先輩、僕の奴隷になってよ hold-29

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***


 夜の帳が落ち、窓の外から月明かりが差し込む時間になっても、愛斗は春香を起こすことが出来なかった。
 保健室はしんと静まり返り、愛斗はベッドの横にあるパイプ椅子に座ったまま春香の寝顔を見つめる。
 太腿から血が垂れているのを見た愛斗は、自分が激しく春香を抱いているから傷つけてしまったのかと思った。 
 だが、保険医から月経で体調を崩したのだと言われた時は、ほっとしたような――残念なような。
(先輩……妊娠してなかったんだな……)
 それでも愛斗が無茶をして、春香を抱いていたことには変わりない。
 だから春香は体調を崩して、寝込んでしまっているのだ。
(――春香先輩……)
 血の気を失った春香の額にかかる細い髪を払い、手のひらで体温を測る。
 少しだけ熱いが、薬を飲んでぐっすりと寝入っていた。 
 春香の様子を見ていると――突如、保健室のドアが開かれる。
 電気も灯さず淡い月の光がこぼれる中、愛斗は微動だにせず背中に迫る足音を聞いた。
 かつ、かつ――と高級な革靴を鳴らしてくるのは保険医のものではない。
 保険医は女でヒールを履いているからだ。
 だが愛斗はこの派手な打ち鳴らし方を嫌なほど聞いてきたために、誰のものであるかがすぐに分かった。
 かつ――と愛斗の後ろに止まり、佇む影が春香の顔を陰らせる。
「雪哉――先輩」
 愛斗は呆れにも似た胸中で静かにそれだけを吐き出した。
 春香との行為を見せつけたにも関わらず、雪哉は平気な振りしてこんなところにまでしゃしゃり出てくる。
 その厚顔さに感心もするが、苛立ちもした。
 雪哉の存在が邪魔で仕方がない――愛斗がぎりっと奥歯を噛み締めていることも知らずにふざけたことを言ってくるのだろうと、そう思った。
 だが何も知らない愚かな奴は自分だと思い知らされるのだった。
「――愛斗、お前は結局、何も変わっていないんだな」
 その言葉に何を知った風にと愛斗の顔はしかめられる。
「俺は、お前のことをずっと知っていたよ」
 それには疑問が湧いて、愛斗はゆっくりと振り返り、笑みの引いた雪哉を見据えた。
 その時、初めて愛斗は雪哉が表面ではふざけたキャラを演じているのだと気がついた。
 雪哉の表情はあまりにも真剣で、ぞくりとするほど凄みを帯びている。
「雪哉――あんた……顔が全然違う」
 愛斗が気を引き締め、雪哉に対する意識を改めながら様子を窺った。
「そういうお前だって……違うだろ?」
 おかしそうに雪哉は肩を竦めてみせるが、瞳は少しも笑ってなどいなかった。
 軽々しいのは全て演技だと知り、愛斗は雪哉に対して警戒を示す。
「まぁ、そんなに構えるな。そういう負けん気の強いところは昔のままだ」
「――いい加減なことを言うな。あんたのことなんて知らない」
 うさん臭いことを言う雪哉に顔をしかめるが、雪哉はふっと微笑み髪を掻き上げた。
「お前、父親が死んだ葬式の時も親戚に対してそんな顔してたよ」
 雪哉に突きつけられた言葉に一瞬だが、愛斗は動揺を瞳に浮かべ視線を彷徨わせる。
(なに、言っているんだ)
「言ったろ? 俺はお前のことをずっと前から知っているって」
 雪哉がもう一度そう言い捨てて困惑している愛斗を見つめた。
「何の……意味があって……僕を見てた……?」
 愛斗は途切れ途切れに言葉を吐き出すが、全くもって理解出来ずにいた。 
 父親が事故に遭って他界したのは、愛斗が十歳の時だ。
 母親の不倫事故が露呈して、その三年後に父親は酒浸りのまま逝ってしまった。
(十歳だぞ……今は十七歳だ……その頃からどうして知っている)
 愛斗は手を額にあてて、昔の記憶を引き出そうとするが嘲笑う親戚の顔しか思い浮かんでこなかった。





 
  

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