河畔に咲く鮮花  

第四十八輪 知られざる真実


 
 上杉家の食卓は雪の家のように静かなものではなく、賑やかなものだった。
 円卓テーブルに狭ぜまと綾乃と典子と雪が並び、畑で採れたての野菜料理が皿に盛られている。
「あんたは、まだ病み上がりだから酒は駄目だからね」
 綾乃が一人酌をしてちびちびとやっていると、障子ががらっと開かれて健吾がどすどすと入ってくる。
「なんだよ、先にやってんのかよ」
 円卓テーブルに座ると、顎をくいっとしゃくって、健吾は声をかける。
「おい、入って来いよ」
 部屋へ入ってきたのは、冷たげな美貌を持つ青年と、メイド服の格好をした少女である。
「あ〜やっぱり、長虎とアキちゃんか。ていうか、二人しか友達いないのかよ、あんたは」
 綾乃が突っ込みを入れるが、すでに酒を煽る健吾は早く座れと、二人を促した。
「あ、こっちの美形が長虎、で、このかわい子ちゃんが、アキちゃん。んで、こっちが雪之丞に、典子」
 綾乃が紹介をすると、長虎がスっと視線を向けてきて、雪とばちりと目が合った。
 だが興味がないのかすぐに逸らして、どことなく上の空で溜息を吐き出す。
「今日は飲むだけ飲んで、忘れろ、長虎」
「健吾……僕は毎日飲んでいるよ。だけど、はぁ……」
「ボクは酒は飲めないからジュースね」
 アキがちょこんと典子の隣りに座り、じっと見つめて敵意に孕んだ瞳を向けた。
「ちょっと、この女って何?」
「アキ……また始まったか……お前の方が可愛いって。な」
 健吾がやれやれと髪を掻きあげるが、アキは納得いっていないようだった。
「あんた、何歳?」
「え、私ですか……十八歳ですけど」
「ふっ……ボクの方が若いね、勝った」
 そんなやり取りもいつものことなのか、綾乃は何も言わずにちびちびと酒を煽る。
「ていうか……何でいきなり知らない男女がいるの? おかしいと思わないの、長虎!」
 アキが長虎のシャツを引っ張るが、彼は襟が伸びても気にしていないようだった。
「俺だって、知らないよ。綾ねぇが男を連れ込むとは驚いたけどな」
「ばっ……馬鹿……誰が私の恋人よ」
「誰も……恋人って言ってねぇけどな……」
 健吾と綾乃が言い合いをしだし、アキはまだ長虎の裾を引っ張り、雪はそれを見ながらくすりと笑いが漏れる。
「はぁ、なんであんた笑ったの?」
 アキがぴくりと眉を吊り上げて、馬鹿にされたと思ったのか、雪に突っかかる。
「あ、いや。こういう食事も楽しいものだなってな……俺は、あんまり人を囲んで食ったことがねぇから」
 しんみりと言う雪を見て、アキは少しだけ同情の色を大きな瞳に浮かべた。
「な、なによ、そんなこと? まぁ、騒がしいのだけは幼い頃から変わっていないけどね」
 アキが誇らしげに胸を張ると雪が悲しげに瞳を揺らせる。
「おまえ達って……幼馴染か?」
「そうだよ、ボク達は幼少の頃から仲良しの幼馴染」
「そう……か。俺にもいたな……いつも三人で過ごしていた奴らが……」      
 雪が翳りを落とし、顔を曇らせたことに気がついた綾乃が、お猪口に酒を並々と注ぐ。
「の、飲みなさいよ。あんたも。やっぱり今日は無礼講よ」
 無理やり持たされた雪は、ちらりと綾乃を見たあとにぐいっと一口で飲み干した。
「お、雪之丞、結講イケル口だな。どうだ、俺と飲み比べしねぇか? 負けたら、もちろんバツゲームありで」
 健吾がにやりと笑うと、目をきらきらさせて酒瓶を手に持つ。
「はぁ? あんた、馬鹿じゃない。うわばみの癖に。雪之丞、やめときな。こいつに勝てるのは私ぐらいだからね」
 綾乃が健吾との賭けをやめさそうと必死で止めてくる。
「で、バツゲームって?」
「お、そうこなくちゃ。俺が買ったら、典子と一日デートの権利をくれ」
「え、私ですか?」
 典子が商品にされて驚きの声を上げて、複雑そうな表情を浮かべた。
「お前、賭けにしなきゃ自信ないのか? 男なら堂々と申し込めばいいだろう」
 雪が呆れた声を出し、うっと押し黙った健吾を見る。
「いや……だって、なぁ?」
 ごにょごにょと小さく喋る健吾に綾乃が肘でこづいて、馬鹿にした顔で見つめる。
「典子が雪之丞を好きかもしれないから……びびってんでしょ? あんた、体格はいいのに、そういうところは肝が小さいわね」
「そ、そんな、そのようなこと恐れ多いことです。それに、私は一般市民の出であって……健吾様の相手などとても務まりません」
 典子が慌てて否定をするが、健吾はハッと鼻で笑い、沈んでいる長虎を見やる。
「関係ねぇって、そんなの。長虎を見てみろって、下虜の女に振られて落ち込んでいるんだぞ?」
「振られていないよ、健吾。失敬だな」
 長虎がバッと顔を上げると、険しい表情を作り、手に持ったお猪口をぷるぷると震わせた。
「嘘つけ、好きになってくれなくて、わんわん泣いたんだろう?」
 健吾に真実を突きつけられて、長虎はカッと顔を真っ赤に染めた。
「嘘、嘘、嘘〜、やだ〜長虎が? 信じられない〜」
 綾乃が目をきらきらさせて、ずいずいと長虎に近寄り、にやりと笑んだ。
「綾乃さん……楽しがってますね?」
「だってぇ、長虎が振られるなんて……これまで女を袖に振ってきたバツよ。くくく」
 長虎がぐいっと酒を飲み干し、手酌でお猪口に並々と注いた。
「でも、なんでさぁ、下虜と知り合うわけよ?」
 綾乃の質問にぴたりと長虎は止まり、涼しい視線を健吾に向けた。
「まさか……健吾が関わってんの?」
 綾乃の目がすうっと細められると、健吾が焦りを瞳に刻みつけ、頬をひきつらせる。
「いや、まぁ、あのだな……色々とあって……はは」
 健吾が誤魔化し笑いをあげて、にじり寄る綾乃から距離を取ろうとした。
「健吾、言ってやればいいじゃん。全部、今川義鷹が悪いって」
 アキが助け舟を出すが、雪と典子はハッと顔を上げて、時が止まったように固まった。
「今川……義鷹……」
 雪がぽろりと手からお猪口を落とすと、畳の上に酒が染み込んでいった。
「今川義鷹って言ったか? その下虜の名前はなんて言う?」
 震える雪の声にみんなが一斉に振り返り、視線が集中する。
「蘭……って名前だったよ。僕が好きな女性の下虜はね」
「蘭……」
 その一言だけを呟いた雪はわなわなと指先を震わせ、口元に手を持っていった。
「君……蘭のことを知っているのかい?」
 長虎の目つきが変わり、清冽な香りを漂わせて、じっと雪を見据える。
「そいつは本当に蘭なのか? 義鷹が見つけ出したのか……」
 長虎の質問にも答えず、ぶつぶつと独り言を繰り返す雪――。
「ねぇ、君に聞いているんだけど? 僕の蘭の知り合いなのかい?」
「僕の?」
 それだけは耳に入ってきたのか、雪は顔を上げて、視線をぶつけてくる長虎を睨み返した。
「お前のじゃねぇだろ。蘭は俺の女だ」
 ずばりと言い切る雪に長虎は眉をしかめて、ありありと目に見える怒気を孕ませていく。
「――ハッ……笑えるね。蘭は君のことなど一言も喋っていなかったよ。彼女は隠れ里にいたんだ。今川義鷹のことは知っていたみたいだけどね」
 長虎があざけ笑い、勝ち誇った表情で雪を軽く睨みつける。
「隠れ里……? 俺と離れてそんなところにいたのか」
 雪が納得したように言うが、長虎は気に入らないといった風に冷たい視線を向けた。
「僕の蘭のことを軽々しく口にしないで欲しいね」
 酒の入った長虎がゆらりと立ち上がり、雪をじっと見下ろす。
「お前こそ、蘭の名前を呼ぶな。呼ぶのは俺だけでいい」
 雪もふらっと立ち上がり、長虎と火花を散らしあった。
「おほ、いいぞ。喧嘩か?」
 健吾がにやりと不敵な笑みを浮かべ、一人で酒を飲んでいる。アキも喧嘩を見慣れているのかどうってことのない涼しい顔で見ていた。
「もう、あんたら、やめなよ」
 綾乃は呆れたように息を吐き出すが、それを見ていた典子が傍に置いている刀を手に取る。
 それにぎょっと目を剥く健吾とアキが立ち上がり、典子をたしなめた。
「お、おい、典子。やめとけって。洒落にならないぞ。それに、俺は強いから、そんな刀なんて意味ねぇぞ」
 健吾がそう言うが、典子はすでに雪を守る態勢に入っている。
「男の人が何人かかってこようが、腕を落とすぐらいの剣技はあります」
 緊迫した空気が辺りを包み込み、一触即発になろうとした時、雪がちっと舌を打つ。
「止めろ、典子。俺らは綾乃に世話になってんだ。恩を仇で返す気か?」
 雪に止められ、典子は殺気を沈めると、スっと刀を鞘に戻した。
「君……何者だい? 普通じゃないね。その女性は君を守る護衛役……そこらの覇者でもそんな奴いないけど」
 長虎の深い瞳が雪を捉え、その正体を測ろうとじっと見つめてくる。
 雪は少しだけ顔をしかめるが、ここまでかと観念して、一つ息を吐き出した。
「俺の本名は織田信雪だ」
 雪が正体をばらしてしまい、綾乃はあちゃ〜と額に手を当てた。
 健吾と長虎、アキの三人は目を剥いたまま固まっている。
 しん――とその場が静まり返ってしまい、数秒間沈黙を落としたままであった。
「待ってくれないか……じゃあ、蘭と君の関係は?」
 ようやく我に返った長虎がそろそろと言葉を吐き、雪と蘭の関係を問いただす。
「蘭は……俺の花嫁だ」
 それを聞いた瞬間、長虎がふらっと優雅に立ちくらみを起こした。
「おいおい、まじかよ」
 次に口を開いたのは健吾であって、黙っていた綾乃をじろっと睨みつける。面倒なことをして――健吾の視線にはそう言った意味が含まれていた。
 綾乃が苦笑いをして、胸の前で両手を合わせると、ごめん――と口パクで謝る。
「そういえば……蘭は記憶がないって言っていた……ごめん……僕……今日はもう横になりたい」
 長虎が悲痛な声を絞り出し、畳の上で重苦しい溜息を吐き出した。
「ねぇ、これどうするの? やばくない?」
 アキはおろおろするだけで、困ったと可愛い顔をしかめる。
「言っておくけど、健吾! 少年覇王には告げ口しないでよね。分かってる?」
「綾ねぇ……どうするんだよ、これ。知っているんだろ? 俺たちが三家に盛り込まれそうなこと」
 すっかり酒が抜けてしまったのか、健吾が長い溜息を吐き出し、その場に腰を下ろす。
「済まないな、俺たちはここを出ていく」
「ま、待ちなよ。あんたたちは自分の立場が分かってんの?」
 綾乃が雪と典子を押しとどめると、健吾がにかっと豪快な笑みを浮かべた。
「別にいいんじゃねぇの? ここにいれば。綾ねぇは出て行って欲しくないみたいだしな」
「ば、馬鹿、健吾! 別に私はねぇ……こいつより、そ、そう、典子が心配なのよ!」
「そ、そうだな! 典子が俺も心配だ。絶対にここにいるべきだ、よし、俺が守ってやらないとな」
 健吾が典子を見つめてにへへと締まりなく笑うと、雪は困ったように顔をしかめる。
「確かに、典子はここにいたほうがいいな」
「覇王! 私はずっと忠誠を誓っているので、お側を離れるわけにはいきません」
「大丈夫だ、典子。俺は少年覇王に告口する気はない。秘密があるぐらいが楽しいだろ」
 からからと笑う健吾にまた始まったとばかりの視線がじとっと集まる。
「本当に健吾ってば、そういうの好きだよね。はぁ〜呆れる……」
 アキがぽりぽりと頭を掻いて、健吾と長虎の間にちょこんと座り込んだ。
「え〜と、雪之丞……じゃないや……信雪……健吾は嘘はいわない奴だから、ここに居ていいよ。ほら、座んな」
 綾乃がそう言うと雪と典子が視線を合わせて、その場に腰を下ろした。
「済まないな……綾乃……それと……出来れば蘭の行方を知りたいんだが、協力してくれるか?」
 雪の言葉に綾乃は一瞬だけ翳りを落とすが、すぐさまにかっと笑みを浮かべる。
「出来る限りはやるけど……相手は今川義鷹でしょう? 敵に回れば面倒臭い奴だけど、この綾乃様に任せておいて」
「僕も蘭を探すよ。言っておくけど、僕だけの為にね」
 長虎が顔を上げて雪とばちりと視線を合わせる。雪はそれに応えて、冷たく見据えた。
「蘭に会える……? だったら、ボクも協力するよ」
 アキがゆらりと瞳に怪しい光を滲ませたことには、雪も長虎も気がついていなかった。
「俺も……あの里から連れ出しちまったから、何か情報が掴めたなら情報を流してやるよ。ということで、仕切り直しだ。飲むぞ!」
 健吾がみんなのコップに酒を豪快に注ぎはじめ、一気飲みを開始する。
 それを見て雪も喉に流し込むと、次々と飲み始め、その夜はどんちゃん騒ぎとなった。
――蘭……もう少し待っていろ
 雪はそれだけを思い、今までの苦しさを拭うようにその日は酒をくらった。







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