河畔に咲く鮮花  

第四十九輪 公人の愚行


 
 
「志紀、公人がいない」
 アユリが形相を変えて部屋に入ってきた瞬間、志紀は眉根を寄せる。
 すぐに席を立ち、家の門番である源太に声をかけると、朝早くに出て行ったまま帰ってきていないと教えられた。
 アユリの言っていることは、家にいない――だけではなく、この人魚の里に姿が見えないということなのだろう。
 どいつもこいつも勝手な行動を取りたがって困るものだ。志紀は腕を組んで、しばし考えるが、仕方なく公人を連れ戻すことに決める。
 公人はすでにこの人魚の里の一員であり、蘭に任せられたのだ。
 徳川家朝と会見するまでに、余計な波を立てたくはなかったのだが……。
 公人がどこにいったか、大体は想像がついている。
 あの後、姉小路家を調べて、誰の元で飼われていたか知った。
――いいのか、公人……そんな女のところに行っても
 覇者として有力者ではあるが、素直に協力してくれるとは思えない。
 斎藤蝶子――公人の雇い主でもあった、その女のところへ協力を求めに行ったのだろう。
「俺も舐められたものだな」
「志紀はずっと、存在を隠していたんだから、仕方ないよ」
 珍しくアユリがフォローを入れてくれて、志紀はふっと苦笑する。
 アユリにまで心配かけさせるとは――公人め。
 そう思いながら、アユリを取り戻してきた頃を懐かしく思い出す。
「斎藤の姫様など、いい噂は聞かないぞ。公人め、自ら地獄の門を叩いて、手間のかかる奴だ」
 志紀は頭をわしゃわしゃとかき乱すと、久々の下界――人魚の里の外へ出ることを決意した。
「志紀、俺も行く」
「お前は留守だ」
 アユリが目をきらきらさせて、公人を一緒に迎えにいくと言うが、どこかゲーム感覚でモノを言っているのだろう。すぐに却下したが、アユリがそんなことで大人しくするタマではない。
 一人にさせるほうが危ないと思い直し、仕方なく連れていくことにした。
「面倒はかけるなよ」
「やったね。もしかして、覇者街に行くってこと? なんかわくわくするな」
 遠足気分のアユリは終始、目を輝かせていたが。志紀ははぁと溜息を一つ吐いて、やれやれと肩をすくめた。
 和葉は義鷹の元へ潜入させているし、秋次は動かせない。
 とすると、残るは鬼龍院京之介しかいない――。
「あいつか……腕はいいんだが……まぁ、先に様子を見させるか」
 志紀はおもむろにそう言って、京之介に連絡をすべく、部屋へ戻って行った。

***    
   
 いつもなら忙しくてアポなしの客など絶対に会うことないだろう。
 しかも貴族など格下の相手が来たとしって、すぐに門前払いをくらいそうになったが、名前を伝えて欲しいと頼んでみた。
 誰かと会食をしていたらしい蝶子は、公人の名前を聞いてすぐさま戻ると言ったそうだ。
 公人は斎藤家のリビングに通され、無駄に金をかけた豪奢な椅子に腰掛けている。
 やたら金の装飾をされた煌びやかな調度品や、広間に吊るすような大きめのシャンデリア。いつ弾いているのか分からないような、高級なグランドピアノが置かれてある。
 蝶子が弾いているところなど一度も見たことがない――いや、サロンパーティが開かれる時はピアニストを呼んで観覧していた記憶があった。
 それも全て随分と昔のことのように思えて、公人は部屋の中を眺めながら目を細める。
――尚早すぎたかもしれない
 蘭が上杉健吾に連れていかれ――その後はどこか覇者街にいるだろう。同じ街に入った公人は蘭を探すべくここまで来た。
 志紀の正体を知ったとしても、ずっとおんぶに抱っこは嫌だった。
 自分の出来ることをやりたいと信念を持って、行動を起こしてしまったが、急に不安に駆られる。
 蝶子が協力してくれるかどうかが怪しい。
 それでも有力者である斎藤家は色んな情報網がある。きっと上杉健吾のことも知っているだろう。蘭を連れ戻せるなら、公人はこの身がどうなろうと構わない。
 蘭が人魚の里を守るために、自らを犠牲にして去っていってしまった。
 その時に公人は指を咥えて見ているしかできなかったのだ。
 守る――ナイトになると決めたのに、蘭の後ろ姿を見送った時は心臓が切り裂かれそうになった。結局、身を挺して里を――公人を守ったのは蘭の方だ。
 今はどこで何をしているのだろうか。
 また覇者の駒になり、苦しんでいるのではないのかと思うと、すぐにでも助けに行きたくなった。
 それでもどこにいるのかが分からなければ動くことすら出来ない。
 早く居所を見つけたいと気だけが急いてしまう。
 いつのまにか苛々と貧乏揺すりをしていたことに気がつき、みっともないと足を止めた。
 そうしていると――
「公人、公人はどこにいるの?」
 甲高い声が廊下から聞こえてきて、公人は自然に姿勢を正す。
「公人っ!」
 蝶子らしくもない、焦った様子でドアが大きく開かれた。
 さっと立ち上がり、振り返っては蝶子を見つめる。
 蝶子の大きな瞳に驚愕が刻まれ、その場で固まったままになった。
「お久しぶりでございます、蝶子様」
 公人は貴族然とした落ち着き払った声で蝶子をみやった。
「き、公人――」
 死者でも見たのかというぐらい青ざめた顔で、蝶子はよろりと部屋に入ってくる。
「ゆ、雪様は? 雪様はどこ? 雪様っ?」
 蝶子は公人から目を離し、広いリビングを歩き回った。それに驚いたのは公人の方である。
――蝶姫が、覇王の安否を気にするとは
 権力だけが欲しいから名ばかりの政略結婚に同意したのだと思っていた。だが蝶子の慌てぶりを見るとそこには――心、愛があったのだと気づかされる。
 本気で覇王を愛していたなど誰が想像出来るだろう。屋敷にいた時は、貴族の息子に夜伽をさせていた。
 あれは一切、触れてくれない覇王へのあてつけだったのかもしれない。 
「公人! 雪様は? ねぇ」
 蝶子がよろよろよしだれかかってくるように公人の腕にすがってくる。その身体は微かに震えていた。
 よく見れば以前より痩せているようにみえる。大きな瞳が見上げてきて、「雪様はどこ?」と語ってきた。
「申し訳ありません。信雪様の安否はわかりかねます」
 首を横に振ってそう言うと、蝶子は顔をざっと青ざめた。そして、へなへなとソファへ力なく座り込む。
「雪様……」
 蝶子は魂が抜けたようにがっくりと肩の力を落とした。公人はソファに座ることなく高級な絨毯に膝をつき、蝶子を見上げる。それを訝しげに見つめてくる蝶子。蝶子は権力に縋る愚かな者だと思っていたが、決して頭が悪いわけではない。
 公人が何を求めてここにきているのか、薄々ではあるが気がついているだろう。 
「公人……今更かしずいたとして、この私が用件を飲むとでも?」
 そこには裏切りものという嫌味を含む言葉が込められていた。それでも雪の安否が分からない今は、覇気がないように見える。
「無茶は承知しております……それでも蘭様を助け出したいのです。お力をお貸しいただけませんでしょうか。この公人、どんなことでもいたします。どうか、蝶子様」
 公人は絨毯に額をこすりつけ、プライドをかなぐり捨てて蝶子に慈悲をもらおうとする。
 蝶子が一瞬だけ躊躇い、ぐっと喉を鳴らす音が静まり返った部屋に響く。
「もう一度私のもとへ戻り、奴隷として仕えるなら考えてあげてもいいわ」
 蝶子の要求を飲まないと協力はしかねるということだ。借金のカタはついた今、公人には蘭のためになにもかもを捨てて、誠意を見せろと言ってきている。
 だけど公人は一瞬の躊躇いもなく「仰せのままに」と強い口調で返した。
「そう、あなたはそう言うと思ったわ」
 蝶子の細く尖った足のつま先が公人の顎を捉え上向かせる。
「舐めなさい」
 薄いストッキングを履いたままの指先が公人の口元で止まった。屈辱的な扱いにちりりと胸が痛むが、それすら押し隠してつま先を口腔に含む。
 心はここにないが、蝶子の機嫌を取るべく丁寧に舌を這わせて舐めつくす。
「ふっ……はは……あははははっ」
 蝶子の甲高い笑い声も気にすることなく、指の一本一本を舌を使って止めろと言われるまで公人は尽くした。








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