河畔に咲く鮮花  




 相変わらずの勘の鋭さと、ぐさりと言い放つ言葉。ともは典子のことを飼いだしたペット程度にしか見ていないようだ。
「で、でもみんなああいう子は好きじゃないの?」
 典子は誰から見てもはつらつとして、元気だ。快活であるが、品があり、凛とした美しさを兼ね揃えている。
 蘭からみてもとても魅力的な少女であった。しかも蘭より年若で、肌にもはりがある。
 そこまで考えて惨めになってしまい、顔を俯かせた。
「そうだね。かわいいし、味見程度はしたくなるかも」
 ともが平気で言うから、蘭は胸がえぐられそうな痛みを覚える。
 さきほどの竹刀の稽古で密着した二人――。
 典子も雪の背中に傷があるのを知ってしまった。
 警護以上の気持ちを持っていることを花見の席で気づいた蘭は胸の不安が拭えない。

 ――もしかして、雪も好意を持っているのかしら

 雪は気に入れば誰でも拾ってくる。典子を気に入り、小姓のような役割を与えるかもしれない。
 蘭がその昔、雪に囲われていたようなことをする。それを考えただけでも胸がやきもきとした。
「それでアレの具合が良ければずっと傍に置くかな」
 たたみかけるようにともが言うからますます蘭は落ち込んだ。
 あの白い肌に雪の体が重なる。それを想像したら、苦しくて息が止まりそうだ。
「気に入ってんじゃないかな。そうじゃなきゃ、大阪まで連れて行かないと思うしね」
 その言葉に蘭は目を丸くした。大阪とはなんのことだろう。ざわざわと胸が騒ぎだし、不安がよぎっていく。
「秀樹の実家に一緒に行くんだよ。ほら、覇王になったし、西の状況も見て回るんだって。秀樹も里帰りして、大阪の街を繰り出すって騒いでたよ。あれ、絶対に公務する気ないよね。名前ばかりの接待だよ」
 大阪での公務のことを聞き、蘭は微かに体を震わせた。
「そ、そこに典子も連れて行くの……?」
 違って欲しいと願いながら、蘭は恐る恐る聞いてみる。
「まぁ、そこらの男より腕は立つしね。警護って名目で一緒に行くらしいよ」
 蘭の心に荒れ狂う感情が唸りをあげ始める。
 大阪で昔蘭がしたように身の回りの世話をさせるのだろうか。
 すっかり気落ちして言葉を失くした蘭にともは体を寄せてきた。
 体にともの熱が伝わってきて、蘭は顔をあげる。
「……ねぇ、僕との約束覚えている?」
ゆっくりと体をねじり、蘭は何のことかと首を傾げる。
「僕はまだ童貞なんだよ? 知ってた?」
 それを聞いて蘭は目をぱちくりとさせた。ともと初めて学園で会った時に脱童貞宣言をしていたことを思い出す。
 だがもう二年も前の話だ。まさかまだともが童貞だとは知る由もない。
「でも、とも君、もての嵐で困るって……」
 蘭は頭が混乱してきて、ともがなにを言わんとするか眉をしかめるだけだ。今更、蘭になにをして欲しいのかも分からない。
 人妻の蘭に何の興味があるのかも謎である。
「もしかして、典子を紹介しろとか?」
 蘭の頭ではこれが精一杯だった。だがともはくっと口の端を上げて喉の奥で笑う。その笑い方も、蠱惑的でなまめかしい。いつから こんな風に笑うようになったのかと蘭は呆気に取られて見つめていた。
「僕が典子を気に入ったなら、蘭おねーさんを通さずにさっさと夜這いしているよ」
 ともの答えにそれも最もだと蘭は納得する。徳川家のともがわざわざ蘭を通さずとも、娘ぐらいたやすく落とすだろう。
「じゃあ、どういうこと?」
 蘭はこういうことに疎いのかも知れない。ついそんなことを聞いてしまい後悔をしてしまう。
「僕は蘭おねーさんがいいんだ。前から言ってるよね?」
 ともの答えに蘭はますます困惑する。
「で、でも私は雪の……」
「そんなの知ってるよ」
 蘭の言葉は途中で遮られると、ともが首を傾げて顔を覗きこんでくる。
艶を帯びた瞳で見つめられて、蘭は胸がどきどきとしてきた。
「僕ってさ、自分で思ったより結構忍耐力があるみたい。星の数ほどの女の子から選んでさっさと捨てようと思っていたんだけど。変だよね。どれだけ綺麗な子や可愛い子から誘われても、ちっとも心が踊らない」
 綺麗な顔に妖艶な笑みを湛えて、ともはスッと目を細める。
「僕は蘭おねーさんじゃないと駄目なんだ。それをじっと待っているんだよ。滑稽でしょ?」
 艶美な笑みを浮かべ、見る者をいつの間にか毒牙にかける。
 そして中毒になったものは、絶対に逃れられない。
 磁気のように惹きよせられるオーラは、ともの全身から発されているようだった。
「とも君……でもやっぱり私は……」
 蘭は顔をしかめて、ともを見つめ返した。

――もう雪のものである

 いくらともがそう言ってきても無駄というものだ。
「……それに無理に私じゃなくても、とも君にはたくさん女性が――」
「違うよ、蘭おねーさんは分かっていない。どれだけ自分が魅力的なのか」
 ともの明るい笑顔とは裏腹に、ほの暗い瞳の奥で揺らめく冷たい焔。それに気がついて、蘭はぞっと背筋を震わせる。

 ともは昔からこういう威厳のあるところがあった。可愛らしい顔やあどけない無邪気さに騙されてはいけない。
 こう見えてもやはり御三家の一人なのだから。
「でもいいよ。僕はずっと待つから。覚えている? 昔も同じようなことを言ったよ。どこまでも追いかけて振り向かせるって」
 ともの声が低くなり、笑いの種類を変える。狩りを楽しむような獰猛な目。
 獣のような熱を見て取って、ぞくりと蘭の背筋は凍りつき、呼吸を僅かに乱した。
「僕に鳴かぬなら、鳴くまで待とう……ってね。蘭おねーさん?」
 いつものともに戻り、にこりと華やかに笑うと、空気が一瞬で和らいだ。
「もう、二年も待ったんだ。十七歳の誕生日の時に蘭おねーさんを貰うからね?」
 そう言われても蘭は戸惑うばかりで、何も言い返せなかった。
 じっと見つめてくるともの瞳が怪しくゆらめき、その情感めい
た唇にぞっとするような酷薄な笑みを浮かべる。 
「蘭おねーさん、覚悟してね。もう、遠慮はしない――僕は君を惜しみなく奪う」
 ともはそれだけ言うと、もう一度綺麗に微笑んだ。
「誕生日の日は、僕に最高のプレゼントをしてね」
ともは口元に笑みを留めたまま立ち上がって、蘭の前から去って行く。
 陽光に照らされ、ともの髪が光を弾いてきらきらと小金色に染まる。
 背の伸びたともを見ながら、蘭は胸がどきどきと高鳴った。
 だが浮いた気持ちはすぐさま掻き消される。
 ともがいくら蘭を求めていても無理であるからだ。
 ともが徳川家でも、ここは織田家。
 そうそう夜這いにこれはしない。
 昨日のように抜群のタイミングでないと。一瞬、昨日のことを思い出し、蘭の心にほの暗い影を落とす。

 ――もう、忘れよう

 これからは秀樹も蘭と二人きりに慣れるチャンスはない。それにあれも秀樹の戯れ。
 一度限りの過ちだと蘭はその胸の内に、知られてはならない秘密をしまい込んだ。








 





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