河畔に咲く鮮花  




 * * *

 蘭が家族と再会している間、義鷹は車の中で待機していた。 
 義鷹の車はこの地区では目立つ。
 ほとんどの下慮の者は恐れて、近づくことはなかったが、ふいに窓ガラスに映る姿を目の端に捉える。
 どんな物好きかと義鷹は好奇心に駆られてその人物を車の中から見上げた。
 その人物の姿を見た瞬間に、義鷹の表情は曇る。
「少しだけ出るから、ここで待っていてくれないか」
 運転手にそう告げて、義鷹は後部座席から外に出た。そこに待っていたのは蘭がお兄さんと慕っている明智光明――。
 義鷹ほど上等な服は着ていないが、質素な中にも周りを魅了する艶やかさはあいも変わらない。
 流石だと義鷹は光明を見ては感心する。
 あの時から怪しい毒の魅力を含んだまま光明は少しだけ笑みを見せた。
「少しだけ歩きませんか」
 光明に促されて義鷹は軽く頷く。
 ぶらぶらと当てもない散歩を続けて光明はちらりと蘭の家に視線を流した。
「お貴族様が今日は何の用で、こんなどぶ臭いところに来ているのですか?」
 理由は分かっているはずなのに――と義鷹は眉をひそめて、剣呑に口を開く。
「蘭が家族に会いたがっていましてね。私の屋敷にいる間でも少し自由にしてあげようかと思っている次第です」
 義鷹の答えを聞いて、光明はおかしそうに口元を歪める。
「相変わらず、蘭、蘭ですね。あなたは。あの時からずっと一途だ。笑えるほどにね――」
 光明の言い様に義鷹は綺麗な顔を少しだけ崩した。
「だから、私はあなたの計画に乗ったんです、光明さん」
 義鷹は苦し気に吐息を漏らす。光明はそれを見て、妖艶に笑った。
「蘭をまだ抱いていないのですか?」
 光明の馬鹿にしたいい方に義鷹はカッと顔を赤らめる。
「その様子ではまだのようですね。ところどころで浮名を流し、色んな女性を泣かせたあなたが、まるで少年のように手をこまねいている」
 くっくと肩を揺らして光明は無邪気に笑った。
「そのような話をしたいわけではないでしょう」
 義鷹は不快を露わにして、拳をぎゅっと握り締める。
「蘭はまだ覇王の記を手に入れていないのか?」
 光明の口調ががらりと変わり、声も低く発せられる。
「……はい、なので焚きつけましたよ」
「何が不服なんだ? 俺の計画に乗り、蘭を利用しようと考えたのはお前だ。それなのに、覇王に抱かれていることが悔しいのか? 覇者達にも蘭は言い寄られ、お前は手出しできないまま唇を噛みしめている。それは自業自得というものだ。残酷なのは俺よりお前だよ」
 光明にきつい言葉をお見舞いされて義鷹はぐっと怯んだ。
「蘭に教えてやればいい。あの指輪をあげたのはお前だってことを。仕送りもずっと続けてきたことも。そうすれば、蘭の気持ちは覇王より、お前に向くかもよ」
 義鷹は光明の言葉にあの時を鮮明に思い出す。
――それはもう、十数年前のことだ。
 全てが色を失った世界で、蘭だけが鮮やかに見えた。
 その時代の今川の当主が病気に伏せり、後継ぎを義鷹にと言われていた。
 だが、腹違いの兄というのが名乗りでて、場は一気に混乱した。
 腹違いでも義鷹より年上の兄に、継承権はある。
 継母も権力を握ろうと今川家に押しかけて、義鷹は暗殺されそうになった。
 母が義鷹を庇い、毒を口に含んでこの世を去ってしまう。悔しくて悲しくて義鷹は眠れない日々を過ごした。
 殺害は隠蔽され、母は病気で亡くなったと世間には発表される。自暴自棄に陥り、義鷹は屋敷を抜け出して、一人になる場所を求めた。
 貴族街を逃れて、気づいた時は下慮達の住む河畔へと足を運んでいた。
 草の陰に隠れて灰色に見える世界で義鷹はひっそりと泣く。
 一見華やかに見えて、裏では色んな憎悪や悪が渦巻いている貴族の世界。
 ――捨ててしまいたい、何もかも
 そんな失意の中で、義鷹は幼い少女に出会う。
 下慮の娘らしいが、彼女は天真爛漫で無邪気で、素っ裸で笑っていた。
 その姿は化粧だらけで塗りたくられた貴族の娘よりも美しかった。
 その少女の名は森下蘭という――。
 義鷹の世界に色が戻り、蘭だけは眩しく輝いて見えた。 
「どうして泣いているの、おねーさん」
 蘭は義鷹を女性と勘違いし、お姉さんと呼ぶ。
 その時の義鷹は中性的で、まだ年端のいかない少年であった。
 女に間違えられることも多々あり、まだ幼い蘭には区別がつかなかったのだろう。
――私のこと女性と勘違いしているのか。それでもいい
 義鷹は自分を偽らずに話せる相手に出会え、初めて恋に落ちた。
 キスを交わし、将来のことや身近な話をして、逢瀬を楽しむ日々。
 それだけでも良かった。今川家を捨てて、いっそうのこと蘭と住むのもよい。
 世捨てしようと覚悟したこともある。
 だが、義鷹を貴族の世界へ帰らそうと決意させたのは、紛れもなく蘭自身であった。
「蘭ね、大きくなれば身売りしなきゃならないの」 
下慮の娘は身売りされるかも知れない。悲しそうに泣く蘭を見て、義鷹は大きく心を動かされた。
――このような少女が身売りなど……
 しかも下慮では貴族の元にも遣えることが出来ない。せいぜい一般市民か、商売人の元に買われる。
 その真実が義鷹の気持ちを大きく揺らせた。
――蘭が男に買われるなんて……嫌だ
 自分が貴族の権力者になり、政を担って、このくだらない世界を変えよう――義鷹の中に芽生えた初めての野心。
 その心の隙に入り込んで来たのが、明智光明であった。
 あの河畔で、蜜会を交わしていた時、蘭が帰った後に光明とは出会った。
 少年の目にも艶やかで人の気持ちを惹きつける男は悪魔のように囁く。
「俺が世界を変えてやろうか――」
 その男の計画に乗り、義鷹はその目的達成の為に身の回りを固める決意をした。
 好きでもない権力者の女と寝ては、後ろ盾をしてもらい、今川家の腹違いの兄と継母を追い出して、貴族の中でもトップの権力者についた。
 反吐が出るような娘相手にも嫌な顔一つせずに、望むままに相手をした。
 ――そこまで十年もかかったのだ
 ようやく貴族一の権力者になり、陰ではずっと蘭の動向を探っていた。
 身売りに行ったことを光明から連絡を貰い、誰に買われたかを知り、あの料亭に足を運んだ。 
 知らぬふりして、蘭との再会を果たす。
 この腕に抱いた時は、嬉しくて気が気ではなかった。
――なんて綺麗になったのだ、蘭 
 少年から青年に成長した義鷹を見ても、あの時の貴族のお姉さんとはわからなかったようだ。
 それでも、今川家の家紋の入った鷹の紋章入りの指輪を大事に持っていてくれた。
――貧しくても売っていなかったのだね
 それだけでも義鷹の気持ちは踊ったのだ。
 だが、全てを手に入れる為には、義鷹は心を鬼にしなければならない。
 雪が一目見て、蘭を気に入ることは長い付き合いの中で分かっていた。義鷹はそれを知っていて、わざと雪と蘭を会わせた。
 思惑通り雪は蘭に恋をして、夢中になった。その間も本当は苦しかった。
 何度、蘭をこの手に抱こうかと信念が揺るぎそうになったことか。
 だが、雪に見染められた蘭は処女のままでいなければならない。
 雪は遊んでいる女より、ああ見えて純粋で無垢で、そして芯の強い女が好みだからだ。今の世は、上流階級の女でも派手に遊んでいる。
 処女など本当に希少価値のある天然記念物ものだ。
 しかも織田家と知って、そのステータスに群がる女も嫌う。
 雪は意外にもそういうところは女を厳しい目で見ていた。
 だが、いつかは結婚をしなければいけない身。
 政略結婚で斎藤家の蝶子との縁談はあったが、本当に好きな女が出来ればそれを蹴ってでもその女と一緒になるのは目に見えていた。
 そこまで義鷹は雪の性格を掌握していた。 
 そして思惑通りに、雪はその気性のまま下慮と覇王という身分を越えて、蘭を自分のものにした。
 後は、蘭が雪から覇王の記を貰えばいい。
 ――ようやくここまで来たのだ
 あれから長い間、義鷹の野望はようやく結ぶ時がくる。
 覇王の記を得た者こそ、国のトップになれる。
 だから、反勢力の覇者達も血眼でそれを探し求めた。その覇王の記を光明に渡し、天下は光明が治める。
 そういう筋書きではあるが――。
 織田家は失墜し、蘭は義鷹が引き取る。そういう風に光明と取引をした。
 そう、契約を交わしはしたが、そのまま光明に天下を執らせるわけにはいかない。
――光明の思うようにはさせない
 その黒く沈んだ気持ちを悟られないように、義鷹はひたすら隠し続ける。
「どうした? 急に黙り込んで」
 いつの間にか河畔にまで来ていた。ぬるい風が光明の艶のある髪がなびかせる。
――ああ、懐かしい河畔。ここで蘭と会った。そしてこの男とも……
 義鷹はちらりと光明の横顔を見て、この男は油断がならないと言い聞かせた。
「光明さん、そろそろ戻りましょう。蘭が戻っているかもしれません。計画はもうすぐで実ります。その時は……」
「分かっている、蘭はお前に引き渡す。そして俺には覇王の記を。天下を執った暁に今度は俺が今川家を庇護してやる。それが条件だ」
 光明は険のある言い方で義鷹の言葉を遮る。もう、それ以上はなにも言うなと物語っているようだ。
「はい、もう少しで全てが変わります」
――そう、世界の色が塗り変えられる
 義鷹は河に落ちゆく紅い夕日を見ながら、近づく終焉を思い描いた。






 





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