河畔に咲く鮮花  

第三章 三十四輪の花 2:夕食会


 
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 約束の夕刻の時間、ともは少しだけ遅れて稲穂達の前に姿を現す。
 別宅の地下にあるこじんまりとした部屋。
 だけど室内は豪奢で、シャンデリアや重厚なテーブルと椅子が置かれてあった。
 稲穂が余った花を花瓶に活けてくれて、テーブルの中央にも置かれている。
 すでに稲穂といちるは席に座り、ともと客人を待っていたようだった。
 ともは、義鷹と仕事の打ち合わせをした後に、この気軽な軽食会に招く。義鷹はともと一緒に食事ルームへ足を運んだ。
 実はともには思惑があって、義鷹をわざとこの会へ出席させる。
 稲穂を見て、どんな態度を取るかが目的である。
――蘭おねーさんに似ていると思うだろうか
 その様子を見るべく、ともは義鷹を稲穂といちるに紹介した。
「今川義鷹と申します」
 義鷹は貴族らしく優雅にお辞儀をすると、にこりと極上の微笑みを湛えた。
 ともはじっとその様を観察する。だが、義鷹に不思議と焦った様子はなかった。
 いつもと同じ貴族特有の表面上の笑みに翳りは見えない。
「ひゅー、やばい、美麗な男! 女みたいだね、稲穂。そこらの女より綺麗じゃん。ねっ」
 いちるは軽く口笛を吹いて、正直に物を言う。稲穂は目を見開いて、慌てていちるの腹を肘で小さくこづいた。
「ふふふっ。雑賀家のいちる姫は楽しい方でいらっしゃる。お褒め下さるのは嬉しいですが、いちる姫のような美しくも、可憐な花には負けまする」
 義鷹の世辞が炸裂すると、さすがのいちるもぼっと顔を赤らめて言葉を失う。
「――こちらが、本多家の稲姫様ですね。ええ、これは本当に清楚で気品溢れるお美しい方だでいらっしゃる」
 いつもの調子ですらすらと美辞麗句を湛える義鷹を見てともは少しだけ怪訝な顔をする。
 稲穂を見て何とも思わないのか。
 余裕すぎる義鷹を見て、疑問に思う。
 いつもなら、蘭に関することになると、冷静な男が急に取り乱すというのに。
 それとも、ともなどより切り替えが早いのだろうか。
 すでに蘭のことは死んだ――ものとして、前を見て歩いているのだ。
 もちろん、とももずっと過去にこだわるのは良くない。
 未来を見て、進まなければならない――そう思って、この稲穂を傍に置いている。
 蘭の変わりになるとは思っていないが、蘭意外の女に目を向けたことでも進歩だと信じたい。
 それでもまだ彼女に対して、欲情したことがないのも真実だ。
 もう少し様子を見るか――ともはそう思い、席につく。
 義鷹も席に着いたところで、ともはわざと花瓶に活けられた花に話を振った。
「見て、義鷹。稲姫がこの花を活けてくれたんだ。綺麗だと思わない?」
 義鷹の視線がゆるりと花瓶に向き、活けられた花を目にする。
「その鮮やかな赤い花、知ってる? ねぇ、なんだっけ、稲姫」 
 ともに話題を振られて、稲穂は一瞬怪訝に眉をしかめるが、花の名前を呟く。
「はい、家朝様、それは蘭の花でございます」
 義鷹の目が大きく見開き、一瞬だが動揺を見せたことをともは見逃さない。
――義鷹の表情が崩れた……僕は見逃さない
「この花さぁ、綺麗だから今度本家の庭で育てようと思っているんだ。いいと思わない、義鷹?」
 ともはもっと揺さぶりをかけようと、義鷹を煽る言い方をする。
 だが義鷹はふっと表情を緩めると、柔和な笑みを浮かべた。
「それはいい考えですね、とも様。香りも良いですし、この私も家で植えてみましょうか。赤い蘭の花は初めてですし」
 義鷹は終始変わらぬ様子で、にこやかな笑みのまま。
――どういうことだ?
 蘭のことがあまりに辛すぎて、防衛反応が働いているとか。
 もう、思い出したくない過去の話にしているのか。
 じっと見ていたが、義鷹の心の内は読めなかった。
 義鷹が意識的に感情を閉ざしているなら、ともでさえもそれを見破ることが出来ない。
 その内に、ワインやキャビアにチーズなど、手軽に食べられる食事が運ばれてくる。
 ほとんどいちるが喋り、それに愛想よく答える義鷹。
 たまにともが話に割って入っては、稲穂がにこやかに頷く。
 夜も更ける頃、酒が回ってきたいちるが大胆な発言をした。
「家朝様、今日は遅いからこっちに泊まっていきなよ。稲穂の寝室があるしさ」
 それは暗に稲穂と一夜を共にしろという提案である。
 いつまでもともから声のかからないことに業を煮やしたのだろう。
 いちるは世話を焼いて、そう発案したのだ。
 ともは一瞬だが、翳りを顔に落とす。
――僕が稲姫と夜を過ごす?
 前へ進むと決めたのは自分のはずなのに、まだ踏み切れない部分がある。
 ともが黙ってしまったまま、じっとワイングラスに視線をおとした。
――どうやって、答える?
 女性からの誘いを断るなどしてはいけないものではあるが、ともの気持ちは乗っていない。
「い、いちるっ……そんなことっ……」
 稲穂が慌てていちるの口を塞いで、申し訳ありませんと謝ってきた。
「……よろしいのではないでしょうか。とも様も公務ばかりでお疲れでしょうし、たまには稲姫に癒していただければ」
 義鷹がワインを飲む手を止めて、いちるの話に便乗してくる。
それに驚いたのはともであった。
 まがりなりにも蘭に似ている女をともに抱けと言うのは、本当になにも感じてないというのか。
 義鷹なら蘭に似た稲穂を横取りしにかかってくると思ったのに。
 だから、夜の営みなどもってのほかで、阻止してくる――そう思っていた。
――本気で言っているのか、義鷹?
 ともの困惑した顔を見ても義鷹はにこりとたおやかな笑みを浮かべているだけで――。
「とも様も少しはご休憩した方がよろしいのでは」
 義鷹がもう一度、夜を共にすることを進めてきて、ともはぐっと押し黙る。
――別に抱くぐらいどうってことない
 そう思うのだが、胸がちくちく痛むのは何故だろうか。
 馬鹿みたいに蘭に操を立てて、他の女と寝ることに躊躇している。
 覇王ともなる者が、そんなことでうじうじ悩んでいることが情けなくもなる。
 ともは静かな溜息を吐き出して、決意した瞳を上げた。
「そうだね。疲れているし稲姫に癒してもらおうかな」
 それを聞いた稲穂がぼっと顔を赤らめて、白い頬に手を持っていき熱を冷ます。
「よし、決まりっ! 家朝様、今日は帰ったら駄目だからね」
 いちると義鷹が勝手に話を進めて、ともは別宅に泊まることになってしまった。
――ただ抱くだけ……
 それで稲穂を好きになれば、ともにとっても悪い話ではない。
 瞼の裏に浮かぶ蘭の顔を思い出すが、無理やり取り払った。
――そう、僕は前に進むと決めたんだから
 別に童貞でもないし、もう誰と寝るということに、こだわる必要はない。
 ともは、ワインをぐいっと煽ると、今晩稲穂と寝ることを決意した。






 





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