河畔に咲く鮮花  

健吾と雪



上杉健吾は恐ろしく不機嫌極まりない様子で、自分の実家へと戻って来た。
 長虎の屋敷で今川義鷹にまんまと出し抜かれ、健吾は苛立ちを増す。
――どうする? 少年覇王に言うべきか
 健吾は蘭こそが、義鷹や少年覇王を動かす中枢にいる女だと睨んでいた。
 はじめは徳川の別宅で住んでいる、稲穂に似ていると思っていたが、その考えは逆だったのだ。
 稲穂こそが、蘭に似ている変わり身だったというわけだ。
 だが、確信はなくその一歩を踏み出せない。
 ただの下虜だというのに、蘭は一体何者なのだろうか大体、蘭がいたのは、こそこそと世間から隠れて暮らしている暗い森の奥の住人のはずだ。
――分からない……接点が見つからねぇ
 こんなことなら、もっと覇者の世界に足を踏み入れて情報を入れておくべきだったと後悔する。
 あの恐ろしい美貌の志紀という青年が統治する、隠れ里を馬鹿にはできなかった。
 あの男は、あの男で何らかの力があるように思えて、うすら寒く感じたものだ。
 上杉家という名があっても、隔絶された世界で暮らす隠居じじいのような生活で。
「けっ……何だかなぁ」
 長虎は蘭が去った後に、腑抜けになってしまい落ち込んでしまった。
「恋ってあんなに人を弱らせるのか……あの長虎がねぇ」
 長虎には悪い気がしたがその落ち込みようが激しいので、健吾は裏で笑ってしまった。
 アキに笑っちゃ駄目と怒られたが、おかしいものはおかしい。
 あれだけ女をたらし込んでいた男が、あのざまだとは。
「仕方ねぇ、全部あの長虎が女を持っていっちまうんだ。そのぐらいは償ってもらわねぇとな」
 自分が目当てにした女が長虎に熱をあげ、全部そっちにいってしまう。
 その恨みが多少なりともある健吾は、ざまぁねぇと笑うだけだ。
 だが、それは冗談で笑って済ませられるが今回の事件は違う。
 子供の時からの親友が、貴族程度の男にこてんぱんにやられ憔悴しきっている。
「あいつを……どうにかしねぇとな」
 健吾が今川義鷹を思い浮かべたが、どう対処していいかが分からないのが本音だった。
 恐ろしいほどのキレ者で、それをあっさりと遂行する冷酷さも兼ね揃えている。
 今川義鷹は、まさに怪物だった。
 蘭を傷つけた静音はもう――気が狂うまで拷問されるであろう。
 殺してくれた方が楽だと思うくらい、静音は恐ろしい地獄から逃げ延びることは出来ない。
「いけねっ、寒気がした」
 静音のことを思うと少々、可哀想な気もしたが女をそんな風に乱暴に扱う奴は男として許せなかった。
 自分は強引で粗暴だが、女に暴力を奮ったことはない。
 そんなことをしようものなら、姉の綾乃に何をされるかが分からなかった。
「おお、こわ……綾ねぇの方が怖いわ」
 その昔、上杉家の領土で女を弄んだ男が綾乃にあそこを切られそうになる事件が勃発した。
 それを止めるには止めたが、数秒遅れたら男のアレはちょん切られていたであろう。
「ふぃ〜こえっ……」
 健吾がそれを思い出し、ぶるりと大きな背中を震わせた。そうこうしている内に
健吾は姉の綾がいる部屋の前までやって来た。いつも通り、ノックもせず健吾は襖に手をかけた。
「綾ねぇ、今帰った――」
 ぱしんと勢いよく襖を開いて、健吾が目を大きく見開いた。
 布団には知らない男が寝ていて、その隣に座っている綾乃がご飯を口に運んでいる。
「あ、あんた、部屋に入る時はノックぐらいしなさい」
 綾乃が驚いて振り返るが、健吾は唖然としたままだった。
「あ、綾ねぇが男を連れ込んで……しかも、面倒を見ているだとう!」
 健吾がふるふると身体を震わせて、ショックを受けたようにその場で固まった。
「……綾ねぇに……男が出来ただと……明日はヤリが空から降ってくる……」
「あんたは馬鹿かっ! ヤリが降ってくるわけないでしょうがっ」
 綾乃は枕をぱしっと投げつけ、健吾が顔でそれを受け止める。
「え〜と……綾乃さん……こちらの方は……」
 その隣で恐縮しながら一人の美少女が健吾を窺った。
「お、おい、その清楚可憐な子は誰だ?」
 健吾が震える指で、その少女を指す。
「あ、この子は私の友達、典子。んで、典子。この馬鹿面が弟の健吾」
「は、はじめまして」
 綾乃がさらりと紹介するので、典子は慌ててお辞儀をした。
「まじか……綾ねぇの友達にこんなにすれていない女がいるのか」
「あんた、失礼なこと言わないでよ。私もすれてないっての」
 綾乃がぎろりと睨むが、健吾はにへへと締まりなく笑う。
「……で、こっちの男が……信雪……いや……えっと……雪……雪之丞……」
 綾乃がしどろもどろに紹介すると、雪之丞と呼ばれた男はぶふっと飲みかけのお茶を吹いた。
「おい……もっとましな名前はないのか?」
 雪之丞――雪は綾乃に囁くが、綾乃はおかまいなしでさらりとしていた。
「本当の名前を言ってもいいけど、今は面倒くさいでしょ」
 ひそひそと囁きあう二人に健吾が呆気に取られる。
「綾ねぇに男が……それによくみればいい男じゃねぇか」
 健吾がじっと雪に視線を送り、舐めまわすように見つめた。
「俺はこいつの男じゃねぇ……」
 雪が不服そうに顔をしかめて、じろっと健吾を睨み返す。
――なんだ、こいつ? 覇者か?
 その眼光にただならぬものを感じ、健吾の顔が一瞬で変わる。
「おい、雪之丞……お前、どこの奴だ」
 健吾がすっと口調を変え、雪を静かに見下ろした。
「俺は……」
「こいつはただの放浪者……権力も財力もないただの男だよ。ね、雪之丞」
 綾乃が雪の口を塞ぎ、けらけらと誤魔化し笑いを立てる。
「はぁ? なんだそりゃ……下虜でもねぇってか」
 健吾が怪訝そうに眉をひそめるが、典子が気を回しすっと歩み寄った。
「あの……お茶を淹れたのですがどうでしょうか?」
 典子が可憐な笑みを浮かべると、健吾は一気に口元を緩める。
「お、俺にか? そうだな、飲もう。よし、あっちに日当たりのいいところがあるから、そっちへ行くか」
 健吾は意気揚々と典子と一緒にその場を去っていく。
「ふん、愚かな弟よ」
 それを見て綾乃はシメたと不敵な笑いを漏らした。
「おい、勝手にここに連れて来て正体も明かさずにいろと言うのかよ」
 雪が不満そうに言うが、綾乃がちっと舌打ちした。
「あんた、分かってるの? 一般市民街に徳川の手の者が探しにきたでしょ。あのままあそこにいれば捕まっているわよ」
 それを聞いた雪は急激に怒りを収めて、肩の力を抜く。
「本当に……ともが……覇王になったのか……」
 誰に問うまでもなくぽつりと吐き出された雪の声。
「そうよ。それに典子から聞いた話だと、少年覇王はあんたを裏切った、そうでしょ? 捕まったら……きっと……」
 綾乃がそれ以上に言うべきではないと思ったのか口を閉ざす。
「何でお前は俺を助ける?」
 力なく問うた声に綾乃はぽりぽりと頭を掻いた。 
「うーん、わかんないけど……困った奴を見過ごせないというか、なんというか。それに上杉家が御三家に組み込まれそうで……色々と大変でね」
「で……俺から情報を引き出そうって魂胆か?」
「あんた、性根が曲がっているわね。この綾乃をみくびらないで」
 綾乃が怒りなから雪をじっと見据える。
 雪もその視線を受けて、負けじと見つめ返した。
「……と、とにかく、乗りかかった船よ。典子には助けられたし、今度は私が助ける番。病人は大人しく療養していなさい」
 雪に見つめられて綾乃は頬を赤く染めると、距離を保つ。
「だから、まずは栄養を取って……」
 急にしおらしくなると、綾乃はスプーンでご飯をすくい雪の口に持っていった。
「……世話になるな」
 雪はそれだけをぽつりと言って、ぱくりと口に含んだ。
 その様子を綾乃はぼうっとしながら、見つめている。
「なんだ?」
「べ、別にあんたに見とれてなんかいないわよ。まさか噂の覇王がこんなに格好いいなんて……いや、違う違う。私のタイプで、どストライクって……だから違うわよ」
「は?」
 雪が怪訝そうに見るが、一人で慌てる綾乃はじたばたと手を振り回していた。
「おい、暴れるからご飯粒が髪にくっついたぞ」 
 雪が呆れる溜息を吐き出し、そっと髪にくっついたご飯粒を取り除いた。
「――っ」
 綾乃が目を剥き、緊張で体を固まらせる。
「あ〜もったいねぇ」
 だが雪はそしらぬ振りで、ご飯粒をぱくりと口に運んで食べた。
「〜〜っ」
 綾乃がぱくぱくと口を動かし、顔を真っ赤にして慌てて立ち上がる。
「お、お茶を取り替えてくる」
「は? まだお茶はあるだろ」
 雪がなみなみ入っているコップのお茶を見つめるが、綾乃は顔を真っ赤にしながらぶんぶんと首を振った。
「いいから、いいから、あんたはそこにいて」
「あ、おい」
 雪が制するのも待たずに、綾乃はあっという間にその場から走り去って行く。
「なんだ、あいつ……慌てて」
 雪はおかしな奴だと見送った後に、静まる部屋の中で、暗い翳りを顔に落とした。
「……蘭……どこにいる……」
 それだけぽつりと吐き出した声は、このしじまに溶けて消えていった。






 





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