河畔に咲く鮮花  





 ――雪の命令だからって足を舐めるのは嫌なはずなのに  
 貴族は覇者より気位が高いと聞いたことがある。その貴族の青年である公人がこのような扱いは屈辱以外何者でもないだろう。
――雪が帰ってきたら警護を典子と変えてもらおうかしら
 蘭はそこまで考えてぶんぶんと頭を振る。
――今はごちゃごちゃ考えても仕方ない。とにかく腹ごしらえ!
 まだ片膝をついている公人を促して、蘭は庭へと降り立った。
 中央ではなくそそくさと隅の方に移動して、お皿を手に取る。
「蘭様、僕がお取りしましょう」
「駄目。こういうのは自分で取るのが楽しいの。公人君は待っていて」
 公人がしつこく言う言葉も無視して、蘭は色取り取りの食事に視線を巡らせる。 
「サラダもたくさん食べて。え〜と後は」
サラダや肉を次々と皿に載せていくが、六皿目に達した時に公人が声をかけてきた。
「蘭様……もう六皿目になりますが……」
 流石にたくさん食べ過ぎると思ったのか、公人が少しだけ眉をひそめる。
「公人君も一緒に食べるの」
 蘭はにこりと笑って、テーブルの上に六皿目を置いた。
「これは僕の分までお取りいただいたのですか?」
 公人が信じられないとテーブルに目を落とす。
「さあ、さあ、座って」
 公人は何度か瞬いた後に、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「本当にあなたと言う人は……」
「公人君が笑った……」
「何かおっしゃいましたか?」
 公人が聞こえなかったようで、顔をあげて蘭を見つめてくる。
「ううん、何でもない。さ、食べよ」
 さきほどの笑みは貴族特有の社交的な笑いではなかった。ただでさえ無表情の公人からあのような笑みが見れるとは思ってもみない。
 本人は気がついていないようであったが、蘭はなんだか得した気持ちになって知らずににやけた。    
「蘭様?」
 公人が顔を覗き込むので、蘭は慌てて表情を引き締める。
「あ、ごめん。ぼうっとしちゃって。では、いただきます!」
 皿にたんまり盛ったサラダや肉を口に放り込んで、深い味わいを堪能した。
「やっぱり美味しい……」
 惚けている蘭の視界に公人の食べる姿が映る。無表情でわからなかったが、公人は必死で豆をよけていた。       
 フォークで皿の隅によせて、いつの間にか山が出来ている。
「ま、まさか公人君、豆が食べられないとか?」
 蘭の問いかけに公人の手がぴたりと止まり、じっと固まったままになる。
「駄目だよ、体にいいんだから。ちゃんと食べなきゃ」
 少しだけ顔を上げる公人は少し考えるように視線を動かせた。
「――それは、命令ですか?」
 ひと呼吸置いて公人が抑揚もなく述べる。
――愛しき覇王の命令よ!
 そう畳み掛ければ公人は迷うことなく口に運ぶだろう。それでも蘭にはそれを言う度胸はない。
「違うわよ。本当に公人君の体を思って言っているだけ」
――あ、正直に言っちゃった。これじゃあ、公人君は食べないよね
 貴族は口に合わないものは、この世が滅んだ状態にあっても絶対に食さないという。それを分かっていた蘭は自分の馬鹿さ加減に深い溜息を漏らした。
 だが公人は何も言わずに、ぱくりと豆を口に放り込んだ。
「あっ、食べた……」
 公人はすぐに飲み込んだようで、口直しにワインを喉に流す。 
「味は分かりませんが、食べることはできましたね」
 公人は山になった豆を次々と口に放り込み、今度はワインで流し込んだ。
――それって飲み込んだって言うんじゃ……
 思わず突っ込みたくなったが、豆を口に含んだ行為だけでも嬉しく思った。
公人が微笑ましく見えて、蘭はしばらく楽しい食事を楽しむ。
 ささやかな食事をしていたら、三人の男達が酔っ払った足取りでこちらに歩いてきた。
 三人とも蘭を見ると、にやけた笑みを浮かべる。なんだか嫌な予感がして蘭は眉をひそめた。
「こんな暗い場所で食事ぃ?」
 男の一人が声をかけてくるが、蘭はどう対処していいのか分からない。それがお高く止まっていると思われたのか、男は過剰に反応した。
「なんだよ、聞いてやっているのに。どこの娘? 覇者の位か?」
 まじまじと見てくる目が不快に感じ、蘭はそっと席を立った。
「おっとぉ〜逃がさないよ」
「そうそう、こんな優男は放っておいて遊ぼ」
 残りの二人が道を塞いで、蘭は囲まれる。公人がすぐさま立ち上がり、三人の男を冷たい眼差しで見据えた。
「この御方に話しかけないでいただきたい」
 公人が牽制するが、それはなおさら男達を煽るもののようであった。
「はぁ? 男は関係ないだろ。引っ込んでろ」
 男がどんと公人の肩を押して、喧嘩腰になる。
「お前、覇者?」
 違う男が公人の顔を覗き込んで目を細めた。
「……いいえ、貴族でございます」
 公人がぽつりと漏らすとどっと嘲笑が巻き起こった。
「俺たちは覇者だぜ。貴族が口を出すなよ」
 公人が下の位と知った男達はますます冗長し、遠慮なく蘭の体を触り始めた。
「貴族なら別に顔色伺わなくていいな」
 男達は蘭のことも貴族の娘と勘違いしたのか、下卑た笑みを顔に張り付かせた。
「やっ――!」
 胸をわし掴みされて蘭は慌てて両手で体を抱き締める。
「――止めて下さい。それ以上すればあなた方を殺す――」
 公人の底冷えするような声が響き、蘭も三人の男も視線を巡らせた。
 暗闇で立つ公人の手には警護時に使用する竹刀が握られていた。
 そう見えたが、雲の間から覗いた下弦の月明かりに照らされ、竹刀がぎらりと光を帯びた。
「――っ」
 酔いが一瞬冷めたのか、男達は目を剥いて公人の手に握られているものを見る。
 銀色に光る刀身は禍々しく、それでいて血を求めているように美しく冴えていた。
「冗談だろ? こいつ覇者を殺せばどうなるか分かっているのか」
 男の一人が余裕ぶってふんと鼻を鳴らすが、公人の並々ならぬ殺気に半歩下がる。
「僕はこの命など惜しくない。全ては蘭様の為に」
 公人が刀を構えてじりっと一歩前に踏み出た。
「止めろ、これ以上に寄ったらこの女を殺すぞ!」
 蘭の後ろし回った男が太い腕を首に回した。息が一瞬だが止まりそうになって、蘭は空気を求めるように唇を喘がせた。
 公人の目が細められ、前進する足をぴたりを止める。
 両者とも引かずにいると、闇から降って湧く声がその場に重く響いた。
「――その女から手を放せ」
 その冴え渡る声の主を確かめようと、誰もが自然に振り返る。木立に背を預けている男を見て蘭は目を大きく見開いた。
「――伊達だ、伊達正春がこんなところにっ」
 男達は怯えた声を上げて、じりじりと後退をし始める。
「その女はお前らが触れていいものじゃない」
 春が木立から背を放して、けだるそうにこちらに歩いてきた。
蘭の首に回された腕が解かれて、急に体が自由になった。
「おい、まだ俺に文句があるのか?」
 片方から覗かれた流麗な瞳が細められると、男達は情けない声を上げてばたばたと逃げ出す。
「よぉ、下虜。相変わらず災難だな」
「伊達――正春っ……」
蘭が驚きの声を発すると春はにやりと唇の片側を吊り上げる。 
「どうして、ここに?」
「どうしてって、招待状が届いたからさ」
 春はすっと封筒を取り出して、ひらりと振った。
「……蝶姫の招待ってことね……」
 蘭はやはり庭に出るのではなかったと後悔する。
――花見の時も来ていたし、私ったら迂闊すぎる
「蘭様――もう行きましょう」
 公人が奇妙な空気を察してそう促してくれたが、春は気にする様子もなく椅子に深く腰掛けた。






 





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