河畔に咲く鮮花  





 「まぁ、待て。今すぐ取って食おうと思わない。とにかく腹が減っているんだ。俺にも何か取ってくれ」
――俺にも?
 花見の時のように、春はまた蘭を見ていたに違いない。言葉から察すると公人に食事を取り分けていた頃からであろう。
――本当にタチが悪いんだから
 顎をしゃくり命令してくる春はふっと笑い、困った蘭を見上げる。
「なんで、私がそんなことをしなきゃならないのよ」
「案外白状な奴だな。花見の時も助けてやったのに――それに一緒に過ごしていた時は、俺がお前に飯を作ったし、お茶も淹れてやっていただろう?」   
 意味深に笑う春を見て、蘭はかっと顔を紅潮させた。
 聞く人によっては、深い仲だと勘違いされてしまう。
「――蘭様?」
 公人が固まって動かない蘭を見て、声を潜めた。
「お前も、その刀を納めろ」
 抜き身の刀を見て春はそれだけを投げやりに言い放つ。
「さぁ、飯を食わせてくれよ」
 春はもう一度蘭に視線を戻して、皿を強引に手渡した。
「なんで、私が……」
 蘭はぶつぶつ文句を言いながら、それでも皿に色々と盛っていく。
 心配げに見ている公人に視線でコンタクトを取り、大丈夫だと蘭は頷いてみせた。
「はい、どうぞ召し上がれ」
 皿をどんと春の前に置いて、蘭はその場を立ち去ろうとする。すぐさま腕を掴まれて、蘭は椅子に座らされた。
「俺が食うまで戻るな。それとも、お前の部屋で食べてもいいぞ?」
「そ、それは困るわ!」
 ――こいつ、雪がいないことを知っているからそんなことを
 蘭は苦虫を潰した顔をして、その場でじっとする。
 部屋になど上がりこまれたら、春は絶対に出ていこうとしないだろう。
 それが分かって、蘭は渋々大人しくする。
 春はすぐにご飯を食べ始めるが、蘭はいつも隣にいる人の姿が見えないと辺りを見回した。
「いつも唯が側にいるとは限らない――」
 春の片方の瞳が蘭を捉え、それだけを呟く。
「そ、そうなんだ。いつも一緒にいるイメージだったから」
 気持ちが見透かされて蘭は思わず上ずった声を出した。
――なんで、気持ちが分かるのよ、こいつはいっつも
「ゲイじゃないんだ、いつも一緒のわけないだろう。気持ち悪い」
「ちょっ、ちょっと、別に気持ち悪いって言わなくてもいいじゃない! ゲイでも私は差別しないわよ。公人君だって好きな相手が男なだけだし! 何も悪くはないじゃないっ」
 勢いよく言ってしまった言葉に春の手はぴたりと止まる。ゆっくりと顔を上げて、不敵な笑みを浮かべた。
「あいつ――男が好きなのか」
 春の目の端が公人を捉えて、それだけを呟く。
「あっ! ご、ごめん。公人君……つい興奮して……言っちゃった……」
「くくくっ」
 春が目尻をさげて笑い、腹を抱える。
「そ、そこまで笑わなくても……」
 恥ずかしくなって蘭はかぁっと顔を赤らめた。申し訳なく思い、ちらりと公人を盗み見するが、本人は相変わらず感情が読み取れない。
 公人の顔は人形のように無表情で、瞳は無機質だった。  
「お前、もう少し嘘を身につけろ」
 春は一通り笑った後で、そう蘭に案を出してくる。
「そう出来ればいいんですけどね」
 肩を落とした瞬間、春の腕が伸びてきて頬を優しく撫でられた。
――かちゃり
 下ろしていた刀の柄を握る音が春の後ろから聞こえてきて、蘭は慌てて身をひいた。
「無粋な真似はするな」
 春が腕を下ろして、僅かに顔をねじり公人を睨みつける。
「き、公人君、刀を下ろして!」
 春を今にでも斬り殺しそうな視線を見て、蘭の背筋は寒くなる。
 こんなところで殺生沙汰など起こしたくはない。
「なかなかいい犬を飼っているな、蘭。男が好き――か。それを聞いて安心出来るかどうか」
 春が口の中で呟き、蘭にはそれが聞き取れなかった。
「忠実な犬がいるようだから、今日はお前を抱くことは出来ないな」
 抱く――と赤裸々に言う春を見て蘭は目を丸くする。
「なんだ?」
 春が首を傾げるが、蘭はぶるぶると体を震わせた。
「誰が、あんたなんかに抱かれるもんですかっ!」
 蘭が声を張り上げるが、春は悠長にその様を見ているだけだった。
 ワイングラスをゆらゆらと揺らして、春は形のいい唇を動かせる。
「――忘れたのか? あの夜のことを」
 妖艶に笑む春を見て、蘭はぞくりと背筋に冷たいものが這っていく。
 監禁されて春と唯の三人で過ごしたあの夜――。
「わ、忘れたわよ」
 蘭はふんと顔をそむけて、どぎまぎとした胸を押さえた。
「やっぱり白状な奴だな。あんなに熱い夜を過ごしたのに」
 ――また、そんな言い方して
 蘭が顔を戻して文句を言おうとしたが、言葉に詰まってしまう。
 いつの間にか春が音もなく蘭の目の前に立ち、怪しく光る瞳で見下ろしてきた。
「蘭様に近づかないでいただきたいっ!」
 公人が動くと同時に春は一瞬だけ顔を落とした。
 それはあっという間の出来事で、蘭は驚きを刻んだまま、春の美しい瞳をまじまじと見つめる。
 春の唇に塞がれたのは束の間で、すぐに熱は離れる。
「キスする時は目を閉じろ。色気のない奴だ」
 後ろに迫る公人をふわりと交わして、春は蘭から距離を取った。
「邪魔が入ったから今日はここまでだ。じゃあな」
 春はいつもの不敵な笑みを口元に刻み、颯爽と立ち去っていく。
――なんなのよ、あいつ
 蘭は袖でぐいっと唇を拭い、いつも掴めない春の背中を見送った。
――いつも進出鬼没で、意味の分からないことばっかりして
 完全に振り回されている気がして、蘭ははぁと溜息をこぼした。
「蘭様、部屋に戻りましょう。また絡まれたらいけません」
 公人がすぐに蘭の肩を抱き、部屋へ戻してくれる。
「はぁ、なんか疲れちゃった」
 お茶を差し出してきた公人の美しい眉がしかめられ、蘭の様子を窺う。
「このお茶で消毒出来るかしら」
 春にキスされたことを思い出し、蘭は湯呑を手に取る。
「あつ――っ」
「大丈夫ですか、蘭様っ」
 公人がすぐに湯呑を取り、テーブルに置いてくれた。
「火傷はございませんか」
 公人が蘭の手をとり、指の一本一本を丹念に眺めた。
「大丈夫だよ、ちょっと熱かっただけ」
 火傷をしていないと分かったのか、公人はようやく安堵の息を漏らした。
「冷ますのを待っていたら、消毒するのに時間がかかりそう。口をゆすいでこようかな」
 蘭が立とうとすると公人の人形のような顔が間近に迫る。
「僕が消毒いたします」
 そう公人の薄い唇が言ったかと思うと、べろりと舐められた。
――えっ?
 公人の赤い舌が蘭の唇を這いずり回り、丹念に舐め回される。
――こ、これが消毒?
 蘭は驚いて目を開くが、公人は真剣そのものだった。粘着く舌が蘭の唇の表面を何度もくすぐる。
 熱く濡れた舌でねっとりと唇を舐められると、蘭は段々と変な気持ちになってきた。
――犬みたいに舐めてる
 ぺろぺろと舐める公人は毛並みのよい上質な犬のようで。
 いつの間にか気持ちよくなった蘭は、意識がぼんやりとしてきた。
「どうですか、蘭様」
 ぬらりと艶を帯びた公人の唇が淫靡に見えて、蘭はそれに見惚れてしまう。
「もう少し、消毒いたしましょうか」
 公人の言葉でようやく蘭は我に戻り、慌てて首を横に振った。
「う、ううん、大丈夫。消毒されたと思う。もう今日は寝るね」
 どきどきする心臓を抑えて、蘭はさっと立ち上がる。
「蘭様、また御用になればお呼び下さい」
――僕はあなた様の犬になります
 その言葉を思い出し、蘭は公人に知られずに頬を染めた。
――覇王の為に
 だが浮いた気持ちはすぐに掻き消される。
――そうだった、公人君は雪の為にだった
 片付けをする君人を見て蘭は思い直す。
 それでもそこまでしてくれた公人に心の中で、ありがとうと呟いた。蘭の味方をしてくれるのは、雪の命令といっても今では公人だけ。
 障子が開け放たれ、闇に浮かぶ下弦の月は美しく笑っているようで。
 蘭はそれを見上げながら、ほんのりと気持ちが暖かくなるのを感じて自分も優しい微笑みを浮かべた。






 





70

ぽちっと押して応援して下されば、励みになりますm(__)m
↓ ↓ ↓



next /  back

inserted by FC2 system