河畔に咲く鮮花  




 

 戴冠式なんて見たくもないのに、蘭は義鷹に精一杯の着飾りを受けて出席していた。
 最後に覇王になる瞬間を目に焼き付けておけとでも言うのだろうか。
 蘭をわざわざ特別席に座らせ、その同列には御三家の秀樹と、ともの姿もあった。
「蘭ちゃんって、女やったん? めっちゃ可愛いやん」
 秀樹は蘭の女としての姿を始めて見て、あんぐりと口を開けたまま固まる。
 蘭が女だということを知らずに、ずっと男だと思っていたから仕方ない反応ではあるが。
 化粧をして着飾った蘭を見て、お姫様みたいやと纏わりついてくる秀樹の言葉もなに一つ心に響いてこなかった。
「蘭おねーさん、今日は特に綺麗だね、着物が似合ってるよ」 
 ともも蘭の姿を見て、いつも以上に興奮を宿した瞳で見てくるが、それでも気持ちは晴れることはない。下慮でも着飾れば少しは雰囲気が変わるのだろうが、これも義鷹が用意してくれた一流の着物や、化粧のせいだろう。
 心はこの澄み切った空とは正反対の沈んだ気持ちのままであったが、戴冠式は滞りなく行われる。
 特別にセットされた屋外のきらびやかなステージの上にいる雪の姿をぼんやりと見つめていた。
 雪は驚くほどの高級な着物に身を包み、頭には眩しいほどの宝石が散りばめられた王冠を乗せている。
 髪も学園に通っていた時のような無造作ヘアではなく、今日はぴちりと横に撫でつけていた。
 雰囲気が随分と違い、いつもの雪の姿はない。
 神々しいというか、高貴というか。
 そうして見るとやはり雪は蘭とは違った世界の人だと言うことを今更ながらに知った。

 ――遠い、とてつもなく遠い存在。

 目の前にいてもいくつも壁が二人の間にはあって決して傍には辿りつけない。
 蘭は着物の帯で胸を締めつけられて苦しくなった。きっと呼吸が乱れて、正常ではないからだろう。
 わざわざ遠い存在を見せつけなくても分かっている。
 蘭は下慮だから、その身分では雪に迫ることも、近づくことも許されない。
 ――そんなの分かっているのに。
 それでも目は最後に雪を焼きつけておこうといったように姿ばかりを追いかける。
 どうしても、どうしても雪から視線が逸らせなかった。 
 念の力があったなら、雪はきっとこの視線で焼け焦げているだろう。
 雪は父から覇王の記を受け取り、この瞬間にこの国の尊き王になった。
 嵐のような拍手が沸き起こり、恐ろしいほどカメラのフラッシュが焚かれる。たくさんのマスコミや懇意にしている覇者の者、貴族の者がこの戴冠式という祭典に参加していた。
蘭は拍手することも忘れて、にこやかに微笑んで父と手を取り合っている雪の姿を切ない気持ちで見つめる。

 ――さようなら、雪

 僅かに口を動かして呟いて見たが、この嵐のような拍手の中に溶けるように消えて行った。
 雪は広場の方を振り向き、中央に設置されたマイクを取ると、覇王となった挨拶をし始める。
 それは、いつもの雪とは考えられないほどしっかりした話しぶりだった。
 その麗しくも雄々しい姿は、すでに覇王としての風格を兼ね備えている。
 けれどもそのほとんどの言葉も、蘭の耳の横をすっと通りすぎていく。
 全然、耳に届いてこない声を聞いて、蘭は悲しくなった。どうして自分がこんなところにいるのだろうかと。
 蘭がここにいるのも場違いもいいところだし、本来ならこの戴冠式を家のテレビで見ていたはずだ。
 河畔に住んでいた蘭が、覇王と同じ場所に座り目の前でスピーチを聞いている。
 自分一人がこの広い会場の中で浮いているような気がして、早く帰りたくなった。
 このように似つかわしくない着物に、化粧。
 いくら着飾っても下慮という身分は決して誤魔化せない。
 そんなことを考えていると、雪が今度はすぐに婚儀に入ると言いだした。
 軽く目眩すら起こして蘭の体は自然にぶるぶると震えてしまう。
 斎藤家ももちろん出席して、一番前の列に陣取っている中に蝶子の姿を見かける。
 もう駄目だった――ここにいるのが限界だった。
 目の前で蝶子との婚儀など見たくもない。帯は一層きつさを増し、蘭の体を締めあげた。
 苦しくなり息もあがる。目まいもするし、強烈な吐き気すら催す。
 蝶子はいつもより、派手で豪華な出で立ちだった。大きな造りの顔に生える朱色の着物。金色の蝶結びした帯に、豪奢な羽織まで着ている姿は、まるで十二単のようだ。
 そわそわと先程から扇子を開いたり、閉じたりとしている。
 婚儀が待ちきれないと言った感じだ。

――もう、無理。これ以上は見ることが出来ない

 ステージ上で雪と蝶子が微笑みあって、手を取り合う姿を見るなどまっぴらである。想像しただけで、胸が押しつぶされそうであった。
「……義鷹様……私、気分が優れないので、帰ります……」
 気持ちが限界に達して、隣に付き添ってくれた義鷹にこそりと囁く。
「大丈夫かい、蘭? 顔色が優れないね。重い着物を着て疲れたのかな。私も一緒に出るから帰ろうか」
 義鷹はこんな時でも気遣い、優しくしてくれる。
 蘭一人のせいで義鷹を帰らすことは気がねしてしまうが、それでもいいと言ってくれた。
「実は私もこういう派手なのは苦手でね。席を立ついい口実だ。帰ってこんなかた苦しい着物は脱いで、甘いものでも食べないかい?」
 にこりとたおやかに微笑んで、義鷹は蘭の手を取ってくれた。どこまでもエスコートして優しく接してくれる。
 蘭は手を取らないと失礼にあたると思い、そっと義鷹の指先を掴んだ。
「ようし、行こうか。蘭」
 義鷹と一緒に席を立ち、蘭はそろりとその場所を立ち去る。
 雪に視線は集中している為に、誰も蘭達に目を止めるものはいない。






 





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