河畔に咲く鮮花  




*とある少年の野望* 光明の幼少期


 明智光明が初めて唇を奪われたのは、近所に住む森下蘭だった。
 とはいっても、生まれたばかりの赤ちゃんだった蘭が、そのことを覚えているはずもない。
 ――下虜街に生まれて可哀想な赤ん坊だ
 当初はそう思っていたが、唇が触れた瞬間に光明の気持ちは暖かくなった。それが、たったの十歳の光明にとって強烈な印象となる。
無邪気で純真な赤ん坊は穢れを知らなくて、冷め切っていた光明の心をほだしていった。
「蘭ね、大きくなればお兄さんのお嫁さんになる」
 屈託なく笑う蘭は本当に綺麗で、まだ何の不幸も知らない。
「そうか、じゃあ俺に似合うようにもっと料理を頑張らないとな」
「あっ……やっぱり美味しくないんだね」
 皿の上に乗る焦げた物体はもはや何かも分からない。それでも光明はそれが愛しく思えた。
「大丈夫だ、慣れれば上手くなる」
 そうなぐさめて優しく蘭にキスをした。蘭も嬉しそうに頬をほころばせる。まだ幼い蘭にとっては、このキスは家族から受ける挨拶のようなものだと思っているらしい。
――お兄さんか
 家族同然に扱われて嬉しいような複雑なような。
 それでも蘭の唇は自分だけのものだと光明はそう思っていた。
 蘭はきっと美しく成長するだろう。
 そのまま大きくなり、本当に光明の花嫁にしてもいい。
 下虜街だが働けば何とかなる。
 少年だった光明は漠然とした未来を思い浮かべて、蘭の成長を見守ろうと考える。
 十五歳になった光明は仕事をしようと、商売人や一般市民街まで出向いた。
 少しでも稼ぎになれば、将来少しはまともに生活出来るだろう。
 働き先は、商売人の屋敷でのハウスキーパーだった。
 いかにも私腹を肥やしていそうな主人は、脂ぎった顔をしている醜悪な男であった。  
「雇ってもらえるだけでありがたいと思え」
 下虜を醜いと見下した主人はそう吐き捨てた。光明は悔しい思いをするが、それでも金の為に言うことをきく。
 主人は大分商売で儲けているのか、貴族の称号を買いたいとよく漏らしていた。
――あの、デブ。貴族狙いか
 主人が密かに何人かの貴族を呼んで、接待をしていたのは知っていた。
それでもその頃の光明は関係ないと思って、ただ言われた仕事をこなす。
 主人のように権力者には媚を売り、胡麻をする様はやたら情けないものにみえる。
 あいつは貴族になってもそれ以上にはいけないな
 芯がすぐにぶれる主人は貴族になっても、トップになることは出来ないだろう。
――そう、あいつには誇りというものがない
 商売人なら商売人らしくその仕事に誇りを持つべきだ。それがない野心垂れ流しの主人は貴族に利用されるだけで終わるだろう。
だが、どんな接待をしているんだ?
 貴族が訪れた日は光明はお茶の一つも出せない。いつもは顎で使う主人がその日ばかりは光明に用事をいいつけなかった。
 その上、物置小屋から出てくるなと言うのだ。
 その日、定期的に接待を受けている貴族達がやってきた。
「――君、新しい子?」
 部屋に案内する途中で、貴族の一人が声をかけてくる。
その男は初めて見る顔だった。
「はい、こちらで働かせていただいております」
「へぇ、おじさんは白宮院(しらみやいん)秋生(あきお)一応、貴族かな」
 一応、貴族ってどういうことだ? それにやたら調子の軽い奴だな
「おじさん、初めてここに来るけど何があるか知ってる、君?」
「いいえ、存じ上げておりません」


 「そっかぁ、じゃあここの主人ってどんな人?」
 やたら人懐こく話しかけてくる秋生は、貴族の威厳らしさがなかった。
「嫌な奴です。金で貴族の称号を買おうとしていて、長いものには巻かれようとする。下虜の俺の方が誇りはあります」
 下虜と聞いて秋生は一瞬だが動きが止まった。
――貴族様は下虜を見るのは初めてか? まぁ、まともな反応だ
 光明は驚きを瞳に刻む秋生を見ても冷めた目つきだった。
「え、嫌な奴なんだ〜。にこにこして感じいいと思ったのにねぇ。君って正直だよね。おじさん、そういう子好きだよ」
「は?」
 間抜けにも驚いたのは光明の方であった。        
――そこかよ。こいつ、下虜ってことに驚いていないのか? 
 変わった貴族だと呆れるやら驚くやら。怪訝そうに見ていた光明の顔を覗き込み、秋生は頭を撫でてくる。
「な、何をなされているんですか」
――下虜に触るなんて、汚いって思わないのかこいつ
「何って、正直に教えてくれてありがとうって感謝の気持ちだけど〜」
 目尻を下げて柔和に微笑む秋生の顔を見て、光明は呆れた溜息を吐き出した。
――こいつ、こんなに人がいいとすぐに騙されるぞ
 一瞬秋生に同情の色を浮かべるが、貴族なぞどうでもいいかと思い直す。
 部屋へ通した後に、いつもの物置小屋で座っていると光明はメイドに呼ばれた。
――なんだ? 珍しく俺に用事とは
 光明は言われるまま主人の待っている部屋へ入る。明かりが落とされ、薄暗い中で光明は驚愕に目を見開いた。
――これって……
 裸で並べられている女が顔を俯かせて立っている。主人が市場で買ってきた者達だろう。
 その前で貴族達がじろじろと品を選ぶように見て回っている。
――そういうことか
この家の主人は貴族になりたいが為に、接待をしょっちゅう行っていた。
 それが女達の斡旋ということを光明は知った。
――下虜もいるのか?
 市場で売られるのは一般市民階級がほとんどだ。だが、中には下虜も混じっている。
 一昔前の光明なら下虜が混じっていても何とも思わなかっただろう。
 だが、裸で並ぶ娘の顔が一瞬だけ蘭に見えて――。
「やだ、やだ、止めてっ!」
 光明は甲高い声にはっと目を凝らす。貴族の一人が気に入ったのはまだ年端もいかない少女。
 それこそまだ幼い蘭とかぶってしまい、光明の気持ちに怒りが生じた。
――この、変態貴族めっ
 一歩動き出したところ主人にがつっと肩を掴まれる。意識がそちらに向き、顔を上げると主人の下卑た笑みが降ってきた。
「この少年ですが、どうでしょうか?」
 主人がくるりと振り返り一人の貴族の顔を窺う。
――なに言っているんだ?
 光明は眉をしかめるが、薄闇の中で貴族の一人が寄ってきて腰を屈める。
「これはこれは、見たこともないほど美しい少年だ」
 細い目の奥に獣の熱を滲ます貴族を見て光明はぞっと背中を震わせる。
――俺が呼ばれたのはこのためだった
 その貴族は女より少年を好む嗜好の持ち主なのだろう。
――こんな男に抱かれろと?
 家の主人は自分の地位を築く為に光明さえも売ろうとしていた。
 自然に体が震えて、唇を堅く噛み締める。
――これが低身分の運命か
 貴族のじわりと汗ばんだてのひらが光明の頬をさわさわと撫でる。
「――くっ」






 





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