河畔に咲く鮮花  

第三章 三十一輪の花 1:結ばれる月の夜


 蘭はフラッシュバックから意識を取り戻し、いつものように人魚の里で働いていた。
 志紀はもう少し休めと言ってきたが、体も悪くないのに一人で休むわけにはいかない。
 どうして気絶したかも分からなくて、それについて公人に問いただしても教えてはくれなかった。
 季節は――秋。 
 いつの間にか里には紅葉が咲き乱れ、紅や黄色で目を潤わせてくれる。
 人魚の里に来てすでに四ヶ月が過ぎ、すっかり生活にも順応出来た蘭は毎日が楽しい。
 のどかで何もないところだが、この里には安らぎがあった。
 心が凪ぐような静かで落ち着く気持ち。
 そしてそこに暖かい気持ちを芽吹かせてくれた志紀の存在。
 志紀のことを知り、いつの間にか好きになっていた。
 傲慢だと思っていた青年は、本当は心根が優しく、器も大きい。
 蘭と公人を受け入れてこの里に住まわせてくれて、仕事も与えてくれた。
 志紀といると安心して、幸せな気分に浸れる。
 志紀の愛するこの里を蘭も愛して、守って行きたいと思った。
 ここは本当に綺麗で、美しい世界――
 はらりはらりと舞う紅い葉の中に、里の者に指示を与える志紀を見ては胸をときめかせる。
 蘭に気がついて、流れてくる目線も、少しだけ微笑んでくる仕草の全てに胸が締めつけれて――愛しい。
 だが見惚れてばかりではいけない。
 志紀はすぐにしかめっ面をして、蘭に手を動かせろと催促してきた。
 それを見て蘭は手を動かせて、仕事に没頭する。
 一日の仕事を終えて、食卓では公人とアユリを交えて一緒に会話に花を咲かせる。
 いつものように過ごして、お風呂に入った蘭は部屋へ戻るが、
 久々に志紀から呼び出し鈴が鳴って慌てる。
 最近は志紀のマッサージはなかったのだが、して欲しいのだろうか。
 仕方なく蘭は志紀の部屋へ足を運んだ。
 掃除をしても志紀はすぐに仕事用の紙や荷物をどこにでも置いて、すぐに散らかる。
 足の踏み場のない床を歩いて、志紀の待っているであろう寝室へ入った。
 志紀はぐったりとベッドに寝そべり、マッサージを頼むと淡々と言い放つ。
 蘭ははいはいと頷いて、志紀の肩や腰を揉み始めた。
 窓は開け放たれていい風が舞い込んで来る。
 月も段々と満ちてきて、淡い光が部屋をほんのりと明るくしていた。
「蘭、今日はそこまででいい」
 まだ始まって数分しか経ってもいないのに志紀はそんなことを言う。
 目を丸くしている蘭の前で、志紀はむくりと半身を起き上らせて、緩やかに腕を掴んできた。
 じっと見つめてくる志紀に蘭は首を傾げる。
 マッサージがよくなかったのだろうか。
 そんなことを考えながら、真剣な眼差しの志紀を見つめた。
「今日は、この部屋へ泊まって行け……だが、嫌なら戻っていい」
 志紀からかけられた言葉に蘭はどきりと胸を跳ねさせた。
――それって……
 蘭の腕を掴んでいる志紀の手に汗が噴き出してくる。
 どうやら決死の覚悟でそれを言ったらしい。
じんわりと熱を持ち始めた志紀の手は緊張をしているのだろう。微かだが震えていた。
それは掴まれた腕を通して、蘭にも伝わってくる。 
蘭は頭の中で志紀の言ったことを整理した。
何度考えても、答えは同じである。
夜のお誘いのことを言っているに違いない。
蘭も純情ウブな少女ではない。
それくらいのことは分かっていた。
だが、志紀からこのようにお誘いがくるとは夢にも思わなかったので、心の準備が出来ていない。
目を落ち着きなく彷徨わせる蘭に志紀は落胆の色を浮かべた。
「急にこんなことを言って済まない。だが、本気なのだ。一時の戯れでもなんでもない。きちんと将来のことも視野にいれてそう言っている。駄目か?」
 志紀の瞳に不安気で自信のない揺らぎを感じ取り、蘭はこくりとそれを受け入れる頷きをした。
 いつも自信家の志紀が、珍しく小さく見える。
 それだけ真剣だということを感じて蘭はその申し出を受けることにした。
「本当か? 本当にいいのだな? 蘭、嬉しいぞ」
 蘭の恥ずかしそうな頷きを見て、志紀はぱぁと顔を明るく輝かせる。
 げんきんなもので、志紀は大輪の花を咲かせる笑顔を見せた。
「俺は蘭のことを愛している。ずっとこの里で過ごして欲しい。この志紀と」
 志紀は目を輝かせて、蘭の返答を待っているようだった。
「……うん……私なんかで良ければ。志紀の手助けをして、この里を一緒に守って行きたい。私も志紀のことが好き」
 志紀にそう言われてとてもではないが、真っ直ぐに見ることができない。
 顔だけでなく、身体の全てが熱を持ち火照っているのが分かった。
 耳まで熱くなり、蘭は恥ずかしさと照れ臭さで顔を俯かせてしまう。
 志紀の繊細な指が伸びてきて、すっと顎に添えられた。
「蘭……こちらを見てくれ」
 切なげに零された志紀の声に反応して自然と顔を上げる。
 すると志紀の顔も赤く染まっており、蘭と同じ気恥かしさを感じているのだと分かった。
「もう一度、言ってくれ」
 瞳を潤ませる志紀に優しく促されて、蘭は震える声を紡ぎ出した。
「志紀のことが好き……」
 目を見てまっすぐに言った蘭の唇に、志紀の酔いしれる顔が落ちてきた。
「蘭……俺もだ……お前を愛している……」                   
 触れるようなキスは豊穣祭の夜にも交わしたことはある。
 ついばむようなキスをされるだけで、蘭の心は一杯に満たされた。
「蘭……」 
 優しく甘いキスに陶酔し、心がじわりと暖かくなる。
 だが志紀はその先に進み、舌をおずおずと口腔内に侵入してきて、蘭の歯列を割った。
 口腔内の粘膜を、志紀の柔らかくぬらついた舌で、何度もなぞられる。
「んっ……志紀……っ……」
 熱く粘りを含んだ滴りが、蘭の喉に流し込まれて、それを飲んでは深いキスに酔いしれた。
 激しくはないが、丁寧で繊細なキス。
 それだけでも蘭は体が熱くなり、もっとして欲しいと自らも志紀の舌に絡めた。
 志紀の全てを貪るように蘭は自分でも積極的に舌を吸う。
「蘭……っ……」
 志紀の喉から荒い息が漏れ出して、蘭の欲情は掻き立てられた。志紀の喉の奥まで舌を侵入させては、自分も粘りを含んだ熱い
液体を流し込む。
 おいしそうにごくりと飲む志紀を見て、ぞわりと背中が粟立った。
「蘭……本当にいいのか?」
 志紀はなおもそう問うてくるが、蘭の気持ちはすでに固まっていた。
 蘭は豊穣祭でキスを交わした時から、志紀に恋に落ちていたのだ。
 志紀のことを知るようになり、本当は懐の深い青年だと気づかされた。
 傲慢で自信家だが誰よりも里と里の者を愛し、守っている若き青年。
 部外者の蘭と公人を受け入れてくれて、里の一部として認めてくれている。
 その志紀と清廉な里を守りたい――いつの間にかそのような気持ちが芽生えていた。
 愛した人が守る里を一緒に。
「私は志紀が欲しい……」
 大胆な言葉だったと思うが、志紀はふっと口元を緩めて微笑んだ。
「俺も、ずっと前から蘭のことだけを……欲しかった」
 優しく頬にかかる髪を払われて、志紀はもう一度幸せの味がするキスをしてくる。
 心が――身体全てが甘い感覚に満たされていく。
「蘭……」
 それだけを呟いた志紀はうっとりとした熱を帯びる目で蘭を見ては、なおも深いキスを落とした。
――志紀、愛している
 頭の隅でおぼろに考えながら、蘭はゆっくりと瞼を閉じて暖かいキスに胸をときめかせた。







 





174

ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓



next/  back

inserted by FC2 system