河畔に咲く鮮花  





 家を燃やされかけ、公人は姉の蘭と一緒に命からがら、山へ逃げ込んだと。
 掴まれば、蘭は身売りされて奴隷扱いになる。
 公人も同じく借金の肩に、売られてしまうだろう。
 それを回避するために、二人は逃げて、今に至る。
 そう悲痛に顔を歪ませて、公人は悲しそうに喋っては、同情を煽る。
 ――いつの間に、こんなに演技が上手くなったんだろう。人形みたいに無表情だったのに。
 蘭は脳裏に浮かんだ言葉にハッとした。
――私、公人君のことよく知っているみたい
 記憶を失っているのに、ふとそんなことが思い浮かぶ。
 強く重ねられた公人の手に視線を落とし、そんなことをぼんやり考えた。
「一応、筋は通っているようだが……まだ貴様達を信頼したわけではない」
 志紀は一通り公人の説明を聞いて、ふぅと息を吐き出した。
「迷惑がかからないように、ここをすぐに出て行きます。道を教えてくれれば、田舎に行って、姉さんとそこで暮らしますから」
 公人の考えを聞き、蘭は顔を上げて、その端正な横顔を見つめる。
――ここを出て行く? どこに……でも公人君は本気みたい
 公人の真剣な言葉は本音を喋っているようだ。
 公人は蘭の気持ちが分かったのか、ちらりと視線を向けてきて、優しく頷いてくれる。 
「そんな体でどこに行く? 今は痛み止めが効いているだけだぞ。すぐに、痛みがきては、お前はすぐに熱を出す。そんな消耗しきった体で、凶悪な追手から逃げ切れるのか」
 志紀の言葉を聞いて、アユリはにやりと口の端をあげる。
「こいつらを置くの? やったね、俺の当番の食事係や洗濯を押しつけられる」
 嬉しそうに言うアユリの鼻を志紀はぎゅっと摘まんだ。
「アユリ、お前の当番はきちんとしてもらう。分かったな?」
 アユリは志紀から逃れると、摘ままれた鼻の頭を擦る。
「蘭、と言ったな。お前の弟の公人は骨折で全治三ヶ月だ。働けない代わりにお前がここで働け。それまでは置いてやる。怪我が完治したら出て行くんだ。分かったな?」
――え、ここに置いてくれるの?
 蘭と公人が唖然として見つめるが、にこりとも微笑みもしない。
「話は終わりだ」
 志紀がそれだけを発してばっと椅子を立ちあがった。
「アユリ、お前が蘭に付いて、この里を案内しろ。部屋はこちらで用意する。以上だ、行け」
 志紀は淡々とそれだけを指示して、その場はお開きになった。
  


**



 結局、蘭と公人に用意された部屋は志紀の住む家であった。
 確かに外から見ても大きな屋敷ではあったが、一緒に住むはめになるとは思いもしなかった。
「御屋形様の家ねぇ」
 たくさん余った部屋を無駄にしたくないということと、外から来た者が怪しい動きをしないか監視する為だという。
 きっと後者の方が、志紀にとっての本当の目的なのだろう。
 志紀は外から来た蘭と公人を思い切り警戒しているようだったからだ。
 それでも今は、怪我している公人を追い出ささないでくれて感謝はしている。
 同じ家にはアユリも住んでいるようで、それぞれに個室が与えられていた。
 広い部屋とは言えないが、和室でどこか懐かしい香りがする。
 蘭は熱が出た公人の傍で、タオルを絞る。
 ベッドで寝ていた公人は顔をねじって、済まなそうに眉をしかめた。
「ごめんね……手を煩わせて。本当なら僕が色々としなければならないのに。迷惑をかけてしまった」
 公人はそう呟いて、腕に走る痛さを我慢しているようだった。
「そんなに気負わなくていいよ。今はゆっくり休んで。代わりに私が面倒見てあげる」
 蘭はふふっと笑って、どこか元気がない公人を見つめる。
「……ありがとう。感謝しきれないこの気持ちをどう現していいのか」
 公人は唇を引き結び、苦悶の表情を浮かべる。
「変な公人君。姉が弟を守るのは当り前でしょ。そんなに私はやわじゃないの」
 冷えたタオルを公人の額に乗せて、汗ではりついた髪をそっと撫で上げた。
「怪我が完治したら、遠くへ行く? あなたの為なら僕はなんでも出来る。貴族の称号も捨て、二人で暮らさない? 仕事ならどうにかなる。畑を耕してもいい、海で漁をしてもいい、僕は腕が立つから警備の仕事でもかまわない」
 公人が田舎へ行くと志紀に言った言葉を思い出す。
 本気のようで、すでに蘭との未来を描いているようだった。
 だがいきなり言われても正直戸惑いが浮かんでしまう。
「う……うん。それでもいいけど……残された人達は大丈夫なの? そのお世話になった姉小路家の人とか」
 蘭は全く持って姉小路家の人を思い出せないが、養女として引き取られたのだろうから、お世話になったのだろうと思い込ませる。
 その人達も借金取りに追われて大変なのではないだろうか。
「……うん、大丈夫。追手は姉さんだけに興味があるから。姉小路家は懇意にしている人達が助けてくれる。だけど、姉さんは狙われているんだ。だから、目の届かないところに逃げないと」
 公人の切羽詰まった表情には嘘がないように見える。
 記憶のない蘭にとって、それは本当のことにしか聞こえない。
「でも、それで公人君にも迷惑をかけるなんて悪いよ。公人君だけでも家に帰れないの? 公人君も売られるって言ったけど、そのぉ、嫌な言い方かも知れないけど、権力のある方のところに嫁ぐとか。もちろん、愛がある人の元へだよ」
 蘭が案を述べると、布団の中からバッと公人の手が伸びて来て、腕を痛いぐらいに掴まれた。
 「――つっ」
――公人君?
 病人の公人からは想像も出来ない力強さ。
 蘭は一瞬、顔をしかめて公人の顔を見つめる。
「……僕を捨てるの? それとも、自分も嫁いで、離れて行くつもり?」
 珍しく険を含む口調で公人は蘭の腕をぎりっと掴みあげた。
「き、公人君、痛いよ。もし、お互いが嫁いだとしても、姉弟でしょう。家族は切っても切れないの。嫌って言ってもくっついてやるから」
 蘭がそう声をかけると、腕を掴んだ手から力が抜けていく。
不安げに瞳を揺らしていた公人に安堵の色が戻った。
「……そうだよ、僕達は家族で姉弟なんだ。だから絶対に離れることはないんだよ。例え、あなたに恋人が出来て、別れたとしても、僕のところへ戻ってこられる。縁は切れないんだ。家族はずっと一緒に居られる、そうだよね?」
 念を押すように公人に言われて、蘭はこくりと頷いた。
「当たり前よ。私はそんなに白状じゃないわ」
「――ああ、お願いだ。少しだけでいいから、抱き締めて」
 公人の手は今度は優しく、蘭を引っ張る。
――公人君、怪我して不安なのね
熱に浮かされて苦しそうにしている公人を見て、蘭は抱き締めた。
「大丈夫だよ、公人君。家族は永遠に一緒にいるもんだよ」
 汗でしっとりとした髪をよしよしと撫でながら、蘭は公人を落ちつかせた。
『――だから、僕は恋人と偽らず、わざわざ姉弟と偽った。恋人なら別れるかも知れないが、家族なら永遠に一緒に居られるから』
 公人がうわ言のように囁いた言葉に蘭はえっと目を丸くした。
 だが、公人は薬が効いているのか、すでに目を閉じて、長いまつ毛の影を頬に落としている。
――公人君……今はゆっくりと寝て……
 気のせいだったのかと思い、蘭は公人が深い眠りに落ちるまで、見守っていた。






 





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