河畔に咲く鮮花  





 夕日は沈んだが、蘭と義鷹は縁側で手を繋ぎあったまま蘭の花が香る庭を見つめる。
 お互いに言葉は少ないが、心では通っている気がした。
「身受けの件は蘭に託してもいい。だから、もう帰ってもいいんだよ。私からは本当はこんなことは言えないんだが。とも様が蘭を帰すことを拒んでいるからね」
 そこまで言って、義鷹の手がぐっと力強く握られる。
「……本当は帰したくないんだ。雪様の手からようやく蘭が戻って来てくれた。だけど、お前がとも様から受けている行為を思うと、胸がちぎれそうなのだ」
 ぎりっと義鷹の奥歯が噛みしめられた。
「私が帰ればとも君がなにをするか分からないんです……義鷹様に酷いことをするかも知れません」
 その答えを聞いて義鷹は静かに顔をねじり、髪を優しく梳いてくれる。
「馬鹿だね蘭は。私のことまで心配して」
 それだけ漏らして、義鷹の顔は苦しそうにしかめられた。
「義鷹様?」
 暗い翳りを滲ませている義鷹が気になり顔を覗き込む。
「……私は蘭の思っているような男ではないのだよ。目的の為に汚ないことをして、色んな人を陥れて、裏切る」
 義鷹は今までの罪を告白するように苦悩に満ちた表情を浮かべる。
「そんなことありません。義鷹様は私の恩人なんです。身売りされて絶望の夜に沈んでいた私に光を与えてくれたのは、他の誰でもない、あなたなんです」
 重なり合った義鷹の手をぎゅっと握り返す。
「違うっ……私は、自分の野心の為にお前をも……」
 そこまで言って、義鷹は言葉を途切らせた。
「だけど、これだけは覚えておいて欲しい。これからどんなことがあっても」
 義鷹はもう一度、蘭の方に体をねじり真剣な眼差しを向ける。
「――どんなことがあっても、私はお前のことを愛している」
 初めて義鷹から愛の言葉を紡ぎ出されて蘭は何も言えずに茫然とした。
「例え、蘭が雪様を愛していても」
 驚くばかりの蘭を見て、義鷹はようやく笑みを取り戻す。
「まさか知らなかったのかい? 私がどれだけお前を愛しているのか」
 くすりと笑い、義鷹はもう一度蘭の髪を梳いてくれた。
 どきどきと胸が高鳴り、蘭の顔にさっと朱が差す。
 涼しい風が舞い込み、義鷹の艶のある長い髪が蘭の頬を撫でた。
 花の香りが鼻をくすぐり、それだけでも酔いしれそうになる。
「とにかく手配はしたから、今からでも屋敷に戻るんだ。とも様が来る前に。本当は私としてはもっとここに居て欲しいんだけどね」
 義鷹の柔らかい笑みが降って来て、蘭の心は穏やかに凪いでくる。
 ともに毎夜、蹂躙されて、人形のように感情を押し殺していた蘭の閉ざされた気持ち。
 それが義鷹と向きあえてようやく人間らしく動き出した。
「……誰が、勝手に帰っていいって許可したの?」
 優しい時間が一瞬で凍りつく。義鷹といてすっかり時間を忘れていた。
 いつも直接離れに来るともが、蘭の姿が見えなくて本家に現れたのだ。
 蘭は顔を強張らせたまま怖々と振り向く。
 にこりと綺麗に微笑むともの瞳は暗く沈んでいる。
「蘭おねーさん、こんなとこにいたんだ。探しちゃったよ」
 優しい声音だが、その裏に含まれた苛立ちが肌を刺してくる。
 義鷹がそっと庇うように蘭の前に立ちあがった。
「あはっ、義鷹も結構腹黒いよね。小癪な手回ししてさ」
 ともはおかしそうに笑って、手に小さなカプセル状の筒を見せつける。それを見て義鷹は目を細めた。
「これ、蘭おねーさんの食事にいつも混ぜられてんの。なんだか知ってる? 避妊薬だよ。わざわざ、カプセルから出して粉にして食べさせていたんだよ。こんなの入れられているなんてね」
 ともは怒りを孕んだ眼差しで、カプセルを手で握りつぶした。
「蘭は雪様の妻です。とも様が困らないように気を利かせたおつもりですが」
 義鷹はあくまで穏やかに発したが、棘が含まれている声音だ。
――義鷹様が避妊薬を入れてくれていた?
 蘭も知らない出来事に軽く驚くが、義鷹が自分の為に密かにしてくれていた行為だと知る。
「……今日からそんな気を利かせる必要はないよ」
 ともの冷えた声が響き、口元から笑みが引いた。
「さぁ、行こう。蘭おねーさん。時間が押しちゃったよ」
 義鷹とこれ以上は会話を交わすことはなく、蘭の手は痛いほどともに引っ張られた。
 あの夜が始まる、そう思うと自然に体が震えてくる。
 また朝まで体を貪られ、快感だけに溺れさせられる。
 そうすると思考が閉ざされ、自分で考えることすら許されない。
 何度も、壊れていいと囁かれ、何度も高みに昇らされる。
 それが繰り返し行われて、解放される時には意思も感情もなくなる。
 ただともの言うことを聞いて、優しくも残酷な腕の中で、飼いならされていくだけだ。
 ともの行為の真意が分からず、蘭は戸惑うばかり。
 本当に心も体も蹂躙して壊したいのか。
 たまに見せる遠い目はどんな未来を想像しているのかも量りしえないものだった。
 それでも蘭は拒めない。秀樹に無理やり情事に及ばれた夜の証拠がともの手にはある。
 それが雪に知られてしまったら――
 都合のいい考えだが、それだけは隠しておきたかった。
 雪の怒りが怖いのではない。自分はどうなってもかまわない。
 ただ、どんなことがあっても、やっぱり雪を愛しているから。彼の悲しんで苦しむ顔を見たくなどはなかった。
 だが、それは同時にともに弱みを握られることになり、結局は本末転倒な結果になっている。
 脅されているといっても、雪を裏切る行為を毎晩、ともと重ねているのだから。
「さぁ、早く。蘭おねーさん」
 ともが待ちきれないように蘭の手を引っ張り、甘えた声をだす。
 だが蘭は思わずその場で足を踏ん張り、とどまってしまった。 
 こんなことをすれば、ともの機嫌が悪くなる。意識では分かっているはずなのに、体が言うことを聞いてくれない。
 ともが一瞬、険しい表情を刻むがすぐさま肩の力を抜いてにこりと微笑む。
 その微笑みが残酷で、妖艶で――それがあまりにも綺麗で恐ろしくなった。
「――分かった、僕達が愛し合っているところを義鷹にも見てもらおうか?」
 一瞬なにを言われたか分からなくて思わず眉をしかめる。
 ――愛し合っている? 義鷹様の前で行為を見せつける?
「とも……君……なに……言ってんの……」
 ともの手を振りほどこうとするが、簡単に放してくれるわけはない。
「あれ? 震えてるの? 蘭おねーさん。恥ずかしがらなくていいのに。雪の時だってやったでしょ? それをここでもしようよ」
 ともの提案は残酷で蘭の気持ちを苦しめる。
 だがともはそれが当り前のように意気揚々と目を輝かせた。
「……とも様……それはお許し下さい。私は向こうの部屋で控えておきますので」
 義鷹が苦しそうに声を絞り出して、さっと目を逸らした。
「くっ、あっはははは。いつもの冷静沈着はどうしたのさ、義鷹。なにがあっても不気味なくらい動じないのに」
 ともの鋭い指摘に義鷹はぐっと顔をしかめる。
 だがすぐに感情を押し殺して当たり障りない言葉を選んで口を開いた。
「蘭は雪様の妻です。あまりに堂々と私の屋敷で蜜会を重ねるのはとも様としてはいかがなものかと。あなた様は御三家の一人です、もう少し行動には気をつけなければ。雪様に事が知られれば、徳川家を潰しにかかるでしょう」
 義鷹の強い口調に初めてともは動きを止めて顔をねじった。その顔は恐れもなく、焦りの色もない。
 ふっと口元だけで笑うと、呆れたように首をかしげた。
「……僕がなにも知らないと思っているの? 蘭おねーさんは雪からまだ覇王の記を譲り受けていない。つまりは、正式な妻ではない。その事実は他の覇者は知らないかも知れないけど、御三家はねぇ、それを知っているんだよ」
 目を見開いたのは義鷹だけではない。蘭ももう一度その真実を突きつけられて体がわなないた。






 





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