河畔に咲く鮮花  





 だが娘はどこか緊張した様子で、警戒したように物を言う。
「あ……公人君の怪我が治るまでかな。三ヶ月もかかるらしいんだけど、迷惑かけてごめんね。よそ者は嫌いなんだよね」
 志紀はよそ者は禍を招く種になると言っていた。
 それはこの里の者も同じ意識だろうと、蘭は肩を落として済まなそうに述べる。
――やっぱり嫌なんだろうな
 だが思っていたより違う反応が返ってきて、蘭は驚くことになる。
「えっ? 三ヶ月しかいないの? 悪い奴に追われているんでしょう。もっと居たら?」
 そう言われて目を見開いていると、わっと娘達が殺到してきた。
「ここに住めばいいんじゃない? この里は安全だよ」
「そうよ、そうしたら公人様もこの里にとどまってくれるはずだわ」
 そばかすの娘が会話のきっかけを作ったことにより、次々と里の娘達が蘭に寄って来てお喋りを始める。
 いつの間にか囲まれて、娘達はきゃぴきゃぴと止まることのない話しに花を咲かした。
公人様(、、、、)……?」
 きょとんとする蘭に娘達は目を合わせて、言ってしまったとばかりに顔を赤らめる。
「じ、実は二人を見た瞬間、人魚のように美しい姉弟が来たってあっという間に噂になったの」
「そんなの嘘だと思ったけど、本当に二人とも麗しくってなんというか高貴な香りが漂って、気後れして話かけづらくって」
「里の男どもは、蘭さんのこと蘭様って影では呼んでいるわ」
――ら、蘭さまって……
 娘達が熱に浮かされたように話するので、蘭はカァッと顔を赤らめた。
 人魚みたいって、公人なら分かる気がするが。
 まさか自分もそこに入っているとは思わなかった。 
「そんなの買い被りすぎよ。志紀には馬鹿だの阿呆だの言われるし、アユリにはいつもブスだってののしられるし」
 そうするとまた娘達は目を合わせて、にたりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「御屋形様が自分の家に住まわせて、お世話させるなんてよっぽどよ。憧れる子は多いけど、あの性格だから音をあげてみんな、諦めるわ」
 娘がそう言うから蘭は思わず納得する。
 高慢に命令してきては、納得行かないとがみがみと注意をしてくる。
「まぁ、あんな傲慢な性格じゃねぇ。もっと優しくすればいいのに」
 蘭がしみじみと呟くと、娘達は慌てて弁解してきた。
「違うの。御屋形様に性格はみんな知っているわ。口は悪いけど、その厳しさの中に優しさがある。この里の者はみんな慕っているのよ。ただ、女性に対しては厳しいのよ。一線を置いて寄せ付けないの」
 意外に志紀の評価が高いことを知り、蘭は呆気に取られる。
 みんなは志紀の性格をよく知っていた。
 考えれば当り前のことではあるが。
 蘭より長くこの里に暮らしている者が知らないはずがない。
 口は悪いが、根は優しい志紀のことを分かってくれて、なんとなく嬉しい。
 そこまで思って蘭はかぶりを振った。
 どうして、自分が嬉しく思わなければならないのか。
「だけど、ようやく見つけたのね。蘭さんのこと」
 いきなり話を自分に振られて蘭は目を丸くした。
「御屋形様はああ見えて、慎重で真面目なのよ。石橋を叩いて歩く性格。だから今まで、どんな娘が寄って来ても納得していなかったんだわ」     
「そうそう、御屋形様は神の血を引く方だもん。後を継ぎ、子を宿させる相手も慎重に選ばなきゃね」  
 ――神の血を引く(、、、、)、またその言葉を聞いた。
 あのアユリも真面目な顔をして、神と言っても間違いではないと意味深に述べた。

それは里の者にも浸透しているようで、蘭はますます謎を深める。
――もしかして、新しく出来た宗教?
 蘭はそうではないかとも思ってしまう。
 そのくらい里の者の志紀に対する心酔は凄いものであった。 
「ねぇ、蘭さん。御屋形様と結婚したら、この里にいるわよね?」
「公人様には恋人はいないの?」
「貴族出身なんでしょう? そっちの世界へ戻っちゃうの?」
 蘭の心配もよそに娘達は次々と質問を投げかけてくる。
 よほど蘭に、いや公人に関心があるのだろう。
 楽しく話しかけてくる娘達がくすぐったくも感じて、それがどうしてか嬉しい。
 今までは、敵のように○○から扱われていたのに。
 蘭ははっとまた目を見開いた。
 ○○には、誰か女性の名称が入っていた。
 だが、その名前を思い出せない。
 ぼんやりと思い浮かべても、霧のように霞み、姿が見えない。
 意識を集中させると風に吹かれて、霧が晴れる。
 その霧の中から赤く艶を帯びた唇が浮かびあがっては、残酷なほどまでに歪んだ。
 人を陥れ、欺く残忍な笑みが、蘭の脳を強く打ちつける。
――下慮の分際でっ! 
 女性の蔑む物言いが、脳に響き渡り、激しい頭痛に見舞われた。
「はあっ……はあっ……」
 蘭はその場に座り込み、両手で頭を押さえつける。
――誰なの、あなたは。どうして、私を苛めるの。
「蘭さんっ?」
「どうしたのっ、大丈夫?」
 娘達が次々と膝をついては蘭の様子を窺う。
 だが、蘭の意識は記憶の淵を彷徨っていた。
 水に放り込まれて、体が沈んで行く。
 もがいて手を伸ばしても女性は楽しそうに笑っているだけ――。
 死んでしまう、蘭は必死で肺に息を吸いこんだ。
 だが、水が肺に入って来て、息が出来ない。
 誰かっ、助けて! 水に沈み体は池の底に沈んで行く。
 そこに助け求めていた蘭の元に誰かがやって来る。
 長い髪をゆらゆらと揺らせて、光に照らされて美しい。
 あの人は、そう良く知っている義鷹様――
「なにをしている!」
 蘭の意識はそこで現実に引き戻された。
 娘達の輪を割って、強い声が飛んでくる。
 手を伸ばしていた蘭の手をしっかりと掴んだのは志紀だった。
「こいつを苛めていいのは、この志紀だけだっ!」
 志紀は娘達に苛められていると勘違いして、そう怒鳴った。 
 呆気に取られている娘達。
 蘭はすぐに呼吸を整えて、志紀の手を強く握り返した。
――勘違いされちゃう……みんなのせいじゃないのに
 蘭は座り込んだまま慌てて志紀を振り仰いだ。
「――ち、違うの志紀。少し気分が悪くなって座っていたの。みんなは心配してくれていただけよ」
 にこにこと笑う娘達を見て、勘違いだと分かったのだろう。
 志紀は事実を知って、顔をバッと赤らめた。
「見た見た、御屋形様の慌てよう」
「くすくす、苛めていいのはこの俺様だけだぁ!」
「すっごい、名言よね。みんなに言わなきゃ」
 娘達がわきあいあいと話す様子を見て、志紀はますます顔を赤らめる。
「す、すぐに仕事に戻れ! 余計なお喋りはするな。そ、それとこいつを心配してくれてありがとうな」
 志紀は視線を彷徨わせながら勘違いして怒鳴ったことを謝罪する。
 だが、娘達はそんなことはお構いなしでまた会話に花をさかした。
「今の聞いた? まるで蘭さんを自分の物のように言ったわよ」
「俺の蘭の心配をしてくれてありがとう、諸君」
「やだぁ、御屋形様って実は気が早い!?」
 きゃあきゃあはしゃぐ娘達を見て、志紀はわなわなと肩を震わせる。
 「ち、違う、馬鹿か貴様らは。よそ者のこいつに優しくしてやってくれたお前達に感謝しているのだ。さすがは俺様の教育がいき届いていると思ってな、うん」
 慌てて言い訳する志紀にどっと娘達は笑う。
 その笑い声を聞いて、蘭の気持ちも穏やかになっていった。
 ――志紀は本当に慕われている
 娘達が軽口を叩けるぐらい親しまれているのだろう。
 それが嬉しくなって、なぜか誇らしくも感じた。
「とにかく、お前は休め」
 志紀がすっと跪き、蘭の膝の裏に手を差し込んでくる。
 ふわりと蘭の体は浮いて、志紀に横だきされた。
 いわゆるお姫様抱っこをされて、蘭はまじまじと志紀の顔を仰ぐ。
――う、嘘……
 それを見た娘達がまたきゃあきゃあと騒いでいたが、志紀は気にする様子もない。
――志紀って気にしない人なの?
 娘達にはやしたてられているのに、志紀は何も感じていないようだった。
「し、志紀、大丈夫だから」
 恥ずかしくなり、蘭は肩を縮ませた。
「何を言っている、このくらいの重さなら平気だ」
 志紀は意味が分からないと言う顔をして、涼しくそれだけを言う。
――いや……そうじゃないの……
 志紀が分かってくれないので、蘭は困った顔をした。
「た、体重のことじゃなくて……」
 暗に重いが大丈夫と言われた気がして、ますます恥ずかしくなった。
「やだぁ、御屋形様〜女性に体重のことを指摘しちゃ駄目よ」
「そうそう、御屋形様はそういうところが朴念仁なんだから」
 娘達がからかい口調で、志紀をなじった。
「なんだ、そういうものなのか?」
 志紀が娘達に指摘され、小首を傾げる。
 「もう、御屋形様ったら!」  
 娘達がどっと笑い、志紀と蘭を囲んではしゃいでいた。
「なにをしてんのさ。みんな楽しそうに」
 そんな楽しいムードの中に、突然棘を帯びた声が降ってくる。
 娘達の笑いはぴたりと止まり、輪が自然に割れて行く。
――アユリ?
 その先にはアユリがいて、こちらに視線をじっと向けていた。
「蘭姉ちゃん、どうしたの?」
 アユリが心配げに顔を崩して、割れた娘達の輪の中を駆け走って来る。
 娘達は緊張を帯びたように、アユリを避けては、一歩後ろに退いた。
――なに?
 いきなり空気がぴりっと張り詰めたようになり、蘭は無意識に眉をしかめてしまう。 
「ああ、気分が悪いようだから休ませようと思ってな」
 志紀はこの空気に気がついていないのか、いつもの態度でアユリに話かける。
「じゃあ、川の木陰で休むといいよ。部屋の中じゃ気分も塞ぐだろうし。俺も今から行くからさ。傍にいて様子を見れるでしょ」
 アユリも娘達が目に入っていないのか、志紀と蘭だけに視線を合わせていた。
 今まではしゃいでいた娘達は、どことなくよそよそしく視線を彷徨わせている。
――なんだか……変な雰囲気
 奇妙な空気を感じ取るが、アユリは平然としてにこにこと笑っていた。
「俺も仕事があるから、ずっと蘭についているわけにはいかないからな。アユリに任せよう」
 志紀とアユリの話を、娘達は一言も茶々を入れずに見守る。
 なんだろう、この変な空気は。
 どことなくぴりぴりしたような、突き刺さる空気。
 娘達を見回しても、先ほどまでの楽しそうな笑みは消えている。
 何かを隠しているような――暗い翳りが今はこの場を静かに支配していた。







 





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