先輩、僕の奴隷になってよ hold-13

hold-13



***



「先輩、図書室で濡れてたでしょ? 一人でして見せてよ」
 家に帰り、愛斗がそう言ったのはご飯も食べ終わった後の頃だった。
 すっかり口調が変わった愛斗は、こちらが本性だと仮面の下の顔を見せてくれた。
「む、無理よ……そんなの……」
 天使の表面に騙されていた春香はショックを受けるよりも、愛斗のHな要求を回避することの方が大事であった。
「オナニーぐらいしているんでしょ? そうじゃなきゃ、昨日イッたりしないもんな」
 愛斗に突きつけられて春香は顔を真っ赤にする。
(昨日の夜のことはわざと……?)
「まさか、本当に寝ているとでも思った?」
 愛斗が意地悪そうに笑い、春香の髪をすいっといたずらに梳く。
「ま、愛斗君……どうして……? 私、出来ないものは出来ない」
 春香が拒絶の意思を主張すると、愛斗は苛立ったような笑みを浮かべる。
「先輩――教えてあげるよ、なぁんにも知らないみたいだからね」
 愛斗の肉感的な唇がくっと歪むと、空気がびりっと張り詰めた。
「先輩のお父さんって、本当は病気で死んだんじゃないんでしょ?」
 愛斗に言われて春香は目を丸くしてしまう。
 何を言っているのかがさっぱり分からず、驚きの眼差しで見つめ返した。
「何言って……るの? お父さんは病気だって……お母さんが――」
「先輩のお父さん、不倫旅行中に事故で死んだんだよ?」
 事実を突きつけられて、心臓が凍りつきそうになる。
(――不倫?) 
 到底受け入れられないことを言われて、自然に首を何度も横に振った。
「そんなわけないわ……」
「知らないんだ……本当に……」
 愛斗の綺麗な瞳が一瞬で翳り、声音は低く発せられる。
 その変わり果てた様子が怖くて、ぞくっと悪寒が走っていった。
「本当のことだよ。その不倫相手の女の息子が――」
 そこまで言って愛斗は勿体ぶるように言葉を途切り、沈黙を落とした。
 考えたくもなかったが、その様子からすると答えは一つだった。
「……もしかして……愛斗君ってこと?」
 恐る恐る紡ぎ出した声は緊張で掠れてしまっている。
「ご名答」
 それでも愛斗はあっさりとその無情な事実を肯定し、満足そうに微笑んだ。
「嘘よ……お父さんは病気で死んだって……そう聞かされたわ……」
春香は一瞬目眩がしたが、愛斗は冷たい視線を向けながら続きを語りはじめた。
「なんだ、本当に知らなかったの、先輩」
 愛斗がポケットから古い新聞記事を取り出し、春香に読ませた。
「お父さんの名前……」
 父と見知らぬ女性の名前が記載され、車で事故に遭ったとそこには書かれていた。
(お父さんと一緒に載っている女の人の名前が……愛斗君のお母さんってこと?)
運悪くガードレールを越えて、崖下に落ちて死亡――と。
「そ――んな」
 ざっと血の気が引いていき何の冗談かと目が空くほど記事を見つめる。
 父親が不倫をしていて、その相手の女性の息子が愛斗だなんて――こんなのは悪夢だと頭を振った。
「……この事実……春香先輩のお母さんに言ってもいい?」
 そう言われて春香ははっと顔を上げて、まじまじと愛斗を見据える。
 そのいいざまは、春香の母親が記憶を失っていると知っている言い方だった。
(愛斗君……お母さんが記憶ないことを知っている? だから……あの時……)
 愛斗が家に初めて来た時に、母親に聞いた言葉を思い出す。


『先輩とおばさま二人で住んでいるんですか?』
『ええ、夫が病気で亡くなってね。今は二人きりなのよ』
『病気で……? すみません、立ち入ったことを聞いてしまいまして』
 
 

 あの時の会話を思い出し、ざっと血の気が引いてくる。
 愛斗は母が本当のことを知っているか、わざと確認していたのだ。
(それって……ずっと前から……この家のことを調べて母に記憶がないことを知っていたってこと?)
 全て計画的に愛斗が近づいてきたことを悟り、わなわなと指先が震え始める。 
「待って……それは言わないで……お母さんはそこら辺の記憶はやたら曖昧で……よく覚えていないみたいなの。病気で死んだってことだけは覚えていて、それ以上のことは何も知らないのよ」
「それもそうでしょう。自分の夫が不倫相手の女と一緒に死んだら。記憶を改ざんしたくなるって思うよ」
「愛斗君……待って、愛斗君のご両親はお医者様って聞いたことがあるけど」
 ファンクラブの会長、松原美奈江が自慢げに話をしていたことがあった。
 愛斗の父親は外国で腕を磨いた有名な外科医で、母親も開業医だと。
 それを思い出すと、愛斗の話とは不一致になってくる。
 優しい両親――輝ける仕事――その息子の愛斗は純真無垢で天使のように愛らしく、神の祝福を受けているかのように美しく清らか。
 文武両道で、誰にでも優しい非の打ち所がない完璧な王子。
 なのに、目の前の愛斗は悪魔な素顔を見せ、冷たい眼差しを向けてくる春香の知らない人――。
「今の両親は父親の弟夫婦だよ。長年外国で暮らしていたけど……父が死んで、僕が親戚内をたらい回しにされているのを知って引き取ってくれたんだ」
「死んだ――?」
 愛斗の本当の両親はすでに二人とも他界していると知り、何も言えなくなる。
「ああ、父親は母親が不倫していることを知って、酒浸りになってね。事故であっけなく」
(ああ、そんな――)
 愛斗の父親を間接的に殺した相手が自分の家庭にあったと知り、大きなショックを受けた。
 落胆する春香に追い討ちをかけるように愛斗は口元を歪ませながら言い放つ。
「先輩、このことをお母さんに知られたくなかったら――僕の奴隷になってくれる?」
(愛斗君――恨んでいるの? お父さんも死んでしまって……家庭がめちゃくちゃになって……)
 愛斗の瞳はぞっとするほど冷たく――暗い色を滲ませていた。
「ねぇ、ちゃんと言って、先輩? それにおもらししたことをみんなに喋ってもいいのかな?」
 愛斗の繊細な指が春香の顎にかけられ、くっと上向かせる。
 春香はかぁっと体が熱く火照り、恥ずかしくて視線を逸らしてしまった。
(何も知らない純粋無垢な振りして……本当は……心では笑っていたの?)
 愛斗が天使の仮面を被った演技をしていることを知って、恥辱で唇を噛み締めた。
「ほら、先輩。ちゃんとこっち見て? 見ないとお母さんに言っちゃおうかな」
 愛斗がくくっと喉の奥で忍び笑いして、肩を小刻みに揺らせる。
「愛斗君っ……それは……やめて……」
 すぐに愛斗に視線を戻して、嘲るように笑う愛斗を見上げた。
「じゃあ、どうするの、先輩?」
「それは……」
 背中にじわりと嫌な汗が吹き出し、こんな時でも綺麗に笑う愛斗をじっと見つめてしまう。
(そのようなことを母親に言ってしまえば……) 
 母親に事実を突きつけたらどうなってしまうのだろうか。
 母親はああ見えて繊細で、神経質なところもある。
 ただでさえ記憶を失っているのだから、突如、お父さんは愛斗のお母さんと不倫をしていましたなんてことを言えば――。 
 想像しただけでも恐ろしくなり、春香はささやかな家庭を守る為に覚悟を決めた。
「――愛斗君の奴隷になります」
しおらしく発した春香の言葉に愛斗は艶然とした笑みを浮かべ、瞳に熱くたぎる獣の炎を宿した。
(ああ、もうこの悪魔な彼から逃れられない――)
 繋がれた手錠は愛斗がわざと替えたものだと――今更そのことを知り――
(文化祭前夜……私の手伝いをする為じゃなく……手錠を替える為に教室へ来たんだね……愛斗君……)
 それが分かり、春香の眼前が真っ暗になった気がした。
 そして――抗えることもなく、春香は今日この日から愛斗の奴隷となったのだった。 







13





ぽちっと押して、応援してくだされば、励みになります。m(_ _)m


   next  / back

inserted by FC2 system