳に届くと、光明は目を限界まで見開いた。
「君、駄目じゃん〜、こんなところまでついて来て……もう少し早ければその女の子を救えたのに……私のミスだ……ごめんね」
 見上げる光明の瞳に映る、悲しげな表情の秋生。
「どうして……お前が俺を庇う……秋生」
 秋生は震える体を起こして、ぐるりと振り返った。その背中はばっさりと斜めに斬られて、赤い血を滴らせている。
「秋生、血がっ……」
 光明の声も聞こえないようで秋生はふらりと貴族達の方に向かって行く。
「ひ、ひぃ! 来るな! 死にぞこない!」
 貴族は怯えを刻んで刀を闇雲に振り回す。秋生はそれを肩に受けて、刀を取り上げた。
 肩に食い込んだ刀を抜いて、無造作に投げ捨てる。光明の目の前に転がってきた刀は少女と秋生の血を吸い、不気味なほど赤く染まっていた。
「お前たちは罪に問われる……分かっているな……」
 秋生が血まみれの指先で貴族を指し示す。
「ふ、ふさけるなっ。私たちには後ろ盾に覇者がいるのだぞ」
「こ、こいつをここで殺ってしまおう」
 瀕死状態の秋生になら勝てると思ったのだろう。貴族達はじりじりと間合いを詰めて秋生に歩み寄ってくる。
「雅楽、外に漏れないように音を大きくしろ」
 その命令で雅楽団は音を奏で始めた。それと同時に強い風が吹き荒れ、一斉に紅い葉が狂ったように舞い散る。
 ぽつぽつと雨が降り始め、暗い空に美しい閃光が走り抜ける。
――雷まで走ってやがる。音に負けて声が漏れない






 





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