河畔に咲く鮮花  

第三章 三十五輪の花 1:義鷹との再会


 

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 志紀は三度目になる義鷹との面会をしていた。執拗に訪れて蘭に会わして欲しいという。
 いくら来ても追い返そうと志紀は心に決めている。
 義鷹は以前のようにこの里を取り潰すなどと乱暴な言葉は吐かなかった。
「何度来られても同じです、今川殿。蘭に面会させる気は毛頭ございません」
 志紀はあくまで態度を崩さずに、義鷹に面を向かって言い切る。
 義鷹は一つ息を吐いて、まっすぐに志紀を見つめてきた。
「あなた様の真のご正体は知っておりまする。私も調べてみました。この里のことを」
 義鷹が鋭い目で射てきて、志紀は僅かに肩を震わせる。
――この志紀の正体が分かっただと?
 ぴくりと頬を引きつらすが、義鷹はその続きの言葉を放った。
「正式名称は、法明院天音ノ宮(ほうめいいんあまねのみや) 志紀(しき)様でござりましょう」 
 志紀はその名前を聞いて、ざっと顔色を変える。
――よくも、調べたものだ
 なにも言わない志紀を見て義鷹は綺麗な顔を崩した。
「私は長い間、あなた様をお探ししておりました。このような場所に隠れ住んでいらっしゃるとは」
 義鷹に毅然とした態度はもやはない。志紀を敬い、すがるような面持ちで、懇願してくる。
「志紀様、お願いいたします。蘭をこの里から連れ出すことは致しません。ただ、会わせて欲しいのです。そして、あなた様にもお願いがあって、ずっとお探ししていたのです」
志紀ははっと目を瞠った。義鷹は上等な着物を着ているにも関わらずに、その場に跪く。
「これは蘭の為でもあるのです。どうか、志紀様。この私の話をお聞き下さい」
 ――蘭の為だと……?
 志紀の心に僅かな隙が生じる。自分が愛しいと思う蘭の為に、この貴族の男は汚れるのも平気で、土の上に跪く。
 なにがそこまでこの男の気持ちを掻き立てるのか。
 志紀がまだしぶっていると、義鷹はそれ以上に驚く行動に出た。
「志紀様、どうかお願いを聞き入れていただきたく存じます。そして、なにとぞ蘭に……蘭に面会の許可を」
 義鷹はそのまま姿勢を崩して、土下座する格好を取った。染み一つない滑らかな額を躊躇ないなく土につけてはお願いしてくる。
 繊細で綺麗な髪も土にまみれているが、義鷹はお構いなしだ。
 志紀はそれほどまでの強い意思を読み取って、驚きを瞳に刻みつける。
 貴族の、それもトップの権力者がひれ伏すなど考えられないことだ。
 浮世離れした貴族達は、汚れるのも、まずいものを食べるのも拒む。世界から口に合うものが消えても、他のものに目を向けることがない。
 口に合わないものを食するくらいなら、死んだ方がましだと考える。そんな美と優雅さを好む貴族が、志紀に土下座して、土に額をつけるとは天変地異もいいところだ。
 義鷹はどうやら志紀がうんと頷くまでそれを止めないらしい。
 このまま放っておいても、義鷹はずっとその態勢のままでいるに違いなかった。
 志紀は呆れてしまうと同時にこの男に対する認識が変わる。
 ここまでの男が泥まみれになってまで、必死にお願いを乞う姿はどこか美しく潔かった。
 ただの権力に追いすがる、甘ったれた若様だとばかり思っていたのに。  
 なんでも実力行使に出る、権力主義者だと思っていたのに。
 志紀ははぁと深く溜息を吐き出して、義鷹の意気込みに折れる。
「……話を聞いてやってもいい。それが蘭の為だというなら。付き人は外で待たせて、今川殿だけ来られるがいい」
 義鷹はようやく顔を上げて、信じられないとばかりに目を開く。
「男に二言はない、さぁついて来られよ」
 くるりと背を向けた志紀に義鷹のありがとうございます、と小さな呟きが飛んできた。
 志紀はそれに答えることなく、人魚の里へ義鷹を招き入れたのだった。



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 蘭とアユリは相変わらず、紅葉狩りをしていた。
 毎日、舞い散る紅葉は狩っても、狩っても、数が減ることはない。
「あ〜もう、やだ、やだ! やってらんないよ!」
 アユリが癇癪を起して、地面に敷き詰められた紅葉をバッと宙に投げ放つ。
 そして、木の幹に手をついてはゆさゆさと揺さぶり、わざと紅葉を散らした。
「こらっ、アユリ! 真面目にやんなさいよ! そんなんだから、いつまでたっても終わらないのよ」
 蘭はいつもこうして、アユリに小言を並べる。だけど、集中力を切らしたアユリが言うことを聞くわけがない。
 移動しては木の幹を揺らして、紅葉を散らしていく。
 紅い視界の中で、かさりと葉を踏み締める音がした。
 もしかして志紀が様子を見に来たのかも知れない。
 蘭は慌てて、そちらの方向へ視線を向けた。
 はらり、はらりと紅い葉が視界一面に舞う中、時が止まったように蘭はそこに立ちつくす人物を見つめた。
 同じようにその人物も、紅葉が舞い散る中、蘭を見つめている。
 流れる長い髪が太陽の光を透かして、美しく発光しているようで――つい蘭は見入ってしまう。
 それは刹那ほどの数秒だというのに、永遠とも思える時間。
 一陣の風がごぉっと吹き荒れて、紅い葉を嵐のように舞い散らす。
 視界が遮られるほどの紅い奔流の中、蘭はようやくその人物の名を口にした。   
「……義鷹様……?」
 そう呼ばれて呪縛が解けたように、義鷹は初めてぴくりと体を動かせた。
「蘭……本当に蘭なんだね……」
 義鷹はわなわなと体を震わせて、そろそろと蘭に近寄ってくる。
「……私のことは覚えているのかい?」
 義鷹が蘭の目の前まで来ると、不安げに表情を曇らせた。
「……はい……身売りした時に助けられて、お屋敷でお世話になったことは覚えています。ですが、その後のことはすっかり……」
 義鷹は苦悶を顔に浮かべて、言葉を詰まらせる。
「とにかく、集落街まで戻ろう。そこでゆっくり話をすればいい」
 そこで蘭は初めて義鷹の後ろに志紀がいることに気がついた。
 志紀はくいっと顎をしゃくって、背を向ける。
「……蘭姉ちゃん……」
 アユリが不快そうに眉をしかめて、蘭の袖をぎゅっと握った。
 蘭は再会出来た喜びと同時に、なにかしら不安のよぎる思いに表情を曇らせた。
 それでも、義鷹に会えたことを嬉しく思って、集落街へ戻って行った。






 





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