河畔に咲く鮮花  

第二章 十二輪の花* 1:人形のような青年


 
 * * *
 
 
蘭にとっては荒れ狂った花見が終わり、時はまた過ぎていく。
 大阪公務に向けた雪は執務をこなす為に、本家に入り浸りの日々が続いた。
 そのまま本家で寝る為に離れ屋には戻って来れない。
 それはお花見の後から始まったものだから、あれから蘭と雪はすれ違いの毎日であった。
 広大な離れの屋敷には、蘭と典子と蝶子が住んでいる。
 典子は大阪公務で護衛をする為に、日夜剣の修業をしていた。
 蘭もお茶にお花と教養を身につける毎日。
 ――その中でも変化を見せたのは、蝶子である。
 メイドだけでは飽き足らず、小姓まで数名屋敷に呼び寄せ、世話をさせる日々。
 表向きは身の回りの世話という名目だが、夜毎にとっ変えひっ変え小姓に伽をさせていることを蘭は知っている。 
 雪に相手にされない寂しさを埋めようとしているのだが、深夜に聞こえる微かな喘ぎが聞こえてくることは迷惑極まりなかった。
 それも雪がいるというのに、屋敷でそんなことをする神経も分からない。
 いつもの如く、蝶子は縁側で小姓に淹れさせたお茶を飲む。
 庭では典子が眩しい汗を掻きながら、竹刀を振っていた。
 小姓は五、六人もいて、みんな貴族の息子らしい。
 覇者の娘である蝶子は貴族の息子を買って、側にはべらせているらしかった。
 それぞれに個性があり、容姿にも秀でていた。
 その中でもひと際目立つ人形のように美しい青年がいる。
 ――名を、姉小路公人(あねこうじきみひと)といった。
 いかにも貴族の坊ちゃんという品のある物腰で、可憐な笑顔を浮かべる。
 他の小姓の青年達とはどことなく一線を置いているようで、どこか不思議なオーラを身に纏っていた。
 蝶子のお気に入りのようで、剣の腕も立つようだ。
 彼も蝶子を慰める為に、抱いているのだろうか、などと下衆な想像をしてはそれを掻き消す。
「公人、手合わせしなさい。本気でやるのよ」
 蝶子が余興を楽しみたいようで、ばっと扇子を開いた。
 公人は蝶子の命令を聞き、竹刀を持って典子の前に立つ。
 典子と公人の竹刀がかち合い、すぐにお互いは後ろに飛びのいた。
 その度に公人の後ろに高く結いあげた髪が左右に揺れる。
 二人は様子を見ながら、じりじりと間合いを詰めた。
 その真剣勝負に蘭も見入ってしまう。
 その度によそ見をしないで、お花を活けてと講師に注意されることもしばしばだ。今度見ると、障子を閉めますよとまで脅しをかけられる。
 慌てて器に目を戻して、花を活け出すのだが、竹刀の音がかち合う度に気になって仕方がない。
 そうしている内に、わぁっと歓声があがった。
 思わず庭に目をやると典子が尻もちをついて、その前に公人が立っていた。
 公人が勝ったようだが、なにやら様子がおかしい。
 典子は額に手を持っていき、苦しそうに顔をしかめていた。
 手の間から赤い筋のようなものが滴り、典子の白い肌を伝い落ちていく。
 ――まさか、怪我をしたの?
 蘭はばっと立ちあがり、思わず裸足のまま庭へ降りて、典子の元へ駆け寄ってしまった。
 公人は蘭に気がついたのか、その場で片膝を立てて座る。
 一応、この屋敷では優劣の順位は蘭が一番だ。
 実権は蝶子が握っているようなものだが、公人はそういう部分には忠実らしい。他の小姓はそんなことはしないが、蘭を見たらそうやってかしずいてくれるのだった。
「ねぇ、大丈夫? 額を見せて」 
 典子は蘭にとっては嫉妬する対象であったが、典子が悪いわけではない。
 雪が勝手に拾って連れて来たのだから罪はなかった。 
 それに雪が忙しくて本家に入り浸りになっている間は、蝶子の苛めは典子にも向けられるようになる。
蝶子にとってはただの遊びの一貫らしいが。
 蘭への苛めが飽きたのか、今は典子に集中しているようだ。
 ここで蘭が来れば、またややこしいことになるだろうが、怪我をしている典子を放ってはおけない。
 典子の足元にはたくさんの石が転がっていた。
 もしかして公人を勝たせる為に、蝶子の周りの小姓やメイドが石を投げつけたのかもしれない。
「奥方様、大丈夫でございます。このぐらい」
 典子は謙虚にそういうから蘭も憎めない。そんな姿がいじらしく思え、蘭はつい世話をしてしまう。
 昔の自分を見ているようで、かまいたくなるのかもしれないが。
「血が出てるわ。女性はね、顔は傷つけちゃ駄目なのよ」
 蘭は典子の手をそっとどかせて、ハンカチで額を拭いてあげた。
「そ、そんな畏れ多い。奥方様が汚れてしまいます!」
 言うにことかいて、蘭と同じようなことを述べる。下慮に触るなど汚れてしまいます――。
 そんな言葉を思い出し、蘭はふと切ない笑みを漏らす。
「そんなことはない。典子は汚れていないし、綺麗よ」
 そう言うと典子は大きな瞳に涙を浮かべる。昔の蘭もこんなのだったのだろうかと思い起こす。
 だけど、典子は一般市民の階級。確かに低い位ではあるが、蘭の下慮よりはましであった。
 それでも覇者や貴族などの上流階級の者から見れば典子も卑しい存在なのだろう。
 お花の講師も異変に気がついたのか、庭を見てまああ、と上品に口を手で覆った。
「……先生、彼女の手当てをお願いできますか?」
 蘭は講師に呼び掛け、そっと典子をこの場から退出させる。そして、転がった石を片す。
 それを見て蝶子がふと思いついたように蘭に声をかけてきた。
「ねぇ、今度はあなたが公人のお相手をして下さらない? 少しは武術を身につけた方がいいでしょう? あなたには護衛がいないのだから」
 蘭はぎょっと目を剥いて後ろを振り返る。武道などたしなんだことのない蘭が公人相手に手合わせが出来るはずもない。
 だけど、蝶子は目を細めてほほほと上品に笑うだけだ。
「嫌ならいいですわ。もう一度、あの娘をここに引っ張り出しますから」
 蝶子は本気でそれをやる。蘭はそれが分かり、これ以上は典子に傷を負わせたくなかった。
 ぶるぶると震える手で蘭は典子が置いていった竹刀を手に取る。
「公人、さぁ、教えてさしあげて」
 蝶子がお茶を口に含み、楽しそうな笑みを浮かべた。
「蘭様、申し訳ありません」
 公人が立ちあがり、蘭にスッと竹刀を向ける。蘭も見よう見真似で構えるが、公人の強い一撃が落ちて、すぐに竹刀を弾かれた。
「あっ!」
 竹刀が飛んで行く方向に体をねじり、蘭は茫然とそれを見る。
「それじゃ駄目ですわ。さぁ、拾って、もう一度」
 蝶子が威圧的に放ち、蘭は竹刀を拾ってもう一度構えた。
 だけど、公人は容赦なく一撃を振りおろしては、蘭の竹刀を弾く。
 それが何度も繰り返され、蘭は肩で呼吸をし始めた。
「公人、同じ技ばかりでは駄目よ。違うこともして」
 蝶子のやじに公人の目がスッと細められた。
 ――本気で向かってくる
 それが分かった蘭は体が硬直し、身構える。
 公人が打ち込んできて、蘭は思わず身を大きく引いてしまった。
 その瞬間、姿勢を崩して憐れに尻もちをつく。
 それが滑稽だったのか、蝶子はひと際大きな声を上げて、あざ笑った。
「まぁ、おほほほほ。大丈夫ですの」
 本気で心配しているわけがない蝶子の笑い声と同時に、周りのメイドも小姓も忍び笑いを漏らす。
 いつものことだと蘭は気にすることなく蝶子の笑いを受け流した。
 すぐに立ち上がろうとしたが、足をひねったようで苦痛に顔をしかめる。






 





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