河畔に咲く鮮花  





 冷たい雨に頬を叩かれて、光明の頭は段々と冴えていった。
――こいつらを殺して外道に堕ちてやる。寿命が三年あの時から延びただけだ。いつ失うか分からない命ならここで散らしてやろう
 がくりと膝をつく秋生を見て光明は目の前の刀を手に取る。
 早くしないと出血多量で秋生は死ぬだろう。
「秋生、恩は返す」
 光明はゆらりと立ち上がり、顔色を変えた貴族に向かっていった。
「光明っ!」
 初めて秋生が名を呼んでくれて、ぐらりと気持ちが揺れる。だが光明はふっと微笑むと問答無用で貴族を斬り殺した。
――もう、遅い。秋生済まないな
 どっと足元に転がる貴族を冷めた目つきで見下ろす光明。
――簡単だ。あの時より簡単に殺せる
 青年に成長した光明が刀をひと振りしただけで、貴族達は事切れていく。
「うわあああっ!」
 逃げ出す雅楽団にも光明は無情にも刀を振り下ろした。
――一緒に見ていたお前たちも罪深き者達だ
 かっと稲光が走り、血に染まる光明の顔に陰影を落とす。その様は美神の如く凄絶に美しかった。
 狂うように舞う紅の葉は飛び散る血のように鮮やかで。
 全てを殺した後に光明はようやく刀を手から落とした。
 すぐさま秋生に駆け寄り、重い体を抱き起こす。
「すぐに病院へ連れて行く」
 光明が持ち上げようとした手は秋生によって制された。
「ごめんな……君を外道に堕としてしまった……」
――こんな時にこいつはのんきなことを
 光明は美しい眉をしかめて、秋生に腹正しさを覚える。
「逃げるんだ――光明」
 秋生の唇がわなわなと震え、こぽりと鮮明な血が一筋こぼれ落ちた。
「何を言っている?」
「もう私はもたない……結構背中の傷が深いみたいだ……」
 光明に衝撃が走り、目を大きく見開く。今まで多く死体を目の前で見てきたが初めて喪失感というものが芽生えた。
「私が生きていたら……君を庇える……だけど……死んでは……無理だ……」
「秋生……お前は一体……」
「私は調停者……お仕えする方を影から守る……」
――調停者ってなんだんだ、一体?
 初めて聞く単語に光明は眉をひそめる。
「私一人が死んでも……変わりはある……あの方が……光をもたらせる世界が必ず来るのだ……」
「誰だ、それは?」
 光明の言葉に秋生はふっと微笑んで返すだけ。その笑みで口を割ることはないと悟る。
「逃げるんだ……死ぬなんて考えるな……私に命を預けたんだから、君に生きろと命じる……」 
 秋生の手が伸ばされて、そっと光明の頬を撫でる。愛しげに見つめてくる瞳は段々と光を失っていき、光明は秋生の手を握り締めた。
「そんな残酷な命令を下すのか! お前は死んで、俺だけが生き延びろというのか!」
――止めろ、死なないでくれ
 光明の手がぎゅっと握り返されて、秋生はいつものだらしない笑みを浮かべた。
「……そうだ。お前は生きろ――」
 胸がぐっと詰まった瞬間に、光明の流麗な瞳から一筋の雫がこぼれ落ちる。
――こんな時に幸せそうに笑うな
「一人で死ぬと思っていたが……看取られて逝くというものいいものだね……」
 握りしめていた秋生の手がするりと滑り落ちて、腕がぱたんと床に伸びる。
「秋生っ! 秋生っ! 目を開けろっ!」
 光明が冷たくなっていく秋生の体を何度も揺さぶった。
「……光明……楽しかった……」
 最期まで微笑みを絶やさずに秋生は口元を微かに上げた。
 瞼はゆっくりと閉じられ、秋生は幸せそうな顔のままで――
「秋生っ! どうしてお前が俺を庇って死ぬんだっ!」
 何度も体を揺さぶっても秋生は戻って来ない。
「うわあああああっ!」
 光明は生まれて初めて声を上げて泣いた。
 冷たくなった秋生の体に覆い被さり、悲しみを隠さずに泣き続ける。
 悲痛な泣き声は荒れ狂う雨の音に掻き消されていく。
――力が欲しい
 泣き疲れた光明の頭に浮かぶ野望。
 今更、命を奪われることに恐れは抱かない。だったらそれを全力で活用して、覇者の世界を覆そう。
 秋生に二度も救われた命――外道に堕ちた俺は修羅の道を歩もう。
 秋生が仕えた方とやらが、いつの日か世界に光をもたらすのを願って。
 それまでに邪魔な奴を今度はこの俺が排除していこう。
 もう下虜だからといって、ゴミのように死んでいくのは嫌だ。
 光明はただの下虜という意識を捨てることを誓った。
 それからの光明は、今まで言い寄ってきた上流界の女の相手を片っ端からしていく。
 覇者の娘が光明を飼っていると錯覚させ、寝ては色んな情報を引き出していった。
 それでも白宮院秋生のことは誰も知らないようだった。
 境内の事件で明るみに出るかと思えば、また誰かに寄って隠蔽されていた。
――一体、お前は誰だったんだ秋生
 光明は秋生の正体を知らないまま、どんどんと修羅に堕ちていく。
 もうそこには下虜のままでいいと言った、純真な少年の姿はない。
 光明は女と体を重ねてもキスだけは絶対にしなかった。
 この唇は永遠に蘭だけのもの――
 それだけが修羅の道を歩む光明の唯一の癒しである。光明が影でよからぬことをしていることも知らない蘭は健やかに育っていく。
 この手は血で汚れている――その手で蘭に触れるのは苦しいものである。
 それでも光明の拠り所は蘭しかいなかった。
 下虜の身分制度をなくし、この俺が光を指し示そう。
 そんな野望さえ芽生えて、光明はこれから長く暗い道を歩んで行くのであった。 






 
とある光明の野望編 end




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