河畔に咲く鮮花  





 雪が大阪に出かけて間もない頃、屋敷はひっそりと静まり返っている――そのはずだった。
 雪の目がないのをいいことに、蝶子は勝手気ままに暮らし始めた。
 退屈だったようでパーティを開くと知った時は、メイドが慌ただしく飾り付けをしているのを見た時だ。
 本家のメイドが、庭にテーブルを置いたりその上に高級なシャンパンやワインが並べ始める。
 雪の父親公認である為に蝶子はその権限を活用し、わざわざ本家のメイドを使用しているのだろう。
――今日は部屋から出ない方がいいかもしれない
 パーティの詳細を一切聞かされていない蘭は、変に波を立てるのは自分の身の為にならないと考えた。
――パーティって夜にするのかしら?
 今はもう太陽は傾きかけていて、支度が終わる頃は沈んでいるだろう。
 障子をそっと閉めて蘭は自分のことだけに集中しようと、マナー教育の本を開く。
「蘭様、紅茶を淹れてきました。どうぞ」
 テーブルの隅にそっと紅茶が置かれて、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「あ、ありがとう公人君」
「それにしても今日は騒がしいですね」
 公人が障子の向こうにちらりと視線を走らせる。庭では蝶子の指示する声や、物を置く音がばたばたとせわしなく聞こえていた。
「公人君はなんか知ってる?」
 蝶子の元にいた公人なら何かしら情報を持っていると思っていたが少しだけ首を傾げられた。
「いえ、僕は拾われて間もないので詳しいことはわかりません」
「あ、そうなんだ」
 公人にも分からないようだったので、それ以上の会話はない。
蘭は蝶子のことを気にしないようにして、また本の字に視線を戻した。意識から除外していた為か喧騒も聞こえなくなり蘭は勉学に集中した。
 陽が沈んで帳がおりた頃、庭から眩しい光が差し込んでくる。
 それと同時に人のざわめきが聞こえてきて、音楽も鳴らされ始めた。
「はぁ、音楽がうるさすぎて勉強が出来ない」
 蘭は溜息を漏らしてぱたんと本を閉じる。パーティが始まったようで音楽と混じり人の笑い声が耳に届いてきた。
 そっと障子を開いて庭を見ると、蝶子が呼んだ客人達が手にワイングラスをもって会話に花を咲かせている。
 いつの間にかライトも設置しているようで、その眩しさに目を細めた。
「なんだかお腹が空いちゃったな」
 テーブルの上に並べられている皿の上には豪勢な食事が盛り付けられている。立食パーティのようで、好きな物を取りそれぞれに食しているようだった。
「蘭様も庭に降りて食するのはどうですか?」
 公人が無表情な顔に合わず大胆な発言をするので蘭は目を見開く。
「蝶姫に見つかったらまた嫌味を言われるわ」
「大丈夫ですよ、もうお酔いになられているようです」
「え?」
 公人の向ける視線の先を見ると、夜に映える鮮やかな真紅のドレスが目に入る。
 胸もとを大きく開き、裾は深くスリットが入り蝶姫の長い足を剥き出しにしていた。
 ぎょっと目を剥いて、その派手な姿をしげしげと見つめてしまう。
「凄い艶やかなドレスね。蝶姫に似合ってはいるけど」
――私には大胆すぎて無理だわ
 蘭は心の中でそれだけを呟いた。高笑いをあげながら客人と喋る足はおぼつかない。時にバランスを失って体をぐらつかせていた。
「相当に酔っているみたいね」
「ええ、蝶姫は飲むピッチが早いのでいつもすぐに酔われてしまう。意識があるかどうか怪しいものですね」
 楽しそうに笑ってぐびぐびとワインを煽ぐ蝶子を見て、もう一度庭を見回す。
 隅の方だとあまり人がいなくて、静かにご飯が食べられそうだ。
「庭で召し上がらないのであれば、僕が今日は夕食をお作りしましょうか?」
 公人がそう言うので蘭はぎょっとする。本家のシェフはきっとパーティ用に次々と料理を作っているだろうから、蘭の夕食など忘れているはずだ。
 いや、一緒にこのパーティに参加していると思っているだろう。
 だから蘭にわざわざ料理を作ろうとなど考えていないはずだ。
 それを知っていて公人が自ら手料理を振舞ってくれるという。
「公人君、料理作れるの?」
 貴族の青年がそんなことも出来るのかと蘭は目を輝かせる。だが返ってきた答えはあっさりとその期待を打ち破るものだった。
「いいえ、料理を作ったことはありません」
「え?」
「一度たりともこの手で料理をしたことはないのです」
 きっぱりと言い切られて、蘭は思わずあんぐりと口を開けてしまう。
――じゃあ、なんで料理を作るって言ったんだろう
 蘭は喉まででかかったが、公人が気遣っていることに気がつき言葉を引っ込めた。冗談でも作ってと言えば公人は忠実にその命令を聞くだろう。
 悪戦苦闘する公人も見たい気もしたが、それと同時に食事は何時間もお預けになると思った。
「作ったことがないならいいよ。やっぱり、テーブルに並んでいる食事をいただくことにするから」
 蘭はもう一度、蝶子に目を向けるが先ほどより体をふらつかせていた。
――あれぐらい酔っていたら気がつかないわね
「よし、公人君、こっそりいただいちゃおう」
「蘭様、こっそりなどしなくていいのです。あなた様は覇王の花嫁なのですから」
 いつになく熱がこもった声音に蘭はぐっと言葉を詰まらせる。
――麗しき覇王の花嫁がこっそりなどみずぼらしい
 そこを注意された気がして、蘭は顔を俯かせた。
「蘭様? なにか気に障ることをおっしゃいましたか」
 黙り込む蘭を見てさっと公人はその場に片膝をついた。何をするのかと思いきや、蘭の足を持ち上げて問答無用で口内に含む。
「き、公人君っ!?」
「……お許し下さい。気に食わないことがあれば何でもおっしゃって欲しいのです……」
 公人が口に含みながら喋ると、蘭の背中にぞくりとした寒気が這う。
「だ、大丈夫だから。もう、止めて」
 親指に濡れた舌を感じて、蘭はゆっくりと足を引き抜いた。
――忘れていた。公人君はこういうことを忠誠の証だと思っているんだわ
 親指にまだ熱く濡れた感触がはっきりと残っている。それでも公人は縋るような目を向けてきて、もう片方の足をそっと掴んでくる。
「き、公人君、分かったら。は、早くご飯を食べに行こ?」
 慌てふためいて言うと、公人は無機質な瞳を下げて足の甲にそっと口付ける。
「――っ」
 柔らかい唇が押し当てられて、蘭は一瞬だが息を呑んだ。
「公人君……」
 雪を慕っているはずなのに、必死で蘭に忠誠を見せる公人。
――ごめんね、公人君
 蘭は忠実な公人にどこか憐れな同情心を抱いて、じっと見つめてしまう。
 顔を上げた公人の瞳は相変わらず感情がなくて。
「蘭様。もっとお望み下さい。この公人は何でもいたします」
 これみよがしに言ってくるので、蘭はますます公人に対して罪悪感を感じた。






 





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