河畔に咲く鮮花  




 
 剣技が終わるとぱちんと刀を鞘に納めて、典子は雪の前に片膝を立てて、うやうやしく座った。
 雪は満足そうに惜しみない拍手を送り、典子を労った。
「おい、桜の花びらがついている」
 雪は手を伸ばし、典子の髪についている桜の花びらをそっと摘まんだ。

 ――蘭はその瞬間を見逃さなかった。

 典子は瞳を潤ませ、その白い頬に朱を差したことを。
 典子は雪に警護以上の気持ちを抱いている。そう、直感が訴えかけてきて、心がざわざわと騒ぐ。
 雪が外で要人との会合の時にはお供として連れ歩くのだろう。
 そう思うと、心にちくりと痛みが走った。
 蝶子をちらりと見やると、蘭のように心配はしてなさそうで、終始余裕ぶった笑みを浮かべていた。
 こういう時は、蝶子の神経の太さが羨ましいと思う。
 蘭は雪の傍に違う女性がいるだけで不安でたまらない。本当は嫌だったが、覇王の妻として子供じみた駄々はこねたくなかった。
 雪自身は典子に対して、くだらない異性の感情はないのだから。こういう風に気に入った者であれば、下流の階級でも拾ってく
る。それが女だろうが、男だろうが雪には関係ない。
 雪らしい性格といえばらしいが。
 昔から付き合いのある周りも今更そんなことでは驚かない。この場でやきもきしているのは蘭だけだということだ。
 それにきっと蝶子は雪が典子を抱いたとしてもただの殿方の戯れとして片付けるだろう。
 もし、身ごもったとしても、蝶子のことだ。
 秘密裏にその子をおろさせて、必要あれば女自身も葬る。
 そのぐらいのことは平気でやってのけるであろう。
 だが、蘭にはそんなことは出来ない。
 雪が他の者を抱いても、戯れであろうが、心を痛める。
 覇王の妻として、器が小さいのかも知れない。
 それにもしかしたら蝶子だけではなく、第三の妻までやって来るかも知れない。
 そんなことを考えると、美しく咲く桜も色褪せて見えた。心が曇っていき、鮮やかな色が失われていく。

――情けない、こんなことでうじうじと

 蘭は覇王としての妻という立場を改めて思い知った。少し切なくなり、蘭は勢いに任せて、酒をぐいっと飲み干す。
 雪は上機嫌で酒を飲みながら、招いた客の賑わいを眺めていた。
 蘭も少しだけ酒に火照った頬を、流れる風に撫でてもらい酔いを冷ます。お酒に弱いことを知って、これからは自重しようと蘭はぼんやりと脳の片隅で考えた。
 会話に花を咲かせる上流階級の面々を見ていると、みんな華やかで垢抜けている。
 蘭は自分と比べて育ちが違うとなぜだかみじめな気持ちになった。それでも蘭は覇王の妻となったのだ。
 気後れすることなく、誰にでも堂々と立ち向かわなければならない。蘭は麗しくも雄々しい雪をちらりと盗み見して、誰から見ても恥ずかしくないようにぴんと背筋を正した。
 かしこまっていたところに、蝶子に招かれた貴族の娘や覇者の娘達が、蘭の元へやって来て、お花を活けて下さらないかと誘ってくる。
 雪も満悦に微笑んで、蘭を機嫌よく送りだした。
 雪からも見える、台座の上にはすでに花器やたくさんの種類の花が用意されてあった。
 貴族の娘達も一緒に台座に座り、蘭に裁ちばさみを渡してくる。
 活け花も教養の一つとして学んでいた蘭は、ここで実力を発揮すべく、美しい花を手に持ち、はさみをいれる。
 初めの何本かは上手く裁つことができ、美しく高級な花器の剣山に活けていく。
 けれども次の花の茎を切ろうとしても、上手く裁てない。
 蘭が力を込めても、どれだけしても無理なのだ。
 顔をしかめて、蘭は何度も挑戦をするが、焦りが生じるほど空回りしてしまう。悪戦苦闘する姿を見て、娘達はくすくすと忍び笑いを始めた。
「やはり下慮という身分の低い方には教養がないこと」
「花も活けられないとは考えられませんわ」
 貴族の娘達はわざとらしく大声を出して、各々に蘭をなじると、くすくすと嘲笑った。台座の周りで見ていた者もお互いが顔を合わせて、微妙な空気を感じ取り、ひそひそと耳打ちしあった。
 ちらりと目の端で蝶子をとらえると、薄く紅をひいた唇が怪しく弧を描いていた。
 全ては蝶子から仕組まれた罠だと知って、蘭は体を震わせる。
 これだけ多く集まる大勢の貴族や雪の前で恥を晒して、貶めようとしているのだ。
「あら、どうかなされましたの」
「早く活けてくださいな」
 茎の中に何かを仕込んでいるのだろう――切れないと分かっていて、娘達はわざとにそう促してくる。
ここで出来ないと言えばどうなるのであろう。
 きっと雪の顔に泥を塗る。
 何も出来ない教養のない妻。やはり下慮。似つかわしくない。品位を落とす。
 そう見られるのは必然だ。
 妻というのは旦那という夫の顔なのだから。
 だが焦れば焦るほど頭の中が真っ白になり、どうしたらいいか分からなくなってしまった。
 蘭は回避するすべも機転もなく、花を持ったまま体が固まってしまう。
 娘たちや周りを囲んでいるみんなの嘲りの声が蘭を蝕む。
 あははははという嘲笑だけが蘭の耳に届き、渦巻いては精神を激しく追いこんだ。
 全てを放りだして、耳を塞ぎすぐにでもこの場から逃げ出したい――そんな衝動に駆られた時、手に持っていた花をスッと後ろから取られた。
 その瞬間――ぴたりと嘲笑の渦が止まる。
 蘭の体に落ちる影に気が付き、ゆるりと後方に体をねじって、そちらを振り仰いだ。
 後ろに佇む人物を見て、蘭は虚を突かれたように目を大きく見開く。
 蘭から取った花の香りを嗅いで、次にはスイっと視線を貴族の娘達に向けた。
 片方だけの眼帯は変わらず、その圧倒的なオーラも色褪せていない。  
 怪しき美貌を湛えた男は、音もなく蘭の隣に座ると、裁ちばさみを手に取った。

 ――伊達政春。まさかこんなところに春が現れ、蘭を助けるとは。

 蘭は信じられない思いに駆られながらも、何度も目を瞬かせて春の端正な横顔を見つめた。
 春はスッと背筋を伸ばし、裁ちばさみでバチンと笑いごと断ち切るように茎を切る。
 その力強さに貴族の娘達も驚いたのか、びくんと肩を竦めた。
「これはこれは、乙なはからいですな。このようなものが入っていれば蘭様のか細い腕では切れない」
 春はふっと不敵に笑うと、裁ち切った茎を無遠慮に台座の上に放り出す。
 蘭はそれを見てあっと目を丸めた。茎の芯には木のようなものが差し込まれて、女の力では切れないようにしてある。
 それを見た貴族の娘達が決まりが悪そうに顔をしかめた。
「この伊達政春が、変わりに活けましょう」
 春は仰々しく言っては、ぱちんぱちんと枝を切り、無駄のない動きで剣山に活けていく。
 その優美で洗練された所作に娘達もいつのまにか、春に見惚れて顔を赤らめていた。
 端麗な顔はいつもより真剣さを帯び、蘭にも目をくれずに鮮やかな花を次々と活けていく。
 ようやく活けた花をご披露して、娘達はまぁと感嘆の声を漏らした。
 斬新で艶やかな花流は独特だが、人を惹きつけるものを持っている。
 春という人物がそのまま花に投影されているようでもあった。
「ここにも活けたらさも映えるでしょう」
 春は流麗な物言いで、いつの間にか手折った桜の枝をするりと蘭の耳にかける。蘭の髪にぱっと咲いた淡く美しい桜の花。
 その粋な計らいは娘達の心をわし掴みにし、春に熱い眼差しを浴びせる。
 そこで初めて春は蘭の顔をその綺麗な瞳で見つめ、怪しいほどの美しい笑みを浮かべた。
「少し、蘭様をお借りしますね。姫君方」
 春は言うや否や蘭の返事も待たずに、腕をぐいっと掴んで強引に体を引っ張り上げた。
 雪が杯を手に持ったまま、こちらを睨みつけているとも知らずに、蘭は春に導かれてその場を退出する。
 台座を立ち上がると、その一部始終を見ていたのか、唯が木立に背を預けたままこちらに顔を向けてきた。
 春が動くと唯も同じように動く。






 





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