河畔に咲く鮮花  

 第三章 禁断の聖域・人魚の里編/邂逅


 




――人魚って本当にいるんだね 



 どこからかそんな声が聞こえた気がした。
 とても澄みきっていると同時にどこかあどけなさが残る声音。
――誰?
 だが、目が重くて開けられない。
 人の気配がすることだけは分かるが、体が思うように動いてくれなかった。
 確認することも出来ずに、じっとそのままでいるしかない。
――寒くて……体が動かない
 自分の体が水に浸かっていることに気がつくが、指先が冷たくて身動きが出来ない。
――ああ、そうだった……川に落ちたんだった
 まどろむ意識の中でそれだけがはっきりと思い浮かぶ。
 そんなことを思っていると、自分の体が誰かに持ちあげられて、運ばれていることを感じる。
――しっかりして、暖かい体……誰なのだろう
 体をねじり、運んでくれる人の顔を確認しようとするが、背中しか見つめられない。
――お礼……お礼を言わなきゃ
 そんなことを虚ろに思っても疲れ切った体と脳は、自由に考えさせてくれない。
 なんで、こんなに疲れているんだろう。
 どうして、体があちこち痛むんだろう。
 なにを考えても、思い出せない。
――駄目……目を開けていられない
 運ばれながら揺れる体と共に、意識は徐々に失われていく。
 体がどっと重くなると、瞼は閉じられていった。
 再び、蘭は意識を闇の中へ手放した。



* * *



 目が覚めた時に自分の顔を覗いていたのは、繊細な造りの綺麗な青年だった。
 誰だか分からずに蘭は何度か目を瞬かせる。
「蘭様、お目覚めですか?」
 うやうやしく青年は蘭のことをそう呼び、その人形のように美しい顔をしかめる。
「う……ん、蘭様って……私は下慮よ……あなたは誰?」
 まどろみ身体をゆっくりと起こして、ベッドの隣に膝をつく青年を見つめた。
――どうしたの、変なことでも言った? 
 青年の瞳は驚きが刻まれ、戸惑っているように見える。
 なにか悪いことでも言っただろうかと蘭は首を傾げた。
「僕を……覚えていないのですか………?」
 青年はわなわなとその薄い唇を震わせて、先程より表情を曇らせる。
――何をそんなに焦っているのかしら
 蘭は不思議そうに首を傾げて、綺麗な青年に問いかけた。
「私……どうしてこんなところにいるの? 身売りして、貴族の義鷹様に助けられて、屋敷に住んでいたはずなのに……」
 蘭はそこまで言って頭をゆっくりと振る。
 確か豪商に買われて料亭で義鷹に助けられたことを思い出す。
 そのあとで、義鷹の屋敷でお世話になっていたととは覚えているが。
――義鷹様の屋敷にいて、それから……
 その後のことがもやがかかったように思い出せない。
――あれ? 何だかぽっかり記憶に穴が空いているみたい。おかしい……
 もっと色んな人と出会い、様々な出来事があったはずなのに。
 記憶に霞がかかり、思い出そうとするとズキンと脳に鈍痛が走る。
「――つっ! 痛い!」
 頭痛のする頭を両手で押さえると、青年が慌てて身を乗り出してきた。
「大丈夫ですか? ああ、なんていうことだ。なにも覚えていらっしゃらないとは」
 青年の動揺した声音と、悲しみを帯びた瞳が蘭を捉える。
 痛みの引いてきた頭をぐりぐり押しながら、蘭は青年に顔をねじった。
――この青年は……
 見ると、青年の右腕は首から三角吊りされた包帯に巻かれて、自由を奪われていた。
 どうやら怪我をしているようで、そちらに意識が向く。
「……怪我をしているの? どうして?」
「これはっ……」
 青年は蘭の問いに一瞬だが、言葉を詰まらせる。
 迷いが瞳に生じて、数秒なにかを思案しているようだった。
――どうしたんだろう?
 顔を俯かせていた青年は、次には意を決したように顔を上げて、強い眼差しで蘭を見つめる。
 そして、ゆっくりと語りかけるように形の良い唇を動かし始めた。
「……僕は公人。姉小路公人。僕達は姉弟なんです、姉さん」
――公人……?
 青年は蘭のことを姉さん――そう、悲しそうに呼んだ。
「……姉さんは下慮で、身売りをした時に今川の若君に助けられて一緒に暮らしていました」
 青年はそこまで言うと、一旦言葉を途切るが、すぐさま続け始める。
「……そして、懇意にしていた姉小路家に養女として迎えられたのです。だがすでに没落していた姉小路家は多額の借金を抱え、借金取りが酷いことをしてくるから、僕と姉さんは逃げたんです。あまりに辛すぎて、姉さんは記憶を失っているようですが」
 美しき青年――それが自分の血の繋がりのない弟と知り、蘭は唖然とした。
――私が貴族に養女として入ったの?






 





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