先輩、僕の奴隷になってよ hold-18

hold-18



  
***


「ああ、久しぶりだな、うん、元気にしてるよ、俺は」
 雪哉は片手に女を抱き寄せながら、ソファに座り携帯電話を耳に充てていた。
 暗闇を切り裂く眩しい光りに目を細めながら、電話の相手と話しをする。
 こんな時に電話がかかってくるなんて、タイミングが悪い。
 相手にはすでに雪哉がいかがわしい場所で遊んでいることがばれてしまっているだろう。
「あ、うん。ちょっと外でね……うるさくてごめん。はは、遊ぶばかりするなって? さすがだね、今でも心配してくれるんだな」
 クラブの音楽がうるさく、雪哉はもう片方の耳を塞ぐ。
 それでも心配してくれる相手に胸がじんと熱くなった。
 彼女は、今でも自分ごとのように雪哉を気にかけている。
 あのように別れたというのに。
「あ、うん……また……今度……元気な姿を見せてよ。うん、じゃ……」
 会話を終えた雪哉は携帯電話を切って、ポケットに突っ込んだ。
「雪哉〜誰?」
 隣りに座る女はさきほどナンパして知り合ったばかりだ。
 一流企業のOLとか言っていたが、そうとは思えないほど派手な出で立ちである。
 雪哉も年齢を誤魔化して、大学生と言っているのでお互い様だと思うが。
「あ〜さっきの電話は、母さん」
「え? 嘘、マザコン?」
 女が目を大きく見開き、けらけらと高笑いをする。
「実は元カノでしょう〜」
 女は嘘だと思い込んでいるようだが、本当のことだった。
 昔に別れたまま、ずっと話していなかったが、約二年前頃から連絡を取るようになる。
 あることがきっかけとなり――。
 母は時間の長さを思わせないぐらい、あっさりと雪哉を受け入れてくれた。
 それには嬉しく思った。
 だが、もしかして時間があの時のまま止まっているからではと考える。
 今でも呪縛に囚われたまま周りの時間だけが経過している――そうとも取れた。
「ねぇ、相手って、誰? ねぇ、ねぇ」
 しつこく聞いてくる女に煩わしさを感じながら、ぐいっとビールを飲み干す。
「本当に母親。俺ってばマザコンだから」
 冗談げに言うと、何がおかしいのか女はアルコールを飲んでまた笑い始めた。
 こういう女相手の方が雪哉は楽であった。
 後腐れなく遊べるし、気持ちを引きずる心配がない。
 学園では雪哉のファンクラブなるものがあったが、狭い範囲で手を出すと後々が面倒くさくて放っておいている。
 たまにデートしたり、学園でランチしたり、カラオケにみんなで行ったりと適当に相手をしていたが、決して手は出していない。
 理事長の息子という名目もあり、下手なことが出来ないと言うこともあったが、たった一人――好きでも想いが叶わない相手から逃げているということもある。
 穢れを知らないたった一人だけの姫。
 ビールを飲みながら、雪哉は光りと音の中で瞼の裏に春香の顔を思い浮かべた。
 屈託なく笑う無邪気な春香。
 それを見ているだけで、自然と至福感に浸り、いつまでもこのままでいいと思っていた。
 だが、あいつが現れてから全ては変わってしまった。
 雪哉はふっと視線を落とし、眉根を寄せる。
 助けることは出来るが、それでいいのだろうか?
 つかず離れずを決めていたのに、今更立ち入ることが出来るのか。
 気持ちを聞きたかった。
 もし、助けてと言うなら迷うことなく救うだろう。
 それでも、春香はあいつ――愛斗に惹かれているように見えた。
 手錠で繋がれ、囚われの姫を救う騎士に雪哉はなれないかもしれない。
 結局俺は――
 雪哉はそこまで考えて、香水のきつい女から手を離す。
「え、何、どうしたの雪哉?」
 急に女が煩わしく思え、その口紅を塗りたくった唇で名前を呼んで欲しくなかった。
『雪哉』
 春香の明るい声が鳴り響き、一瞬だけだがそれに酔いしれる。
(どうして俺たちは……二つに分かれてしまったんだろう)
 そこまで考えて、迷いを振り切るように酒を仰いだ。
「やっぱ――俺帰るわ」
 女が何か喚いていたが、興味を失い雪哉はふらりとクラブを出る。
 金には困っていない為に、タクシーで家まで帰ろうとつかまえた。
 気がついたら笑えることに、春香の家の前まで来る始末。
「何やってんだ、俺」
 一人でごちるが、つい春香の部屋を見上げてしまう。
 この家の住み心地はどうであろうか。
 雪哉が犠牲に……いや、守る為に引換にした大きな家――。
 二人で住むには大きすぎるだろうが、それでもこの地域に住んでくれて、春香が同じ高校に来てくれたことは嬉しく思った。
 知られないように様子を見に来ていることは春香には秘密である。
 もう、深夜の為に春香は寝ているのだろう。
(愛斗も一緒に寝ているのか)
 そう思うと胸が掻きむしられ、どうしようもなく嫉妬が増す。
(もう、抱かれているよな)
 考えたくもなかったが、春香の体から愛斗の香りがした。
 そう、雄の匂いをたっぷりとつけていたのだ。
 まるで愛斗が自分のモノであると、あてつけるように―― 
 清らかな春香は堕とされてしまった。 
 それでも嫌いになどなれない。
 身を焼くような熱情は失われることがなかった。
 本当はこの腕にしたかったのは自分だったというのに。
 それを簡単に奪っていた愛斗――。
「――お前は何も変わっていないんだな、愛斗……あの頃のように」
(そう、愛斗は誰も見ていない……いつも自分だけしか……) 
「早く……そこを超えろ……愛斗、そうしなければ本当に欲しいモノは手に入らないぞ」
 それだけをぽつりと吐き出した雪哉の声は、冷気に溶けて悲しく消えていった。
 そしてくるりと振り返り、静かに春香の家の前から立ち去ったのだった。
 その背中には憂いと拭えないほどの哀愁を漂わせて――。  









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