河畔に咲く鮮花  

第一章 一輪の花 1:河畔にて


 「全部脱いで、俺の前で脚を開いて見せろ」
 蘭は一瞬なにを言われたか分からず、ぐるりと首を回した。雪はにやにやと人の悪い笑みを浮かべて、こちらを見ている。理解しがたい内容に蘭は顔をしかめた。
「む、無理よ」
 蘭は、頬を引きつらせながらこいつは頭がおかしいと心の中で悪態を吐いた。
「雪様、戯れが過ぎましょう」
 義鷹がすかさず止めに入るが、雪はその悪趣味なゲームを止めようとしない。
「早くしろ、お前の家族が焼き打ちになりたくないなら」
 蘭はハッと目を大きく見開いた。雪の顔から笑みが引き、凄みが増す。ぞくりと蘭の背中に寒気が走り、それが本気だと分かった。
「雪様、そんな言い方は彼女が可哀想です」
 義鷹がまた助けに入って来るが、そのようなことで雪が止めるはずもない。
「義鷹、うるせぇぞ。俺は本気でやると言ったらやる」
 鋭い瞳に射あてられ、蘭は肩を竦めた。蘭は下虜であり、一番身分の低い者である。貴族に逆らえるのは、名家である同等の力を持つ貴族か、それ以上の階級の覇者である。蘭ではその身分差に敵うことがなく、顔を俯かせた。
 しばらく畳に視線を落とし、じっと体を固まらせていた。その蘭に業を煮やしたのか、雪が大声で焚きつけてくる。
「早くしろ、下虜」
 雪の言葉がぐさりと刺さるが、下慮という自分の立場を思い出し、蘭は帯に手を持っていった。
 これ以上は、救ってくれた義鷹を困らせたくはない。傍若無人に振る舞うこの男は、蘭が謝るまでやり続けるだろう。
 だが悪くもないのに、謝るのは蘭にとっては唯一のプライドが崩れ落ちてしまう。
 誇りをなくしたら終わりだと――そう、兄と慕う光明から教えられた。その教えはもろくも崩れ去ろうとしている。
 義鷹は軽く溜息を吐いて、蘭のそんな姿を見たくないのか立ち去ろうとした。
「義鷹もここにいろ」
 雪がすかさず止めて、この趣向に参加させる。蘭はますます顔を曇らせていった。このような痴態を義鷹にも見られてしまう。ただ悔しいのは、義鷹のような貴族の前で自分の裸を見せるのが辛い。
 下慮の裸など貴族の娘に比べれば、醜くて汚れているに違いない。
 覇者や貴族の娘は、流行りの高級な白粉や香湯などでいつも肌を綺麗に潤わせて艶々であると聞いた。
 蘭はお風呂はあるものの、足も伸ばせない小さな浴槽で、もちろん入浴剤を入れることなど出来ない。他の娘と比べたことはないが、きっと肌はがさがさで色もくすんでいるに違いなかった。
 雪はきっとそれを見て笑い物にするのだ。
 ――義鷹、見てみろ。やはり下慮は裸も醜い、そう言って。
 雪に言われるだけなら我慢は出来るが、義鷹の目を汚したくはなかった。
「おい、早くしろ。手が止まっているぞ」
 雪に急かされて、蘭は現実に戻る。一瞬、義鷹に目を走らせるが、その悲しそうな表情が痛ましくなり、すぐに顔を逸らした。
 義鷹には見て欲しくない、そう思いながら蘭はそろそろと着物を脱いでいった。
 肌襦袢にも手をかけ、屈辱にうち震えながら紐を解く。今日は着物を着ているので、下着はつけていなかった。
 全部脱ぎ捨て、蘭の白い肌が晒される。じっと注がれる雪の視線。
 恥ずかしくて、蘭は目を逸らした。
「手を後ろに組め」
 片手は胸を、もう片方は下半身を隠している。そう言われて屈辱に震えながら、後ろに持って行った。
 染み一つない滑らかな肌にちょうど良い大きさの膨らみが二つ。若さゆえにそれはつんと上に持ちあがっていて、外気にふれた桜色の突起は固く尖り、まるでそこに止まる蝶を誘っているようだ。
 くびれた腰に、丸く大きなマシュマロのように柔らかそうな臀部。
均整の取れた全身はまるで、女神のように神々しい姿。
 その蘭の生まれたままの姿を見て、雪と義鷹がごくりと唾を飲んだ音が聞こえてきた気がした。
 でも、まさか下慮の裸に欲情するはずもないと蘭は改める。どうせ、醜すぎて言葉に詰まっているのだろう。
「美しいです、蘭」  
 義鷹がぼそりと発した言葉に蘭はえっと目を丸くする。だけど、下虜にも目をかけてくれる優しい義鷹のことだ。お世辞にも思ってないことを言える貴族という人種でもある。義鷹が気を遣ってそう言ってくれたことにますます自己嫌悪に陥る。
「今度は座って、俺の前で脚を開け」
 だが雪はまだ恥を晒そうと蘭を追いたてる。蘭はそんなことが出来るはずもなくわなわなと体を震わせた。
――怖いのではなく、屈辱と腹正しさ。
 下慮というだけでこの蔑まれた扱い。それが悲しくて悔しくてたまらない。これ以上の恥を晒すのであれば、死を選んだ方がまし、そこまで思ってしまう。
「早くしろっ!」
 雪が怒鳴り、蘭はびくりと肩を竦めた。この男はまだ若いというのに変な威厳がある。蘭は涙目になって顔を俯かせる。 義鷹に情けない顔を――見られたくない。震えながらその場に座り込むが、脚をどうしても開けずにいる。
「もったいぶるな。別に処女でもねぇんだろ」
 雪のその言葉にカッと体が熱くなる。
 実は蘭はまだ処女だった。キスしか体験したことはなく、それ以上は何一つない。
「わ、私は、しょ、処女……」
 屈辱で舌が上手く回らない。それでも必死でその言葉を絞り出した。
「はぁ?」
 それが聞き取れたのか、雪は呆気に取られた表情をする。
「だから、私はまだ処女よ! それがなにか悪いの?」
 次は腹から声が出た。あまりに大きな声だったのか、雪も義鷹も目をぱちくりと何度も瞬かせた。
「まじかよ、今時貴族の娘でも処女はいねぇってのに。絶滅危惧種に匹敵するぜ」
 雪が目を見開いたまま、好奇の色を浮かべる。
「雪様、もういいでしょう。ずっと裸のままだと蘭が風邪を引いてしまいます。風呂もこれからだったのに」
 義鷹が傍に寄り、自分の着ていた羽織物を蘭に被せてくれる。
「よし、気に入った。蘭、これからお前は俺の小姓になれ」
 その言葉に蘭ははぁと目を丸くする。
「雪様、この者は下慮。あなたの傍には身元の知れた貴族を置くのが普通でしょう」
「お前だって、貴族一の権力者なのに下慮を買ったんだろ。それこそ、得体の知れない女を置くなんてどういうきまぐれだ」
 雪の機嫌がみるみる悪くなり、義鷹をなじる。
「あ、あの私は義鷹様に買われたのではなく、救われただけです。それに、家に戻していただく約束でした」
 義鷹の肩を持とうと蘭は間に入って説明した。
「あ〜ん? お前には聞いてねぇよ。とにかく風呂だ。蘭、背中を流せ」
 雪は誰の意見も聞かない。ただ自分の気の赴くままに進む。
 有無を言わさず、雪はさっさと立ち上がって風呂に向かって行った。
「雪様は一度言えばそれに向かう。悪いが、しばらく小姓をしてはくれまいか」
 義鷹が困ったように息を吐くのを見て蘭は心が決まった。自分を危機から救ってくれた義鷹の役に立ちたい。
「分かりました。義鷹様にご恩をお返しします」
 蘭は義鷹に見つめられ、頬を少しだけ染めた。
「これを着ておいき」
 義鷹は風呂用の服を持たせてくれて、蘭はぺこりと頭をさげて雪の元へ向かった。






 





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