河畔に咲く鮮花  

第二章 十六輪の花* 2:歪む欲望


 古びた洋館の中は明かりが最小限に落とされており、伊達政春は目の前にいる男に視線を向けた。
 紗が引かれた向こうでは、相手の表情は窺いしれない。
 それでもこの空間には、春とその男だけである。
 誰も邪魔することは出来ない。
 ――こいつ、信用なるのか
 春は密会を申し出てきた男に訝しさを感じながらも、それでも突っぱねきれないでいた。
「だから、兵隊を貸してあげるよ」
 男はあっさりとそう言い、薄い紗の向こうで影を揺らめかせた。
「何の為に?」
 春は男の真意をしる為に、目を細める。
 表情は見えなくとも、言葉の端々で感じることは出来るだろう。
「……嫌いなんだ」
 男は考える素振りもなくあっさりと答える。一瞬、春は眉をしかめて、視線を落とした。
――確かに……一理はある。俺も織田が嫌いだ
「どうする?」
 春にゆっくりと考える暇も与えずに、男は交渉を始める。
――こいつ、焦らせて思考を鈍らそうとしているのか?
 急にふって湧いた提案にすぐに食いつくわけにはいなかい。
 上手い話ほど裏があるというものだ。
 それでも春は、喉から手が出るほど動かせる兵隊が欲しいというのも嘘ではない。 
「お前に得があるのか?」
 春は紗の向こうの男にそう聞くが、全く動揺する素振りを見せない。
「気持ち的な問題なんだよ」
 そう言う男の声は迷いがなく、真実を語っているようにも思えた。
――この男の歪んだ欲望がこの結果か
 春は一呼吸置いて、視線を彷徨わせる。
 ――それでも、やっぱり信じられない……だが……そうだ、俺が上手く利用してやればいい
 春はふとそう思いなおす。伊達家の者を動かせることは出来るが、全員とはいかない。
――ふん、義弟にかまけているからな
 そうなれば、男の提案は随分と助けになるだろう。
――そうだ、こいつは何も出来ない。だから俺に力を貸すというのだ
 男の権力と地位は揺るぎないもので、そこだけは認めてもいいところだった。
 だがこの男という存在はもろ刃の剣になるほど、危うい存在であった。
 扱い方により、敵にも味方にもなる。
――いや、元より敵か
 春は苦々しい表情を作り、拳を固く握り締めた。
 こういう時に相談する相手が腐るほどいたら――そこまで考えてかぶりを振った。
 これは自分が決定することなのだ。
 誰かに相談する時間も惜しいほどだった。
 それが一組織を率いるリーダーの苦しみでもあった。
「この洋館をあげるよ。今は使っていないから」
 そう言われて、春は今自分のいる部屋を見回す。人が住んでいない為に痛んではいるが十分に使用できる。
――いいな、新しいアジトか
 伊達家のビルはもう使用出来なくなってしまった。
 蘭を監禁したアジトは、足がつかないように売ったのだ。
 あの後も拠点になるところを探していたが、いまいちいい物件がなかった。
 ちょうど新しいアジトが欲しいと思っていた頃だ。
 この場所は郊外で目立たなくて、身を潜めるにはちょうどいい。
 そこまで思い、春は悪くない協定だと視線を男に戻す。
 男がこの協力を持ってきたのも、覇王の記が花嫁の元へ送られたことを知ったからだ。
――覇王の記は蘭に渡ったか
 春はそれを思い浮かべてふっと笑う。
だが実際にこの目で覇王の記を見たことはない。
 権力の象徴と一緒に蘭も奪ってやろうか――
 織田信雪をとうとう倒す日がやって来たのだ。
 それを思うと、気持ちがはやって仕方がない。
 最近、傘下の下の下にいる奴らに、蘭の誘拐を指示した。
 織田信雪が大阪に行っている間に、貴族の屋敷へ足を運んだことに調べはついていた。
 だが、なかなか屋敷から出て来ずにやきもきとしていたが。
――だが後一歩のところで、織田が大阪から帰ってきて阻止された
 春はちっと舌打ちして、視線をあげる。
「……お前の協力を今だけでも受け入れてやろう」
 その答えが返ってくるのを見越していたのか、紗の向こうの男はうっすらと笑った気がした。
 ぞくりと背筋が震えるが、すぐに空気は柔らかいものになる。
「良かったよ。そう言ってくれて」
 ほっとしたような安堵の声。
――一瞬の不穏な空気は気のせいか?
 春の目は細められ、紗の向こうの影を射る。
「さっそく用意するね」
 だが無邪気な声は、春の警戒心を解いていく。
――ふん、やっぱり子供だな
「ああ、そうしてくれ」
 一時でもこの男が味方してくれれば、願ったりだった。色んな情報をこの男から引っ張り出せるだろう。
 織田を倒した後には、この男も不必要だ。
――いや、従順なら飼って一生使ってやってもいい
 だが織田を倒すことに名乗りをあげるこの男は信用がならない。
 ――やはり、用はない
 利用するだけして、後は捨てればいいのだ。
 春はそのように気持ちを固めて、男との一時的でもある協定を組んだ。
――もう少し、もう少しだ
 溶ける雪を思い浮かべて、春は静かに目を閉じた。
「じゃ、ね」
 男はその様子をものともせずに、古びれた洋館を後にした。
 立ち去った気配を感じて春はようやく目を開ける。
「――春、あいつを信用するのか」
 ものかげから出て来たのは、幼馴染で親友でもある真田唯直。
「……唯……来ていたのか」
 密会としっていたが、唯は心配して陰で内容を聞いていたのだ。
 相変わらず心配性だと春は呆れる目を向ける。
「信用はしていない。ただ利用するだけだ、唯」
 その考えを聞いて唯はほっと胸を撫で下ろした。
――正直な奴だ
 春はそれを見て、少しだけ頬を緩めた。
「そうだな、利用するだけすればいいんだ」
 唯は春の意見に同意して、伸びた髪を掻きあげる。
「ああ、もうすぐ織田は終わる」
「長かったな……春……」
 しんみりと呟く唯を見て、春はふんと鼻をならす。
「まだこれからだぞ、唯。気を抜くな」
「そ、そうだな。済まない」
 顔を引き締める唯を見て、春はますます笑いがこみ上げてくる。
――真面目すぎるんだ、お前は
 それでも信頼出来るのはこの世で唯だけであった。
 春を絶対に裏切ることのない唯一の親友。
 それをわざわざ口に出して言うことは一生ないだろうが。
「あんまり気合い入れ過ぎるなよ、唯」
「任せておけよ」
 破顔して笑う唯を見て、春はちくりと胸が痛む。
――本当にこいつを引っ張り込んでいいのか
 失敗したら唯だけでなく、真田家にも迷惑がかかる。
 この命だけではなく、唯の命もこの世から消されるであろう。
 それを思うと、やるせない気もした。
 幼少から振り回すだけ振り回してきたのだから。
 春はもう一度だけ唯に視線を向けて、口元に寂しげな笑みを浮かべる。
――最後には唯の意思に任せよう。抜けたければいつでも抜ければいい
 春はそれだけを心の中で思い、はりきる唯を見つめた。
――さぁ、ここからだ
 春は気持ちを引き締めて、織田失脚の計画を立てるのであった。 
 そして、終焉へ向かう夜は静かに更けていった――






 





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