先輩、僕の奴隷になってよ hold-31

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***

 
「ん……あれ……愛斗君……?」 
 春香が目覚めたのは昼を過ぎた頃で、気がついたら愛斗がじっと見下ろしていた。
「おはよう、先輩」
 いつもより優しい声音で話しかけてくる愛斗を見て、昨日は倒れたのだと思い出す。
 もしかして愛斗は心配してくれているのかもしれない。
「愛斗君……ごめんね……心配かけて」
 春香が謝ると愛斗は急に眉を寄せて、悲しげな表情を浮かべた。
「春香先輩が謝る必要はないよ」
 不機嫌そうに口元を歪めて、すぐに顔を逸らされる。
(迷惑かけたから、怒ってる?)
「あれ、そういえば……ここって家?」
 春香は保健室で寝ていたことを思い出すが、いつもの見慣れた風景に安心した。
「愛斗君が家まで運んでくれたの?」
 そう言うと愛斗はぴくりと肩を震わせて、こちらも向かずにぼそりと呟く。
「雪哉先輩が……タクシー呼んでくれて」
(雪哉が……?)
 不思議に思ってしまうが、雪哉は図書室でのことを気にしていないか、すっかり忘れているのだろう。
 女遊びが激しい雪哉が愛斗と春香の行為を見たぐらいではままごとのようにしか見えなかったのかもしれない。
(後で……お礼を言わなきゃ)
 春香はぼんやりする頭を振りながら、ベッドの端に腰掛ける愛斗に視線を向けた。
「……今日は休みでしょう、先輩。秋子さんが一度戻ってきてご飯を作ってくれるって言っていたよ」   
 愛斗がこちらを向かずにそれだけをぼそぼそと呟く。
(秋子さん? お母さん、名前なんて名乗ったのかしら?)
 疑問が湧くが母が嬉しそうにぺらぺらと愛斗に喋ったのかもしれない。
「先輩、階下に行こう」
 ぐいっと手錠が引っ張られ、どことなく気の入っていない愛斗に連れられるまま階段を下りていく。
 そのままリビングに行くと思いきや、愛斗は方向転換して違う部屋へ入っていくのだ。
「ま、愛斗君……その部屋はお母さんの……」
 止めたがその声は無視されると、愛斗は部屋に勝手に入り込み視線を彷徨わせた。
 すぐに部屋を物色しはじめて、バッグや化粧品が床にばらまかれる。
「ちょ、ちょっと愛斗君!」
 さすがにのんびり屋の母でもこのような泥棒のような真似をされては怒るだろう。
止めさせようと思ったら、愛斗の動きがぴたりと止まった。
 タンスが開かれて、愛斗はその中から封筒と便箋を取り出し、穴が空くほどそれを見ていた。
「それって……お母さんが気に入っている和紙の便箋なの。ちょっと高いけどいつも同じ店で買ってて……」
 何をそんなに驚くことがあるのだろうと、春香は首をひねって愛斗の様子を見る。
「……同じ……同じだ……足長おじさんがくれる便箋と……」
(足長おじさん?)
 愛斗の言っていることが理解出来ずに目を何度も瞬いてしまう。
「……春香……愛斗君……」
 そこに秋子の声がかかり、春香はびくっと肩を竦めて恐る恐る振り向いた。
「ご、ごめんね、お母さん、え〜と、これは、その〜私がここに入りたいって、その、その〜」
 言い訳が思い浮かばずにあたふたとしたが、秋子は部屋を荒らされて怒るどころか、どこか焦燥感を滲ませていた。
 その視線は春香ではなく、愛斗に向けられていて、何だか奇妙な空気が流れ始める。
 秋子の視線を受けて気がついた愛斗はゆっくりと振り向いた。
「あなたが、足長おじさんなんですか?」
 愛斗は哀愁を漂わせ、掠れた声でそれだけを静かに呟いた。


――カチリ、


 なぜか春香はその時、手錠の鍵の外れる音が――耳元で聞こえてきたような気がした。
 不安になり視線を落とすと、しっかりと愛斗と繋がれているのに。
 なにか予感めいたものがして、静寂な空間で底知れぬ不安だけが、胸の中に広がっていった。


***

 リビングに移動した春香は温かいお茶を飲みながら、真正面に座る秋子を見つめた。
 いや、正確には愛斗と秋子を交互に見た。
 愛斗がすっと便箋をテーブルの上に出し、秋子をじっと見つめる。
 その重たい雰囲気に春香は口を挟むことが出来ずに、成り行きを見守っていた。
「これ……見つけたの……そう」
 秋子が差し出された便箋を手に持ち、静かに息を落とす。
「本当なんですか……? 教えて下さい……雪哉が言っていたこと」
 秋子は一瞬だけ瞳を揺らすが、それでも端然とした態度で口を開いた。
「春香……あなたも聞いてちょうだい……お父さんは病死じゃないの。事故で死んだの」
 春香は目を見開き、秋子の口からそう聞かされて目を瞬かせる。
「……お母さん……記憶が曖昧なんじゃないの?」
「春香……そう、あなた……愛斗君から死因を聞いたのね」
 秋子は父の死因より記憶があることに驚いていると知り、済まなそうに視線を逸した。
「あなたを思って、病死ってことにしていたけど」
「じゃあ、やっぱり……お父さんは愛斗君のお母さんと……不倫を……?」
 春香が怖々と聞くが、秋子は一瞬だけ愛斗に視線を向けてゆっくりと首を横に振る。
「嘘だ! じゃあ、なんで一緒に車に乗って事故を……」
 愛斗が机をだんっと叩き、ふるふると拳を震わせた。
「私が悪かったの……全て私が……」
 秋子が瞳に涙を溜めて、テーブルに視線を落とし、事のあらましを話し始めた。
 それは春香が初めて聞く、過去にあった出来事であった。






  

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