河畔に咲く鮮花  

第一章 二輪の花 2:雪という男 


 
*  *  *
 
 その日の夜は客人が来ると教えられ、義鷹はいいと言ったが、蘭はお膳を運んだり、お酒を持って行く係を願い出た。 蘭の押しに根負けして義鷹は仕方ないと了承をしてくれる。蘭ははりきってお膳の用意をしたり、お酒を支度をする。いつもつなぎを着て仕事をしていた蘭は、義鷹から着物を与えられて、それで動いている。
 実はつなぎの方が動きやすいと蘭は思っていたが、さすがに貴族の屋敷でその格好はないだろうと自分を納得させた。義鷹の客人にも呆れられるだろうし、品位を落としては困る。蘭は着物に慣れるように頑張ろうとしずしずと大人しく歩いた。
 途中、お膳に乗せるお酒がないことに気が付き、蘭ははしたないが、廊下の途中にお膳を置いて、厨房へ戻る。
 早く帰って、広間にお膳を置こうと蘭は戻って来たが、眉をしかめた。廊下に置いているお膳の前に誰かが座り、ぱくぱくとつまみ食いをしているのだ。
「ちょ、ちょっと、それは食べちゃ駄目よ!」
 蘭は慌てて、お膳の前に座っている男を見た。男はばっとこちらに振り向き、蘭を見つめる。
 夜風に吹かれて艶のある漆黒の髪がなびき、夜露のように濡れた瞳が蘭を捉えた。
 鋭い目つきだが、義鷹とは違う美貌を湛えている。その美しさに一瞬、息を呑んで蘭は男の顔を見つめてしまう。
「おい、俺に見惚れるな」
 蘭がじっと見すぎていたのか、男はぱちーんと遠慮なくおでこを指で弾いてきた。
「い、いたっ!」
 加減のない衝撃が額に駆け走り、蘭は思わずその場でよろける。男は嬉しそうにけらけらと笑って、またお膳のおかずをつまみ食いした。
「だから、それは食べちゃ駄目だって」
 ぱくぱくと食べる男の手を掴んで、蘭は必死で止める。男は良く見るとブレザー姿だ。まだ学生のようで、こんな輩がなんで貴族の家にいるのか蘭は首を傾げた。
「その、酒をよこせよ」
 そんな蘭を無視して、男は気にせず、横暴に酒を取り上げると、そのまま口をつけて飲んだ。
「ちょ、ちょっと普通はコップに注ぐでしょ」
 呆れて蘭は男から酒瓶を取り上げ、傍若無人に振舞う男を軽く睨みつける。せっかく、料理してくれている人がいるというのに、この男は贅沢にもつまみ食いなどをする。無作法な礼儀のなさは下虜の蘭にも考えられないことだ。
「お前はあーだ、こーだと口うるさいな。ここのメイドか?」
 蘭がうるさいのか、男は眉をしかめて不快そうに見つめてきた。それを聞かれて蘭はぐっと言葉を詰まらせる。
「メ、メイドのようでメイドでない」
 蘭の曖昧な答えを聞いて、男はおかしそうにぷっと吹き出して笑った。
「なんだそりゃ。結局どっちだよ」
 そう言われればその通りである。蘭は困って、うーんと唸りながら宙を見据えた。
「なんだよ、おもしれぇな。お前、どこの娘だ」
 男は好奇心旺盛の目で蘭を見つめる。義鷹の屋敷で見たことがない蘭に興味を持ったのかもしれない。
「か、下慮よ」
 蘭は言い淀みながら、それだけを口にした。下虜という身分を自分から名乗るのは苦しいものである。
「なんだ、お前下慮かよ」
 男の口調に棘が含まれる。どうせこの男もどこかの貴族の坊ちゃんだろう。 義鷹の従兄とか親戚関係の者。
 下慮と聞いて、男はふんと鼻を鳴らした。やはり大抵はこのようなあからさまな態度をぶつけてくる。分かっていたことだから、蘭は唇を噛みしめて、お膳を持ち運んだ。
「あ、おい、下慮。どこに行くんだ」
 男の声が背中に飛んで来るが、蘭は無視して義鷹の待つ広間へ足を運んだ。
 そこにはすでに義鷹が座り、一杯やっている。
「蘭、そんな顔をしてどうしたんだい?」
 義鷹はすぐに蘭の様子を察知してくれた。いや、蘭の方が顔に出やすいのかもしれない。
 蘭はぶすっとして、おかずの欠けたお膳を上座に置いた。そして気がつく。上座側ということは、義鷹より位が高いことを示す。義鷹は貴族でもトップの若様。それを超える者がいるのだろうかと首を傾げていたら、スパーンと障子が勢いよく開いた。あまりの大きな音に蘭はそちらに振り向く。
「よう、下慮。ここにいたのか。急にいなくなるなよ」
 さきほどの男が蘭の後を追って、ここまで来てしまった。
「ちょ、ちょっとこんなところまで来ないでよ」
 蘭は慌てて腰を上げて男を軽く睨みつけた。
「義鷹、お前、毛唐の違う下慮を飼いだしたのか?」
 尊大な物言いで男はどすどすと入って来て、なんと上座の前で座った。蘭が唖然としていると、義鷹はふぅと溜息を吐いた。
「雪様、蘭が驚いているでしょう。あまり苛めないで下さい」
 義鷹がこの学生服の男に敬語を使用している。年齢は義鷹より年下に見えるが、どういう関係なのかが蘭には分からない。不思議そうに見ている蘭に男――雪と呼ばれた青年はにやりと笑いかけてきた。
「へえ、蘭って言うのか、こっち来て酌をしろ」
 雪は蘭に向かってそう尊大に命令をする。蘭はいきなりのことで目を白黒させると、怪訝そうに雪と呼ばれた男を見た。
「蘭は、厨房に行ってご飯を食べておいで」
 義鷹がそれとなく助け船を出して、蘭をその場から退出させようとしたが、すぐさま雪がそれを阻止してくる。。
「酒が足りない。すぐに戻って取って来い」
 さきほど自分ががぶがぶ飲んだせいでないのではと言いかけたが、義鷹の前では言うに言えない。義鷹はまた溜息を吐いて、困ったように眉をしかめた。
「早く行って来い」
 そんな義鷹にも構わず、雪は顎をしゃくって蘭に命令した。蘭は仕方なく厨房へ戻り、酒を用意をする。
 それが何度も繰り返され、雪と義鷹がご飯を食べ終わるまで、続くのであった。ご飯が終わりお膳をさげて雪は無用に蘭を呼びつけた。
「おい、蘭。俺はこれから義鷹の家で世話になる。だから、俺の世話をしろ」
 雪はにやりと笑うと、呆れる蘭の顔を見上げた。
「もしかして、また家出されたのですか」
 義鷹は呆れたように溜息を吐く。またということは何度もあるらしい。どこの放蕩息子かと思い、わがままな雪を軽く盗み見する。学生服ということは学校が終わってから、義鷹の家に来たってことだ。
「私は義鷹様のお世話をするからあなたのは無理です」
 ぷいっと口を尖らせ、蘭はさっと義鷹の隣に寄り添う。それが雪の勘に障ったのか見る見る怒りの表情を浮かべる。
「お前、下慮の癖に、随分生意気だな。自分の立場が分かってるのか?」
 蘭は大きな態度で接しすぎたとすぐに後悔の念が押し寄せる。そういう言葉は一般市民や商人達にも言われていた。
 それがその立場を超える雲の上の、上流階級である貴族にもなれば、ここにいるのも場違いなほどだ。
 ぐっと唇を噛み締め、蘭は視線を泳がせた。
「なんだ、この下慮。謝りもしねぇのか。おもしれぇ。それがどこまで通用するかやってやるよ」
 雪は端正な顔を歪ませて、無理やり蘭の腕を引っ張った。
「な、なにするのよ」
 雪は上座に蘭を立たせて、その場にどかりと座りこみ、畳の上に胡坐をかいた。そして、口元の端を片側に吊り上げてにやにやと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「お前が謝るまでやり続けるゲームだ」
 なにを言っているか分からず、蘭は眉をひそめた。もしかして豪商の江守のようにベルトで蘭を叩くとか。
 そんなことをされたらどうしよう。謝りたくないが、義鷹の手前だから逃げ出したくもない。そんなことを考えていると、雪は想像とは違った言葉を投げてきた。





 





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