河畔に咲く鮮花  





 
 義鷹の家はテレビ番組で見たことしかない温泉のような風呂だった。内風呂と外風呂があるらしく、雪は室内のひのき風呂に浸かっている。蘭がむっつりしながら入って来るのを見て、先ほどのことがなかったかのように雪は手を振って来る。
「あ? なんだお前、なんで裸じゃねぇんだよ」
 義鷹の貸してくれた服は胸だけカバーしているスポーツ用のタンクトップに、短パンという出で立ちだ。
「別にいいでしょ。どんな格好でも」
 つんとそっぽを向いて、蘭は雪とは話したくない意思を伝える。だが、そんなことに気づいていないのか、雪はなんだかんだと話しかけて来る。
「お前、下慮の癖に根性あるよな。普通、貴族様の前だとびくびくするもんだぜ」
「ええ、地を這うような生活だったから。雑草根性がついて、逞しく育ったの」
 へぇと雪は興味津々に蘭の話を聞く。貴族なのにこいつも変わった奴だと蘭は思う。義鷹も蘭の話を聞きたがっていたが、雪も楽しそうな声音で聞いて来る。
 そんなに下慮の生活が珍しいのか不思議だ。まあ、貴族なんかにして見れば違う世界の珍獣としか思っていないのだろうが。滅多にお目にかかれない、変わり者が目の前にいて、物珍しい、そう言ったところか。
「おい、人と話している時はこっち向け」
 そっぽ向いている蘭に雪はばしゃりとお湯を掛けて来た。いきなり湯を浴びせられて、蘭は雪の思惑に引っかかる。
「なにすんのよ、熱いじゃない」
「やっとこっち向いたか。お前が俺を無視するのが悪い」
 けらけらと笑ってまるで子供のようにはしゃぐ雪。その笑顔がなんだか無邪気で、可愛く見えて蘭はどきりと胸を高鳴らせた。
「駄目駄目駄目、騙されちゃ駄目」
 蘭は頭を振り、一瞬でも雪に心惹かれたことを否定する。いつ、気が変わって先ほどみたいに横暴な態度を取られるかが分からない。蘭は気を引き締めて、浮ついた自分をたしなめた。
「ようし、背中を洗え、蘭」
 ざばぁっと雪は立ち上がり、下半身を隠さずに出て来る。
「ひ、ひぃっ!」
 男性のものを見たこともない蘭は喉の奥を引きつらせて、背中をのけぞらせる。
「お前なぁ、ひっ! て失礼だな。普通はみんな喜ぶぜ」
 慌てて体を反転し、蘭は喜ぶものの気持ちが分からないと毒づく。本当にこの男は貴族なのにはしたない。
 絶対に義鷹ならそんな風に出て来ないだろう。きっと義鷹なら湯に浸かるのも絹を纏い、裸では入らない。
 そうに違いなかった。勝手な妄想をしているうちに、雪は後ろを通り、どかりと椅子に座る。
「おい、隠してやったから背中を洗え」
 不遜な物言いが蘭の背中に届いて来て、ようやくそちらに顔を向けた。雪の背中を見て、目が吸いついてしまう。
 思った以上に逞しく広い背中。ほどよく締まった均整の取れたしなやかな体。急に胸がどきどきし始めて、体が異常に熱くなる。考えてみれば、男性の裸を見たことがないことに気がつく。光明とは挨拶のキスはするが、お互いが裸になったことはない。
そろそろと近寄り、どぎまぎしながら背中をタオルで洗い始めた。雪の背中は近くに寄ると、ところどころ傷の跡が見える。
 新しい傷や古い傷。
 それがなんの傷か分からなかったが、蘭は少し可哀想に思えた。こんな奴でも実は知らないところで、色んな傷を負っているのかも知れない。 
 そう思うと、少しだけ優しくしてあげようと、蘭は一生懸命に背中を洗った。
「下も洗えよ」
 背中を洗っている蘭に、ふとこぼされた雪の声。下を洗うという言葉が分からず、蘭は首を傾げた。よく見ると、椅子はまん中がへこんでいて、そこから手が入れられるようになっている。もしかしてここに手を突っ込んで、男性の後ろの部分を洗えということだろうか。
 いきなり目まいが襲って来て、ふらりと体が倒れる。
「おい、なにへたり込んでいるんだよ。ったく、処女はいちいち過敏な反応するな」
 体をねじって雪が呆れたように言う。それでも口調は柔らかい色が含まれていた。
「早くタイルに座りこんでないで、起きろ。次は前を洗え」
 雪はそう言うとくるりと方向を変えて、今度は蘭の方に向いた。下半身はタオルで隠しているもの、蘭はどぎまぎしながら雪の体を洗う。
 腕もお腹も筋肉が綺麗にのっていて、引き締まった体。水滴が黒髪から落ちて、蘭ははっと顔を上げる。
 雪が愛しむようにじっと蘭を見つめていた。
 夜露に濡れたようなしっとりとした瞳は宝石のように綺麗で、高い鼻梁も、艶めいた唇も全てが完璧に美しい。
 スラリと伸びた手足もほどよい筋肉も均整が取れて精巧な造形美。蘭は一瞬、我を忘れて雪を見つめてしまっていた。
「おい、見惚れんな」
 雪にまたぱちーんとおでこを指で弾かれ、蘭ははっと我に戻る。
「いたたっ!!」
 容赦のない衝撃が襲ってきて、蘭は思わず額を手でさすった。
「ぷはっ、お前のその顔。ぶさいく」
 よっぽど変な顔をしていたのだろう。雪はお腹を抱えてけらけらと豪快に笑い出す。
「女性に対してぶさいくって失礼な奴ね」
 蘭はわなわな震えながら、しかめっ面をする。女性の変な顔を見て笑うとは、どういう神経なのだろうか。楽しそうに笑う雪を見上げて、蘭は顔をしかめた。
 数秒見ていると、雪ははたと笑うのを止めて、腕をさっと伸ばしてきた。若い動物がしなやかに動く――そんな動作にどきりと胸を跳ねさせているのも束の間――。
 頭を抱えられ、気がついた時には蘭は雪によって唇を塞がれていた。
「――んっ!」
 身じろぎしようとも雪の力は強くてびくとも動かない。苦しくて口を開いた瞬間、狙ったように雪の舌が生き物のみたいに侵入してきた。熱くてぬるつく感触に驚いて身を引くが、それもささやかな抵抗。雪の舌は遠慮なく、蘭の口内を蠢く。
 舌を吸われ、絡ませ、激しく蘭を求める。雪の獣のような荒々しい口づけに蘭は目まいを起こした。
 ぬらりとする舌の感触が口内を撫で上げ、蘭は思わず声を漏らす。
「んっふっ……」
 唇が解放されたのは散々蘭の口内を貪り尽くされた後だった。透明の糸が雪との間に引かれ、恥ずかしさに体が火照る。
「お前の唇はうまいな。果実のようで、また食いたくなる」
 雪は悪びれもせずににやりと笑った。光明との無機質なキスとは違う。荒れ狂うようなキス。その初めての感覚に蘭は膝を崩してその場に座りこんだ。






 





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