河畔に咲く鮮花  




「……結構、粘るね。君って自分を例えるとポーン的な役割?」
 ともがチェス盤に視線を落としたまま理解不能な言葉を発する。
 一瞬、公人の手が止まるがすぐに駒を動かせた。
「……そう捉えられても間違いではありません。僕は、ただの歩兵的存在ですから」
 公人はともの例え話を受け止め、真摯にそう返した。
「ふぅ〜ん、ポーンは僕が全部潰したよ。じゃあ、クイーンを守るのは誰?」
 ともの表情は何も変わることなく、淡々とゲームを進める。
「ルーク? ビショップ? ナイトもいない、丸裸のクイーンはキングが守るしかない」
 ともが、公人の駒をことごとく倒していった。乱雑に公人の駒は盤上から放り出される。
 公人はゆっくりと視線を上げて、ともを見つめた。
「もう、こいつらは使えない。そう言った残酷なゲームなんだよ。このチェスってのはね」
 ともが取った駒をわしっと手に掴み、ばらばらとテーブルの上に落としていく。
 揺らめく蝋燭の炎の中で、ともの瞳の奥が鋭く光った。
 それを見た公人の綺麗な眉が少しだけしかめられる。
――公人君?
 公人が劣勢のようだが、蘭にはチェスゲームが分からず首を傾げるだけだ。
「だけど――このキングも僕が倒す。クイーンは最後は僕の手の中さ」
 ともはもう一度、盤上に視線を戻し公人のクイーンの駒を手に入れた。
「そして、これで終わり」
 ともは盤上の駒を見つめ、微かに口の端を上げた。
「王手(チェックメイト)」
 公人はキングを取られ、はっと息を呑む。
「僕の勝ちだね」
 ともは満足したように微笑むと、キングの駒をワイングラスに無造作に放り込んだ。
 こぽこぽと気泡を発して、キングの駒は赤く揺らめくワイングラスの底へ沈んでいった。
 公人はグラスの底まで沈む様子を見て、険しい表情を顔に刻みつける。
 雨脚が強くなり、窓を叩く音が激しい。
 ともは勝ち誇った笑みを浮かべ、硬くなって動かない公人を見据えた。
――どうしたの、二人とも?
 お互い言葉を発しないまま見つめ合うともと公人。
 カッと雷鳴が轟き、激しいほどの音が空を駆ける。
 稲光が走って、青い閃光がほの暗い部屋を照らし出し、ともと公人の表情に激しい陰影を落とした。
 二人は窓に視線を移すことなく、静かに視線を交わし合っている。
 ともと公人のただならぬ雰囲気に蘭は不安になった。
「公人君……?」
 蘭は飲み干したワイングラスを置いて、顔をしかめている公人の横顔に語りかける。
「そろそろ、ディナーが出来たかな。さ、行こう」
 ともが視線を外してのんびりとソファから立ち上がった。
「公人君……行こう」
 散乱したままのチェスの駒を見ながら、蘭は態度のおかしい公人を連れて、リビングを後にした。
ともがシェフに言付けて用意してくれた料理は、舌鼓を打つほどのおいしさだった。
 あまりに豪華すぎて、食べるのがもったいないと思うほど。
 席についているのは、ともと蘭だけ。
 ワインを運んでくれるソムリエやシェフが目の前で肉を焼いてくれる。
 公人は一歩後ろにさがり、蘭のディナーの終わりを待っていた。
「今日はレアにして。蘭おねーさんもそれでいい?」
 ともに肉の焼き方を質問されて、まだ食事マナーに慣れていない蘭はこくりと頷く。
 もっとテーブルマナーを学んでおけば良かったと蘭は内心舌を打つ。
――綺麗に食べるのね
 ともは慣れた手つきで、見惚れるほどに綺麗な作法で食事を進めていった。
 さすが、生まれつき教育を受けていると、人ごとながらに感心していると、皿の上に肉が置かれる。
 この部屋も雰囲気を重視しているのか、豪奢なシャンデリアの明かりは灯されていない。
 部屋中を覆いつくすような蝋燭が暖かい火を灯し、気分を和ませてくれた。
「蘭おねーさん、さぁ、食べて」
 ともの手が止まり、じっと蘭の手元に注がれる。
 蘭ははっと我に返り、蝋燭から視線を外すと肉を細かく刻んで口に含む。
「うん、おいしいね。レアでも食べられる」
 蘭は口の中に広がる肉汁を堪能して、素直においしさをアピールした。
 ともはそれを見てほっとしたように胸を撫で下ろす。
「良かった、この日の為にわざわざ新鮮でいい肉を用意した甲斐があった」
 ともはにこにこと微笑み、今度は自分の手元を動かして肉を切り刻んだ。
 「……この日の為にって?」
 ちょっとした言い方が妙に引っかかり、思わず聞いてしまう。
 ともは切り刻む手を止めぬまま、口を僅かに動かせた。
「お祝いだよ。これからの徳川家の繁栄の為の」
 そして、切り刻んだ血の滴る肉を口の中にゆっくりと含む。
 お祝いと言っている割にはともはどこか淡々とした様子だ。
 それがなぜだか蘭にはうすら寒く感じる。
「徳川家の繁栄って……ご両親の容態が良くなったの?」
 蘭は手を止めて、肉をもぐもぐと頬張るともの顔を窺う。
 少しの間、ともはなにも答えずにもう一口、切り刻んだ肉を口に放り込んだ。
――とも君?
 その奇妙な間はしばらく続くと、ともは突然かしゃんとナイフとフォークを皿の上に置く。
 蘭はその音の大きさに思わず視線をともに巡らせた。
 ともは腕を下に下げたまま、綺麗な瞳だけを蘭にぶつけてくる。
 そして形の良い唇を僅かに動かせた。
「いや……死んだんだよ」
 カッと稲光が走り、ドォンと近くに雷が落ちる。
 空気を切り裂くような轟音に蘭はびくりと肩を竦めて、真っ直ぐに見つめてくる冷めた表情のともを見つめた。
「もう死んでしまったんだよ」
 ともは掠れた声で呟き、美しい顔に翳りを落とした。
「え……死んだって……ご両親が?」
――なにを……言っているの……?
 ともの一切感情のない顔を見て、ぞくりと背筋が震えあがる。
 死んだと言っている割にはともの言い方は淡々としていた。
「驚いている? 蘭おねーさん」 
 ともの瞳の奥は冷ややかなのに、口元にはうっすらとした笑みが浮かぶ。
「あの……とも君?」
 蘭はおずおずとともを窺うが、ひりついた空気は変わらない。
 ――本当にご両親が亡くなったの……とも君……?
 蘭は食べる手を止めて、ともを見つめてしまう。






 





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