河畔に咲く鮮花  





 * * *

 ともの両親は病院ではなく、自分の邸宅で休養しているようだった。
 気持ちが浮かずにともの家に来た蘭はあんぐりと口を開けてしまう。
 一瞬だけとものことも忘れて、目を奪われてしまった。
――お城みたい
 ともの家は邸宅というより、ほとんどお城のように大きな洋館である。
 ロココ調にしつらえた調度品や、ところどころに彫刻がオブジェとして置かれてある。
 白を基調としたエントランスには、噴水まであった。
 豪奢なシャンデリアが光り、ぴかぴかに磨きあげられた大理石。
 蘭だけがきょろきょろと視線を彷徨わせ、落ち着きなく周りを観察する。
――凄い、凄い、お姫様になった気分
 蘭の観光に来たおのぼりさんのような態度に雪はぷっと吹き出した。
「蘭、口が開いてるぞ。覇王の妻なんだから、もっと締まりのある顔をしろよ。ま、お前らしくていいけどな。くくっ」
 雪がおかしそうに肩を揺らして笑う。
 「まぁまぁ、こういう純朴なところが、蘭ちゃんのええところや。俺はこのままでええと思うで」
 秀樹は大きな果物かごを抱えて、よたよたとエントランスを歩く。
――は、恥ずかしい……
 蘭は頬を赤く染めて、俯いてしまった。
「みんな、こっち、こっち!」
 その時、明るい声が二階から降って来て、思わずそっちに視線が向いた。
 吹き抜けになっている、二階部分からはともがぶんぶんと手を振って、招いて来る。
――とも君……
 その姿を見てどきりとしたが、ともの態度は何ら変わらない。
 二階に通じる階段を上がり、久しぶりにともの姿を間近で見た。
 元気に振る舞っているが、どこか疲れたような、少し痩せたようにも見える。
 両親が事故に遭い、精神を患ったのであろう。
――そうよね……ご両親が大変な時だもん……私なんかに構う余裕なんてないか……
 ともの境遇を思うと胸が痛み、蘭は少しだけ視線を逸らした。
「みんな、久しぶりだね。連絡が遅くなってごめん。ともかく入って」
 ともは一つの部屋に招き入れてくれる。
 広々とした部屋の隅には大きなベッドが置かれ、その上にともの父親であろう人が寝ていた。
 腕に何本も点滴がさされ、口には酸素マスクをしている。
「……状態は、どうなんだ?」
 雪が静かにともの父親の容態を聞いた。
「うん、事故に遭ってから意識を取り戻していないんだ。母さんは良くなったけど、お父さんがこんなだから、心身疲労でさ。寝こむことが多くなったんだ」
――意識不明って……
 目を閉じてぴくりとも動かないともの父親を見て、蘭は絶句してしまう。
あまりにも重い状態をあっさりと言うともに雪も秀樹も眉をしかめた。
「事故ってどんなんやったの?」
 秀樹がテーブルの上に果物かごを置いて、慎重にともに事故の内容を聞く。
「トラックが反対車線から追突して来たんだ。その運転手は大量の睡眠薬を飲んでいて、意識朦朧だったみたい。そして、巻き込まれた両親は今に至るってわけ」
 ――とも君……そんなに軽々しく言うなんて……
 思ったより重度な状態に蘭も口を開けなくなった。
「この一ヶ月は親の変わりに僕が公務をしていてね。色々忙しくて、外にも出られない状態が続いたんだよ。だから、みんなにも連絡が遅くなった、ごめんね。それに徳川家が事故した記事は全部握り潰していたんだ。こんなことが世間に知られれば、失脚を狙う輩が徳川に牙を剥くかも知れないからね」
 そこまで言うと、ともはしゅんと項垂れて長いまつ毛を伏せる。
「そうか、こっちも色々とあってな。気がついてやれなくて済まなかった」
 雪がぽんぽんとともの頭を撫でて、重い溜息を吐いた。
「いいんだ、みんなも公務やらなんやらで忙しいのは分かっていたから。こうやって来てくれただけで嬉しいよ。ね、またちょくちょく来てくれるよね?」
 ともが悲しげに瞳を揺らせて雪を見つめる。
「ああ、時間をなるべく作る。もし、無理なら蘭だけでも寄こしてやるよ」
――えっ?
 雪の何気ない言葉を聞いて、蘭は胸をどきりと跳ねさせた。
「で、でも、あんまり外を出歩くの嫌がるでしょ、雪? それにとも君にも迷惑かけるんじゃないかな」
――とも君の家に来るなんて、それは……困る……
 焦りを悟られずにやんわりと拒否の言葉を紡ぐ。
「ともは俺の弟分だ。そうなると、蘭はお姉さんだろ? 御三家はお互い困った時に助け合う。それが、友達だ。それにお前は正式な花嫁だろ?」
 雪の視線が蘭の左手に落ちる。そこには譲り受けた覇王の記が嵌められていた。
「……蘭おねーさん。覇王の記を貰ったんだね」
 ともがいち早く気づいて、抑揚のない言葉を紡ぎ出す。
――とも君?
 その声音が一瞬暗く感じて蘭は様子を窺うが、すぐに秀樹が飛んできた。
「ほんまや〜覇王の記や。これで立派に蘭ちゃんも覇王の花嫁やな。そりゃあ、弟分のともの面倒は見てやらんと」
――そんな……
 蘭の気も知らずに秀樹は左手に嵌められている指輪を遠慮なく眺める。
「だろ、決定だ」
 雪は何も知らないから、そう言って屈託なく笑った。
――なんか、どんどんと話の流れが……
 蘭は自分の主張が通らず、眉をしかめる。ともをちらりと盗み見するが、にこりと微笑まれた。
「本当? 蘭おねーさんが来てくれたら、僕も疲れが吹っ飛ぶよ」
 ともは義鷹の屋敷で見せたような、毒の部分を出さずに無邪気にはしゃぐ。
 初めて出会った時の、純粋で無垢なままのとも。
――とも君……学園で出会った時のような雰囲気だわ
 もしかして両親の事故で、毒気が抜かれたという可能性もある。
「……その時は、護衛も付けてくれるんでしょ?」
 蘭は断れない雰囲気を肌で感じ取って、恐る恐る雪に問いかけてみた。
「ああ、いくらでも付けてやる」
 雪の答えにほぅっと胸を撫で下ろす。
 警護を多く付けて、ともの家を訪問するなら少しは安全だろうか。
 もう、あの時のように蹂躙されたくはない。
 反論して来るかと思ったが、ともはにこりと屈託のない笑みを向けてきた。
「良かった、蘭おねーさんが来る時は、おいしいお菓子を用意しておくね」
――とも君……瞳が輝いている
 やはりあの時と雰囲気が違う。蘭が来てくれることを本当に心待ちにしているような笑み。
 美しい碧の瞳は生気を取り戻し、邪気の欠片を一つも滲ませていなかった。
――とも君……疲れているのかな
 両親が事故で伏せてしまい、その変わりに公務をこなし相当参っているのかも知れない。
 変わったのかも――いや、出会った頃に戻ったのかも知れないと蘭はぼんやりと考えた。
「じゃあ、出来る限りはするね」
 これ以上、断るのは雪に変に思われるだろう。
 蘭は屈託なく笑うともを見ながら、また訪れることを約束したのだった。
 その決断が、運命を大きくねじ曲げていくことも知らずに――。





 





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