河畔に咲く鮮花  

第二章 十一輪 特別編:桜の下で泣いたのは
     《唯の視点》



 真田唯直は友達も多かったが、それでも一番一緒にいるのは幼馴染の伊達政春であった。
 真田家と伊達家が懇意にしていることもあり、親同士の付き合いもあった。
 唯が幼少の頃、春と出会ったのは伊達家の離れ屋だった。
「――な、泣いているのか?」
 幼き唯は桜の下で振り返った春にそう声をかけた。振り向いた春の片側から覗く綺麗な瞳。
 そこから一条の雫が一筋だけ流れ落ちていた。
 涙によってきらきら輝く瞳は宝石のようで。
 初めて唯は男に見惚れてしまったのだ。
「真田の息子か。男に見つめられるほど気持ち悪いものはない」
 初対面でずばりと言い放たれた言葉に、唯は激しく落ち込む。だが、それがおもしろかったのか、春はふっと微笑んだ。

 ――あ、笑った

 その幸せそうな笑みが唯の心を打ち、忘れられないものになる。
 成長し、付き合いが長くなると、春の孤独が痛いほど分かるようになった。
 人知れず桜の下で涙を流しているのは、亡き母を想ってのことだろう。以前、密かにその姿を見たことのある唯は、黙って自分の家に戻った。幼少の頃のように簡単に声はかけられない。
 そのぐらい春の背中は悲哀を漂わせていた。
「唯――俺はこの世界を変えたい」
 そう、春から聞かされたのは、何度も同じ季節を超えた春の夜のこと。
「お前が望むなら、俺も協力する」
 躊躇いは微塵もなく吐き出された言葉。喜んでくれると思った春は振り向くと悲しげに瞳を揺らせた。

――そんな風に、悲しそうにしないでくれ

「いいのか、唯。戻れなくなるぞ――。少しだけ頭を冷やして考えろ」    
春はそれだけを言って、唯の前から立ち去った。
 春は近い存在にはそうやって突き放す癖がある。
 それを知っているのに、胸に空く空虚感は拭えない。

 ――幸せな笑顔を見たいだけなのに。だから協力したいと思っているのに、どうして分かってくれないんだ

 幼き頃に唯に対して見せた屈託のない笑顔を春に取り戻してあげたかった。 
 そんな胸中も知らないであろう春は、唯の協力を受け入れてくれなかった。
「これはこれは、姫様――今日はどこに行かれますか?」
 偽りの笑みを浮かべ、雅に喋る春はどこか暗い影を内に潜めている。
 そのような虚飾に彩られた笑みを見るだけで、唯の胸は軋んだ。

 ――違うだろ、そんなのは春じゃない

 皮肉屋で冷たく、不敵に笑うのが春だ。本当の姿を知り、その
 カリスマに魅せられてついてくる伊達家の者だっている。
 唯もその魅力に惹かれた一人だった。

 ――春はそのままでもいいんだ。そんな仮面を被って女の機嫌など取らなくていい

 権力者だからといって、わがまま放題の覇者の娘にも困ったものだった。
 ――それでも、利用されているのは娘たちの方
 見せかけの優しさだけで、春という人物を知っている気になる。
 それを思うと、娘達も可哀想に見えてくる。春に本気の娘もたくさんいるが、いつもやんわりと断りをいれられている。
 そういう立ち回りが上手いのは感心するところだった。
「真田様、今日こそはデートして下さい」
「あら、唯直さんは私との約束があるのですわ」
「あ、えーと。俺は誰とも約束した覚えはなくて……」
 唯は変に生真面目な為に、上手く立ち回りが出来ない。女性が嫌いなわけではないが、どう接していいかが分からないのが本音だった。
 それに本当にいいと思える娘とデートもしたいし、交際もしたい。
綺麗な娘は多いが、唯にはまだときめき感というものが分からなかった。
 娘達が綺麗に化粧をしていても、たおやかに微笑みを浮かべても、唯にはどことなく違うと思ってしまう。
 不思議と惹かれるものがなかった。
「唯、これから俺との約束があっただろ。行くぞ」
 そんな時に、事情を察して助けてくれるのはいつも春だった。
「た、助かった。春、いつもありがとうな」
「――嫌なら逆に受け入れてやればいい。そうやって逃げるから執拗に追いかけてくるんだ」 
「そ、それってデートして、その、その後は交際するってことか」
「お前は阿呆か。来るもの拒まず寝ろってことだ」
 春に投げられる言葉は唯には受け入れがたいもので、目を丸くしてしまう。
「くっくっ、馬鹿面だな。お前がそんなこと出来るわけないか」

 ――あ、笑った

 春にからかわれたと分かったが、それすらどうでも良くなる。
 こうして唯がいちいち真剣に反応することが、春にとってはおもしろいらしい。
 その笑顔が眩しくて――ほんのりと唯の心を暖かくしていった。
「見ろ――揃いも揃ってあいつら馬鹿面してやがる」
 だがその笑顔は一瞬で凍りつき、冷たい表情を張り付かせる。
 すぐに毛嫌いしている御三家がいることを理解して、唯はその方向に視線を向けた。
 今日は御三家以外にも斎藤家の蝶子も席についている。
 そしてもう一人――見たことのない存在。
 春も訝しげな表情をして、その異色な男子学生を見つめていた。

 ――女のように体の線が華奢だな。色も抜けるように白いし。目もくりっと大きくて、なんだか可愛い男だ

 そこまだ考えて唯ははっと我に返る。

 ――違う、違う。そうじゃないだろ、唯直。春の憎き相手、織田の一味だ。それに男相手に何をぼーっと見つめていたんだ
 ぶんぶんと首を横に振り、春をちらりと盗み見する。

 ――あ、またその表情をする

 宝石のように綺麗な瞳は氷の如く凍てつき、全てを凍えさせる冷たさを湛えている。
 その冷えた瞳は、長い付き合いの唯でも寒気を覚えるものだった。

 ――春の凍えた心はいつ溶けるのだろう

『雪は溶けて春が来る――』   
 織田に放った春の言葉は何一つ揺らぎないもので、それが一層胸を切なく締め上げた。
 春の気持ちは幼い頃から全く変わりはない。
 唯は、まだ春から協力していいとの許しを得ていなかった。
 織田を倒し、春が権力を持つ――
 春の思い描く未来は、同時に唯の夢でもあった。

 その夜――

 唯は覚悟を胸に秘め、春の屋敷を訪れた。
 桜の木の下にいるのはいつものことだった。
 秋という季節――紅く色づいた桜の葉は夜に彩りを与える。
 ひらひら舞う葉の中に佇む、春の背中が遠ざかって行きそうで。
 消えてしまうのではないかと錯覚を起こし、唯は叫んでしまった。
「春っ!」
 そう呼ばれて春はゆっくりと振り返る。
 幼い頃に見た光景がデジャヴのように唯の脳裏に蘇ってきた。

 ――もう、泣かないでくれ

 唯の胸は痛み、春に泣かないで欲しいと願う。
 悲しみを背負い、孤独に打ちひしがれていた少年は、大人になってもそれを打ち砕く方法を知らなかった。
 愛する母を殺したのは自分だと――ぽつりと囁いた夜のことを忘れはしない。
 それでも少年は因業の中で生き抜くことを決意し、弱き者を助けようと強く決心した。

 ――淘汰される世界を変えたいんだ、唯

 苦労も知らずに育った唯にはそれが、衝撃的で刺激的で。
 覇者の世界を内側から変えると言った強き春に魅了され、同時にその繊細な脆さが悲しくて仕方なかった。
 ――ただ、俺は屈託なく笑って欲しいんだ、春。そんなに苦しいのなら天下なんていらない






 





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