河畔に咲く鮮花  

第三章 第二十三輪の花 人魚は孤独な夜に(わら) 


 
 
蘭は体が締めつけられて息が苦しくなり目を開けた。窓からは眩しい陽光が差し込んできている。
 もう、朝だ。
 じっとりとした暑さが今日も容赦なく、蘭に襲いかかる。
 汗が白い額に滲んで、それを拭おうとするが、手が自由にならないことに気がついた。
 寝ぼけ眼で自分の体を見下ろすと、胸の間にアユリが顔を埋めて目を閉じている。
 アユリにがっちりと抱き締められたまま蘭は寝ていたらしい。
――え、アユリ?
 状況を理解するのに、数秒間かかりまだ寝ている幸せそうな顔をアユリを見つめた。
 アユリはふるふると猫のように頭を振っては、無邪気に寝入っている。
――凄く気持ち良さそう……って場合じゃない    
「ちょっ、ちょっとアユリ! 起きなさいよ。いつの間にベッドに潜り込んだのよ」
 蘭はアユリの腕から、すぽっと自分の腕を抜いて、ゆさゆさと肩を揺さぶった。
「あ……れ……蘭姉ちゃん。もう、朝か……」
 ようやく気がついたのかアユリは平然としてそう言ってのけた。
 目をごしごしと擦って、アユリはむくりと起き上り、大きな欠伸をする。
「なんで、私のベッドに潜り込んでるのよ」
 はだけた胸元を正して、蘭はアユリに問い詰める。
「覚えてないの? 悲しいなぁ。あんなに俺達、燃える夜を過ごしたのに」
 あっけらかんと答えるアユリはどこか楽しそう。
「はぁ? 子供がふざけたこと言わないの」
 そう言うとアユリはむっと顔をしかめた。
「なんだよ、心配して来たのにさぁ。志紀とはいちゃついて、俺には冷たいって酷いよね」
 アユリに言われて、昨日の志紀を思い出す。
 優しさに満ち溢れた志紀を見た瞬間に、全ての景色が鮮やかな色を放ち、蘭の心を打った。
 その時にこの人は何て美しいのだろうと感動し、胸もどきどきと少女のように高鳴ったのだ。
 その後に志紀と手を繋いだまま一緒に棚田から下りて、その大きな手が暖かいと初めて知った。  
 その一連を思い起こすと、自然にカァと体が火照ってしまう。
 なにを考えているのだろう――あの志紀のことを意識してしまうとは。
 蘭はすぐさま頭を振り、志紀との甘い一時のことを意識から無理やり振り払った。
「ねぇ、どこでデートしてたの? キスした? それともそれ以上のことをしたの?」
 アユリがずいっと体を寄せて来て、問いただしてくる。
 アユリは嬉しそうににやにやと笑い、志紀との間に何があったのか期待しているようだった。
――もう、アユリったら……
 蘭は困った顔をして、詰めてくるアユリから距離を保つ。
「あんたねぇ、マセたこと言わないの。志紀とはなにもないわよ。ちょっと棚田の景色を見せてもらっただけ」
 蘭は覗きこんでくるアユリを見つめるが、納得行かないのかじっと蘭の瞳を見据えてきた。
――まだ勘ぐっている……
「そ、それより、いつベッドに潜り込んだのよ」
 蘭は志紀から話を変えるべく、アユリの方に戻す。
「昨日の夜。様子見に来たけど寝ていたから。そのまま一緒に寝たってわけ。悪い?」
 全然悪びれもなく言うアユリに蘭は開いた口が塞がらない。
「それよりさぁ、寝ぞう悪すぎ。本当にひどかったんだけどさ。もっと女らしくしたら?」
 アユリは欠伸をしながら、ぐさりと言い放つ。
「自分が勝手に潜り込んで来て、寝ていたのにその言い方はないんじゃない?」
蘭はふるふると肩を震わせて、アユリに言い返す。
――こんな少年に女らしさの何たるかを諭されるとは……
 思い切りがさつと言われたようなもので、少しばかり恥ずかしさが増した。
「くっくっ、その怒った顔、ぶっさいく! 蘭姉ちゃんはそうやって元気な方が性に合っていると思うけど?」
 無邪気に笑うアユリを見て蘭は複雑な心境になる。
 そうやってわざと言って、蘭を元気づけようとしてくれているのが分かる。
 だけどそのやり方が少し荒い気もした。
――またブスって……結構傷つくんだけど……
 美人とは言い難いが、ブスと平然と放たれると女性としては落ち込んでしまう。
 だけどそんなことで蘭は肩を落としはしない。
「またぶさいくって言った!」
 志紀と言い、アユリと言い、すぐにブスだと吐き捨て、笑う。
 もう少しまともな励まし方はないのだろうか。
「も〜う、別にいいわよ。ブスでもがさつでも、女らしくなくてもいいわよ。何でも言いなさいよ!」
 やけくそになり蘭は女を捨てる言い様を放つ。
「ははははっ、蘭姉ちゃん、顔を真っ赤にして。山猿みたい。おかしい!」
 アユリはお腹を抱えて笑い、いつまでもきゃはきゃはと声をあげていた。
――もう……
 アユリがけらけらと笑い続けるので、蘭は突っ込む気力がなくなってくる。
「はいはい、もういいですよ。山猿でも猪でも何でも言って下さい〜」
 むすっとする蘭を見上げて、アユリはまなじりに溜まる涙を拭う。
 目がばちりと合った瞬間、アユリがふわりと風のように傍に寄って来た。
――え?
 蘭の唇にふわっと羽のように軽やかで暖かいキスが降りてくる。 
 その熱はすぐに蘭から離れて、アユリがにこりと目の前で綺麗に微笑んだ。
「元気出してよ、蘭姉ちゃん?」
 蘭はアユリにキスされたことを知り、手をまだ暖かみを残した唇に持っていく。
「キキキキ、キスしたっ!」
 わなわなと震える蘭に対してアユリは不服そうに眉をしかめる。
「こんなのただの挨拶じゃん。勘違いしないでよ」
 その言葉に固まるが、アユリの頬が少し赤くなっているのは気のせいだろうか。
「さぁ、今日も頑張るぞー!」
 アユリは視線を外して、わざとらしく大きく伸びをした。
「蘭姉ちゃんもぼさっとしないでさ、着替えたら」
 そして何事もなかったように蘭の部屋を立ち去って行く。
 蘭は時計をちらりと見て、目を見開く。
 仕事に取りかかる時間をすでに過ぎていた。
――うっ……やばい……
 志紀の怒った顔が思い浮かび、蘭も慌てて支度をしたのだった。 
 いつもはアユリと一緒に仕事をしていたのだが、慣れてきたせいか今日は別々で分担をこなすことになった。
 蘭は井戸で水を汲むという仕事だ。
 今日は珍しく、里の娘が一緒になる。
 娘達は蘭よりも若い子もいれば、家族を持つ年配の者もいた。
 娘達は黙々と水を汲んではいるが、ちらりちらりとこちらを見てくる。
――凄い視線が突き刺さる……
 どうやら蘭が気になるようである。
 良く考えれば志紀とアユリ意外にこの里の者とまともに会話を交わしたことがない。
 お世話になっているから、歩み寄った方がいいのだろうかと蘭は考える。
――初めまして……は今更おかしいかしら
 そんなことを考えていると、一人の娘が代表のように前に出てきて蘭の前に立つ。
「あ、あの、蘭さん。人魚の里にいつまでいるの?」
 その娘は探るような感じで、声をかけてきた。
 蘭が見ると作業着を着た娘は顔にそばかすを作り、人懐こい笑みを浮かべている。






 





135

ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓



next /  back

inserted by FC2 system