河畔に咲く鮮花  





 唐突に声が降って来るが、声の主は見えない。
 蘭はぎょっと目を剥いて、辺りを見回した。
 すると、玄関の隅っこにカメラが仕掛けられていることに気がつく。
――あんなところにカメラが……
 そこに視線を向けて、アユリは舌をべっと出しながら、中指をおっ立てる。
「アユリ、御屋形を待たせるな。早く、行け」
 門番の男は我に返ると、顎で入れと促した。
 アユリは一つ溜息を吐くと、中指を曲げてくいくいと蘭達を呼ぶ。
「ついてきな。志紀が痺れを切らしている」
 玄関に入ると、靴を無造作に脱ぎ捨てて、アユリはさっさと長い廊下を歩んで行った。
 蘭達も慌てて後を追い、きょろきょろと辺りを見回しながら、奥へ導かれる。
 アユリが珠のれんをしゃららと分けて、ひょいっと部屋の中を覗いた。
「おーい、連れて来たけど」
 蘭と公人は促されて、部屋へ入る。
 どうやら、そこはキッチンのようで、青年が後ろ向きのままかちゃかちゃとカップを並べていた。
 亜麻色の髪が無造作に跳ね、すらりと背の高い青年は、こぽこぽと不器用にカップにお茶を注ぎ終わった後に、こちらにくるりと振り返った。
――なんか……怖いほど圧倒される美貌の人……
 切れ長の流麗な瞳はどこか優愁を湛えていたが、そのなりはしとやかで美しい。
 高い鼻梁も、肉感的な唇も、公人の楚々とした清らかな美しさとは違って、華やかで大輪の花が咲いたような美貌を持つ青年。
 公人も同じく目を奪われたようで、驚きを眼差しに刻んでいた。
 そんな視線も全く意に介していないのか、はたまた慣れているのか、青年は何も言わずにお茶を持ち運んでくる。
「お茶が入ったぞ」
 青年はかちゃかちゃと音を鳴らしながらカップを手に持ち、どんっとテーブルに置いた。
――御屋形様って人の付き人かしら?
 その割には口が悪いような気がしたが、アユリも同じように言葉がなっていなかったのでこの里はこんなものかと変に納得してしまう。
 椅子に座ると、すらりと伸びた長い足を優雅に組んで、じっと見つめてきた。
――なんだろう……観察されているような
 青年は上から下までじろじろと眺め回し、不快そうに綺麗な眉をしかめた。
「貴様達、なにをぼうっと突っ立っているんだ。そこへ座れ。この天音志紀(あまねしき)様がじきじきにお茶を淹れてやったんだぞ」
 その名前を聞いて、蘭ははっと目を見張った。
 志紀――これが門番の言っていた御屋形だろう。
――嘘……こんなに若い人が
 蘭は呆気に取られてまだ若い青年を見つめた。
 御屋形様と呼ばれるぐらいなら、年老いた厳格そうな老人を思い浮かべていたからだ。
――信じられない……この人が……リーダーってこと?
 何が何だか分からない蘭と公人は呆然としたまま、その場に突っ立つ。
「とにかく、座れば。志紀があんたらを助けたんだからさ」
 アユリが、ぴょこんと椅子に座り、蘭と公人に声をかける。
 我に返って、蘭と公人はのろのろと緩慢な動きで余った椅子に腰かけた。
 座るのを見届けて、志紀はこほんと大袈裟に咳払いする。
「俺は、この里を取り締まっている天音志紀様だ。貴様らはこのアユリが見つけて、ここまで運び、丁寧に看病までしてやった。誤解がないように言うが、ここに居座らずにさっさと出て行って欲しい。外からの人間は禍を招く」
 そこまで言って、志紀はくいっと顎をしゃくる。
 差し出されたお茶を飲めと言うのだろう。
「あ……いただきます」
 蘭と公人はカップを手に取って、口に含んだ。
 だが緊張して、お茶の味は何一つ分からない。
「だが、この志紀様は寛大だ。貴様の怪我が治るまでここに置いてやってもいい。だけど、お前達がテロ犯ならすぐに追い出す。素性を明かしてもらおうか」
 志紀の鋭い瞳が細められて、公人がごくりとお茶を喉に流し込んだ。
 やたら、その音が大きく聞こえて、蘭は僅かに緊張の走った場を静かに見守る。
「……それが、その、私、記憶を失くして、素性が良く分からないと言うか、なんというか……」
 蘭がカップを置いて、視線を困ったように彷徨わせた。
 本当に覚えがなくて、なにを話せばいいか分からない。
 それを志紀はじっと見据えてきては、足を組み直した。
「記憶がないだと? 嘘臭いな。テロ犯だから、そうやって誤魔化しているんじゃないのか」
 志紀がハッと鼻で笑い、小馬鹿にした態度で蘭を見下ろした。
「テロ犯って……なに?」
 蘭は先ほどから聞き慣れない言葉に顔をしかめる。
 日常では考えられない単語が飛び交い、自然に首を傾げてしまった。
――何の話をしているの?
 そのテロ犯に間違えられているとは思いもよらない。
「……知らないのか? それともしらばっくれているのか? 世間で知らない奴はいないはずだぞ。三日前に勃発した同時多発テロで、俗世は大騒ぎだ」
 志紀は訝る目つきを投げてきて、腕を組んだ。
「俺達が知る由もないけど、いつもの覇者達の権力争いさ。笑えることに、謀反だか、革命だか知らないけど、派手に爆薬をあちこちに仕掛けられて、覇者達の住む領土は大騒ぎ。そのテロ犯はあんたらじゃないよね、そういう話だよ」
 アユリが志紀の言葉に相乗して、テロ犯が起こした内容を教えてくれる。
 ――テロ犯……? 爆薬……? 覇者……? 謀反……? 革命……? 権力争い……?
 色んなキーワードが蘭の頭の中にインプットされ、ざわざわと心が騒ぎ始めた。
 急激な不安が胸に広がり、押しつぶされそうになる。
――怖い……
 みるみる間に顔色を青くする蘭に気がついたのか、公人がぎゅっと手を握り締めてくれた。
「僕達は貴族出身の姉弟です。覇者の争い事など知るわけがありません。わけあって、貴族街を逃れたのです。それがちょうどそのテロの起こった日と重なっただけということです」
 公人がそう説明すると、志紀の目がすうっと細められた。
 その深い瞳は蘭達の心の奥底を覗きこもうとする視線。
 不遜で傲慢な、高飛車だけの青年かと思ったが、その端然として一切動じない平然とした様は、何もかもをすでに見抜いているかのようだ。
――この人……まるで心を見透かすような瞳……
 心臓がぎゅっと絞られて、蘭のてのひらはじんわりと汗が浮かぶ。
 その手を公人が力強く握ってくれた。それでも不安は募るばかりである。
――何だか怖い人かも……
 なにも悪いことをしていないのに、テロ犯でもないのに、なぜかその覇者達の騒動に関連しているような気がして、心が落ちつかなかった。
「何の為に貴族街を逃れた? 確かに一般市民や商売人ではなさそうだ。お前達の服はぼろぼろになっていたが、上等な代物だった。貴族以上の位じゃ、あんな服は買えない」
 志紀が警戒を緩めずに、そう問いただしてくる。
 公人は一呼吸置いて、ゆっくりと口を開いた。
「実は僕達は――」
 それは先ほど、目覚めたばかりの蘭に対して同じ説明だった。
 蘭が下慮出身というところは上手く省いて、姉小路家の多額の借金で、恐ろしい借金取りから逃げている。







 





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