河畔に咲く鮮花  





 「蘭様、申し訳ありません。足は大丈夫でしょうか?」
 公人が側に寄って来て、その場に片膝をついた。
「うん、大丈夫だけど少しひねったみたい」
 蘭は足首を撫でながら、軽く溜息を吐き出す。
――これじゃあ、二、三日は痛むかな
 そんなことを考えていたら、公人の綺麗な顔が間近に迫った。
「お見せ下さい。これで固定します」
 公人は上質なハンカチを取り出し、蘭の足をそっと持つと、ぐるぐると巻いて固定してくれた。
「あ、公人君、手が汚れちゃうから、いいよ」
 蘭は裸足のままだということに気がついて、泥だらけの足が恥ずかしく、公人の手からそっと逃れる。
――恥ずかしい。裸足で飛び出す花嫁なんていないよね 
 蝶子の小姓と言っても公人は貴族の坊ちゃん。
 手も滑らかで染み一つもないきめの細かさ。そんな手が泥だらけになっていくのを見て申し訳なく思う。
 やはり下慮という性分は根付いている。覇王の妻となっても、どこかでは下慮如きに手を汚して欲しくない。
 しかも人形のように綺麗な公人の一部を汚すなんて考えられなかった。
 間近で初めて公人の顔を見て蘭は思わず息を呑む。
 小さな顔には、長いまつ毛に縁取られた流麗な瞳。筋の通った鼻梁も、形の良い唇も上品で、額から流れ落ちる汗もきらきらと輝いている。
――人形みたいに精巧な造りだわ
 蘭は一生懸命に足の確認している公人を見て、何度も目を瞬かせた。
 思わずほぅっと見惚れてしまう麗しさ。
「なにやってんだ? そこの小姓」
 惚けているのも束の間、鋭い声が飛んで来て蘭はハッと身を硬直させた。
――雪っ!
 雪がどすどすと縁側を歩いてきては姿を現す。
 久しぶりに雪の顔を見て蘭は緊張をした。
相変わらずな態度で、不機嫌そうに公人を見下ろしている。
 その空気が居心地悪くて、蘭は恐る恐る雪の顔を盗み見した。
 お花見の後から雪は厳しくなり、親しい者が訪ねて来ても蘭に会わすことはなかった。
 あれ以降は秀樹ととも、義鷹にも会っていない状態だった。
 蘭はますます鳥の籠にいる毎日で、代わり映えのしない日々を過ごしている。
 いや、雪によってそういう状況にさせられているだけであった。
「あら、雪様、ご機嫌麗しゅうございます。見ての通り、剣術の稽古をしておりましたの」
 蝶子はいつものように慌てる様子もなく、雪にそう述べる。
「稽古だと?」
 雪が眉をひそめ、腕組みをしながら蝶子をじろりと睨む。
「だって、雪様は傍にいませんし、この蝶子には小姓達がついて身は守れますわ。でも、彼女には誰もいません。だから、鍛えてさしあげていますの」
 蝶子の言葉は一理あるのか、雪はふうんと唸る。
「それに心配なさらずとも、公人は女には興味がございません」
 蝶子がさらりと言ってのけ、その言葉に蘭は目を見開いた。
――女に興味がないということはどういうことであろう
「あの貴族、そっち系か」
 雪が鼻でふんっと笑い、公人を見やる。公人はすぐに雪に向かい、片膝をついた。
「姉小路家は今は没落の危機を迎えていますの。可愛そうなのでこの蝶子が助け、公人を預かっていますのよ。でもまさか男が好きとは思いませんでしたけどね」
 蝶子は公人を慰めの相手として、引き取ったのだろう。だが、公人は女には興味がないということを知り、計算外だというぼやきを漏らした。
 蘭は目をぱちくりさせながらそういうことかとようやく理解する。
 ――公人は同性でなければ好きにならない
 聞いたことはあるが、こうして目の前で見るのは初めてであった。
「へぇ、お前、女に興味ないのか? 竹刀を構えろよ。腕を見てやる」
 雪はにやりと不敵に微笑むと、庭に降り立って蘭から竹刀を奪い取る。
 公人は物おじしないのか、緊張の欠片の一つも見せずに、雪相手に竹刀を構えた。
「蘭、お前はさがって見てろ」
 不遜に言い放ち、雪は楽しそうに公人と竹刀を交えた。
 前にも典子と剣技を磨いているのを見て、雪はこういう風に体を動かせるほうが好きなのかも知れないとぼんやりと考える。
 お互いは引かずに両者とも互角に見えた。
 決着がつかずに雪は構えを解くと、竹刀の背でこんこんと肩を叩く。
「気に入った。お前、これから蘭の護衛しろ」
――はぁ? 雪ったら何を言っているの? 
 蘭は目を丸くするが、雪の意見が覆るわけもない。
「雪様、この者は私の小姓ですわ」
 蝶子は意見を申し立てるが、そんなのも耳に入っておらず、雪は竹刀を放り出した。
「一人ぐらい小姓が減ってもいいだろ。お前にはまだそんなに人数がいるんだし」
 蝶子の周りを囲んでいる小姓に視線を巡らせて雪は決定事項のように言い放った。そうなってはもう誰の意見も通らない。
「……まぁ、いいですわ。どうせ女にも興味がない男でありますし」
 傍に置いても蝶子の慰めの相手にならないのか、あっさりとその件を受け入れた。
――あの超姫が簡単に引き下がるなんて
 蘭はその変わりように呆然としながら、取り澄ましている蝶子の横顔を見つめた。
「ようし、じゃあ決まりだ」
雪も男にしか興味を示さない公人を安全と思ったのか、蘭の護衛として勝手に決める。
「お前はこれから蘭の犬だ。どんな時でも守り、忠実でいろ」
「ちょ、ちょっと、雪、犬ってそんな言い方は……」
「覇王様、承りました。蘭様、僕はあなた様の犬になります。どのようなことでも言いつけて下さい」
 公人は雪の言葉を受け入れて、あっさりそのようなことを言ってきた。
 蘭も改まって言われて、はあと目を丸くする。
「やべ。時間だ。おい、俺はまた本家に戻る。蘭、大阪行く前は風呂に入って待ってろよ」
 一瞬なにを言われたか分からなかったが、意味に気がついて顔を赤らめた。
 長期で大阪に行く為に、前日は蘭と共に夜を過ごそうということだ。
 久しぶりの夜だから、蘭は今からどきどきと胸を高鳴らせる。
 蝶子はそれが不満なのか、ぷいっとそっぽを向いて、小姓を連れて部屋へ戻った。
 雪も言うだけ言って去って行き、その場にぽつんと残された蘭と公人。
「あ、あのぉ、なんかごめんね。雪っていっつもあんな感じで、横暴でしょ?」
 蘭は公人に申し訳なく思い、つい謝ってしまう。
「いえ、覇王は美しく猛々しい。あの不遜さも自信の表れで、憧れております」
 思ってもない返答が返ってきて、蘭は目をぱちくりとさせた。
 もしかして、公人は雪に好意を抱いているのかも――とまで思ってしまう。
 同性を好きということはそういうことだ。
 あんぐりと口を開けていると、公人はまだ座りこんでいる蘭の太ももの裏側に両手を差し込んできた。
 蘭の体はふわっと浮き上がり、公人に抱っこされる。
 俗にいうお姫さま抱っこだ。
 蘭は雪にもされたことがない為に、驚いて公人を見つめる。
 華奢だと思っていたが、蘭の太ももの裏に回された手は骨ばっていて、男そのものだ。
「えっと、公人君?」






 





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