河畔に咲く鮮花  





 それだけでも気持ち悪くなり光明は苦痛の声を漏らした。
「ああ、可愛い、可愛いなぁ」
 貴族の男がべたべたと触ってきて、光明は顔を逸した。
――金の為に誇りも捨てるのか、俺は
 情けないと光明は唇を噛み締めて、なるべく貴族の男から身をよじる。
 その視界の向こうに先ほどの幼い少女の姿が映った。
 泣きじゃくる少女は抵抗をしているが、貴族の男の拳が飛ぶ。
 がつっと嫌な音がして少女は唇から赤い血を垂らした。
――蘭っ!
 その少女が蘭と投影されてしまい、光明の頭にカッと血が昇る。      
――あの男、許さないっ
 反射的に壁にかけられてあったオブジェの刀を手に取ると、光明は身を躍らせた。
 真っ直ぐに少女に跨る貴族の男の元へ行き――闇に閃く刀が美しく弧を描く。
 ざしゅっと肉を断つ嫌な感触が光明の持つ刀から伝わってくる。
――ちっ、俺の力じゃ首を落とせなかったか
 十五歳の非力な少年では思うようにいかない。首を斬られた貴族の男は目を剥き、すぐさま手を首にもっていく。
 だが光明は容赦することなく、もう一度刀を真横に振り払った。
「な、なんてことをっ――!」
 貴族の男の首がごろりと床に転がり、家の主人は怯えた声を漏らした。
「――逃げろ」
 返り血を浴びてがたがた震える少女に光明はそれだけを放った。
「お、お前っ! 下虜如きが貴族様を殺すとはっ!」
 主人の声がきんきんと響き、光明はくるりと振り返った。
「ひっ!」
 光明の頬に流れる返り血を見て、主人は喉の奥で悲鳴をあげる。
「なんだ、死体も見たことがないのか?」
 光明はふんと鼻を鳴らして、刀を払いわざと主人の顔に血飛沫をかける。
 ――下虜街じゃいくらでも死体は見てきた
「この刀の餌食になりたくなきゃ、去れっ」
 先程まで光明を触っていた男の喉元に刀を突きつける。貴族達は顔を真っ青にし、慌てた様子で逃げ始めた。
「お前、こんなことをして分かっているのか! お前の命だけじゃ済まされないぞっ。ああ、なんてことだ。儂も命が危ない」
 ――哀れな
 泣き崩れる主人はもう貴族になることも出来ないだろう。同族を殺された貴族達は光明を捕らえ、拷問した果てに殺す。
 虫けらのように――
 ――いや、そんなことをしなくてもあいつらは理由もなく下虜を殺せる
 どっちにしろここまでか――そう思った光明は蘭に似た少女が逃げたのを見届けて、刀を自分の首にあてた。
――ごめんな、蘭
 目を閉じて瞼の裏に蘭の姿を思い浮かべる。
――蘭をお嫁さんにして
 無邪気に笑う蘭を思うと自決する意思が鈍った。それでも今ここで死ななければ、懇意にしていた森下家にも災いが起こる。
――お前を花嫁にしたかったよ
 光明は刀を横に引こうとしたが、柄を掴む手を誰かによって止められた。
――誰だ?
 家の主人なわけがないし、光明はゆっくりと目を開ける。
「駄目、駄目、死んじゃ駄目だよ〜」
 ゆるい声が届き、光明は目を大きく見開いてその人物を振り仰いだ。
――白宮院秋生、こいつ今までどこにいた?
「放せっ、俺には死ぬしかないんだ」
 だが大人の男の力には適わずに、あっさりと刀は秋生に奪われる。
「殺してしまう行為は感心しないけど……それでも君はあの女の子を助けたかったんだね」
 心を見透かされて光明ははっと目を剥く。
「私がこの責任を取ろう」
「え?」
 柔らかい声に光明は驚きの眼差しを向けた。秋生は困ったような顔をして、光明を見下ろす。
「下虜だからって、命を粗末にしちゃ駄目だ」
「いい人ぶるな。お前だって女を斡旋されているのを知って、接待されに来たんだろう」
 光明の悪態にも秋生は動じることなく冷静そのままで聞いている。
「私はね、本当は調査に来ていたんだ。そして噂の実態を目にした。許さるべきことがここではなされていたね」
「……調査?」
 雲の上の貴族が誰の命令で調査を行っているかなど光明にとっては興味の惹かれるものではなかった。
 死ぬか、死なないか――それが下虜の抱える毎日だ
「君を助けよう――」
 秋生がにこりを微笑んで、光明の頭をよしよしと撫でる。
「は? お前が俺を?」
 光明はぱしりと秋生の手を払い、思い切り睨みつけた。
「下虜が貴族を殺したんだぞ。お前如きがそれを握り潰せるとでも? そんなの不可能だ」
「私に不可能の文字はないよ――望まなくても君は私に生かされる。どうせ捨てる命だったんだ。それならこの私に命をくれまいか」
 秋生が迷いもなく言う言葉は自信に満ち溢れていた。
「白宮院様――、儂も」
「お前は駄目だ。到底許されないことをした」
 ぴしゃりと秋生は跳ね除けると、家の主人はがくりと頭をうなだれる。
――こいつ、一体何者だ? 貴族のトップでないはずなのに
 半ば半信半疑だったが、下虜が貴族を殺したということは本当に秋生によって隠蔽された。
 家の主人は重く罰せられ、光明は白宮院家で働くことになる。
 それから時間は経ち――秋生に引き取られて、光明はすでに三年の時を過ごしていた。
 秋生は貴族というのにいつも服を着崩し、髭も不精に伸ばす。
 だらだらしているかと思えば、いつの間にか屋敷から姿を消して、ふらりと明け方に帰って来たり。
 時には帰って来ない日もあった。
――女の元へ通っているのか?
 光明は不審に思うが、どうも女の影も見えない。
「週末だね、下虜街に帰ってゆっくりしていいよ」
 本当は住み込むで働くはずだったが、光明が帰りたいと申し出ると週末だけ下虜街に帰ることを許してくれた。
「そんなに家族が好きなの?」
 秋生に問われたことがあるが、光明は首を横に振った。
「別に」
 そっけない態度を見て秋生は笑いながらぼさぼさの髪を掻く。
「へぇ、ガキなのにもう見初めた女がいるのか」
「ち、違う。蘭に会いに帰っているわけじゃない。それに俺はもう十八歳だ。ガキじゃない」
「……蘭ちゃんってん名前か。かわいいなぁ」
 秋生に乗せられて光明はかっと顔を赤らめる。
「……知ってるよ。その子が好きなんでしょ。だから女に言い寄られてもいつも断っている」
 光明ははっと顔を上げて、まじまじと秋生の顔を見つめた。秋生はばりばりと髪を掻いて、にへへとにやけた笑みを浮かべる。
――やっぱりこいつ只者じゃない
「あのねぇ、いつも尻を拭いているのは私なんだよ。君、そんなことも知らなかったの?」
 そう言われて光明は目を点にした。確かに艶やかに美しく成長した光明は、貴族街でも一目置かれる存在となっていた。
 下虜だと断りをいれても何を好き好んでか、貴族の娘達はことあるごとに光明を誘ってくる。
 今や、お忍びで覇者の娘も光明を密かに見に来ているほどだ。
 それでも下虜だから――娘達は諦めているものだと思っていた。
「私のところに君を飼いたいって娘さんがたくさん来てね。それをぜ〜んぶ片っ端から断ってるの。それだけでも一苦労だよ」
 秋生が肩をすくめて冗談げに言うが、それは全て本当のことなのだろう。
「君、早く想い人と結婚すれば?」


 






 





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