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エゴイストな夜 side4ー8 【綾子と速水の大人な恋!?編】




***

 形ばかりの婚約をして、いつものように速水と病院へ行ったある日――
 私は桜ちゃんの見舞いに来て、あることに気がついた。
 桜ちゃんの爪が綺麗に切られてあって、髪が整えられている。
「これ、速水がしたの?」
 私は不思議がって桜ちゃんを見下ろすが、速水は力なく首を横に振った。
「いや、正樹君だな」
 正樹君――桜ちゃんと桜巡りに行ったという不思議な少年。
 噂だけは聞いているが、まだ会ったことはなかった。
 いや、病院で後ろ姿だけは見たことあるが、のぞき見していたなど言えるはずもない。
「随分と気がつく子なのね」
 男の子なのによく女の子の身の回りに気を利かせている――そう思うと感心してしまった。
 いや、それだけ正樹君が桜ちゃんを見つめ続けている証拠だと思った。
「でも、惜しいわね」
 私は化粧ポーチからピンクのリップを取り出して、桜ちゃんの乾いた唇に塗ってあげる。
 こうすると唇がつやつやとしてくるし、潤いを帯び始めて何となく顔色が良く見えた。
 だが、速水が形相を変えて、私のリップを取り上げて投げ捨てる。
「速水……何をするの……」
 驚いて振り向いてしまったが、それより速水の顔が怖くて。
 私は何も言えなくなってしまった。
「そんなことをすると……まるで……死に化粧みたいだ」
 速水がぽつりと吐き出し、焦燥感を体に漂わせ始める。
「――え」
 唐突なことを言われて私は唖然としてしまい、わなわなと震える速水を見てしまった。
 ――何を、言っているのだろう
 私は理解が出来ずに震える速水を呆然と見続ける。
 速水は病室を飛び出し、あっという間に私の前から去ってしまう。
――追いかけなければ
 私の胸に嫌な予感が広がり、速水の後を慌てて追って行った。
 速水を見つけ私はなんとか追いつくように走り続ける。
 速水はふらふらとさまよい、そして車道に身を乗り出した。
「速水っ!」
 私は先のことも考えずに同じく車道に飛び出し、眼前に迫る車の光りに目を細めた。
 だけど速水を守らなければならない――それだけを思い、私は無我夢中で背中を抱き締める。
 キキキィ、と車のブレーキ音が路上に鳴り響き私は速水を抱きかかえたまま転がった。
 私と速水は何とか無事であった。
 擦り傷程度はあるけど、大事には至っていない。
 私はすぐに身体を起こし、速水の襟ぐりを掴んで怒鳴った。
「あんた、死ぬ気だったの!? 答えなさいよっ!」
 速水が死ぬ気だったと思えば、無性に腹が立って私は彼の体をゆさゆさと大きく揺さぶる。
「……死ぬ気ではない……ただ……桜がいなくなると思えば……」
 力なく速水はそれだけを言い、ゆっくりと私を見つめる。
「一人で何でも背負い込むんじゃないわよっ! 苦しいなら私にも分けなさいよ、馬鹿速水っ!」
 この人は生というものに無頓着ということを知って、急に悲しくなった。
 死んでも生きても――速水はどっちでもいいのだ。
 ただ、桜ちゃんがいるからこの世界に残っているだけで。
 一人で色んなものを背負い、孤独に何かと戦っている。
 速水は何も言わないが、本当は桜ちゃんを生かせておくお金が尽きかけていると――私は分かっていた。
 速水はどこかで桜ちゃんの生命維持を外す決断をしている――だから、死に化粧みたいだと……そんな風に思ってしまったのだ。
――馬鹿……馬鹿……馬鹿……
 そんなに苦しいなら私が悪役を買って出てやろう――。
「速水……桜ちゃんの生命維持を外して……」
 本当はこんなことなど言いたくない。
 速水をいつまでも応援していたい。
 だけど、速水が苦しむなら私が引導を渡してやろう。
「え――」
 速水が驚いて目を丸くしながら私を見つめている。
「ずっと、嫉妬していたの。私達はもう婚約者でしょ? だから言うこと聞いて? 桜ちゃんだってあのままの姿で生きたいと思ってないわよ」
 知っている――速水はこうやって背中を押してくれる人を待っていたのだ。
 だから私を選んで、その言葉をずっと待っていたのだと――。
 お望み通りに言ってあげよう、それが速水が願っていたこと。
 それなら私はヒール役に徹して、恨まれてあげる。
 あなたが出来ないことを、私が変わりにやってあげよう。
「ね、速水……お願い……」
 それなのに、私は涙が溢れてきてしまい、情けないほど声が震えていた。
「桜ちゃんの生命維持を外して……」
 あんたは良く頑張った――何年も、何年も、何年も、来る日も、来る日も――桜ちゃんを見守っていた。
 だから、もういいんだよ。
 あんな桜ちゃんを見るのは辛いんでしょう――。
 お金がなくてもきっと自分の給料をつぎ込んでも助けるはずなのに、速水の心の方が先に壊れてしまった。
 唯一、心を許した妹のような桜ちゃんを、あんな姿のままで見続けることに疲れたんでしょう。
 憔悴しきった速水の眼鏡の奥がきらりと光り輝く。
 泣いているの――?
「どうして、そこまで苦しんでいるのにっ……誰にも言わないのよ」
 私は速水の頭を引き寄せて思いきり抱き締めた。
 本当はこの人、不器用なのだと――その時新たな速水を知って胸が痛んだ。
 速水は声をあげることなく私の胸に顔を埋めて、静かに、とても静かに泣いた。
 私は速水を離すことなく、思い切り抱き締めて――その悲しみを分かち合ったのだった。 









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