河畔に咲く鮮花
* * *
その後のことはもう覚えていない。
フラッシュや質問の嵐が飛んできたが、あまりの出来事で蘭は何も答えれなかった。
雪がハエを払うようにマスコミを蹴散らし、蘭の肩を抱いたままステージを去って行く。
怒涛のような一日が過ぎて、蘭は雪の家に来ていた。
本家はまだ父親が使用している為に、雪と蘭は離れで過ごすことになる。
雪もこちらの方が落ちついて気分が楽だと軽口を叩いた。
本家は立派な洋式の家なのに、離れ屋は和風の日本家屋の佇まいだ。
こういう雰囲気の方が落ち着くが、部屋が何部屋あるのか分からないぐらい広大だった。
庭も中庭や西側の庭、南側の庭、北側の庭など、たくさんあって、蘭にはちんぷんかんぷんだ。
蘭と雪の寝室は洋と和を兼ね揃えた部屋だった。
障子を張ってあるのに、床はフローリングで布団ではなく、ベッドだ。
奥には部屋専用の風呂まであって、障子を開けると美しい庭が臨める。
獅子おどしがかぽーんと鳴り、情緒豊かで、落ち着く部屋だった。
「……疲れたか?」
雪と蘭はその整然とした庭を眺めながら、縁側に隣り合って座った。
「……うん。さすがに驚いた。まさか雪が私を……」
まだ夢の中を彷徨っているようで蘭は言葉を詰まらせる。覇王になった雪が、蘭に結婚を申し込むとは信じられない出来事である。まだ足が宙に浮いている感覚で、現実とは思えない。
「俺はお前に初めて会った時から心を奪われた」
雪はぽつりと囁くように――そうこぼした。
蘭ははっと顔を上げて、驚きの表情を瞳に刻み、雪の顔を覗きこむ。
義鷹の屋敷で初めて会った雪と蘭。
それは蘭も同じであった。
あの夜、美しい雪を見て見惚れてしまった自分がいる。夜露に濡れた宝石のような瞳を輝かせ、さらりとなびく柔らかい髪。
今もあの時と同じように端正な顔に笑みを浮かべる雪がいる。
「俺に見惚れんな」
バチーンと雪の指が蘭の額を弾く。
「いたたたっ、雪、加減してよ」
「ぷっ、はっはっ! あの時もこんな出会いだったな」
子供のように笑う雪を見て、蘭も顔をほころばせた。
そう――あの夜も同じように蘭の額を弾き、無邪気に笑った雪を見て、心を躍らせた。
愛しさが沸き、興味を抱く。
雪を知るたびに心惹かれ、荒々しいキスを受けては蘭は恋をする。
もしかしたら、雪も同じだったのかも知れない。
真逆にいる蘭と雪は運命のように出会い惹かれあった。
「おい、なにをにやけてんだ。気持ち悪いぞ」
自然に顔がほころんでいたのだろう。蘭は雪にそう言われて、むっと顔をしかめる。
雪は褒めてくれたかと思うと、すぐにそうやってけなしてくる。やっぱりそういうところは変わっていない。
「……ちゃんと、乙女は守っているんだろうな」
雪がふと顔を覗きこんできて、蘭にそう呟いた。
「……うん……」
危なげな場面は何度かあったが、挿入という行為はしていない。
「その乙女は俺に捧げろ」
雪に満面の笑顔で言われて、蘭はどきりと胸を跳ねさせた。春と唯に監禁されていた時に、蘭はそう願っていたのだ。
――初めて奪われるなら雪がいいと。
あの時はもう駄目で、乙女を奪われなければ、あの場所からは逃げられないと思っていた。
もう、諦めていたのに。
下慮としての運命を受け入れようとしていたのに。
それでも、諦めなくて良かった。こうして、雪に最初をあげられる日が来たのだから。
しかも、信じられないことに雪の花嫁として。
こんなに胸が踊り、嬉しいことはない。もし捧げるにしても、一時の戯れに奪われるものと思っていたのだから。
感激で潤む視界にひらり――と淡白い花びらが舞ってくる。それは蘭の白い手の甲に落ち、雪がつまみあげた。
「……冬桜が咲いたか」
雪の視線を辿ると、暗闇の庭に浮かび上がる一本の木が見える。
「……あれって、桜なの……?」
冬に咲く桜など聞いたこともない蘭は、不思議な気持ちで眺めた。
「ああ、一度目は十一月から一月にかけて咲く」
「一度目……じゃあ二度目もあるの?」
蘭がそう聞くと雪は静かに微笑んで、花びらをひらりと空中に放った。
「春に二度目を咲かせる」
ざっと風が吹き荒れて白い花びらが舞い散る。それがまるで淡雪のようで、その胸が詰まりそうなほど美しい情景に目を奪われた。
蘭の髪にはらはらと舞う花びらの一枚が落ちると、そっと雪の腕が伸びてくる。
雪はつまみあげて、優しく宙に解き放った後にじっと蘭を凝視してきた。
「春には離れの庭で一斉に桜が咲く。それを一緒に見ような」
雪の視線は熱を帯びて潤んでいるが、どこか疲労感を漂わせていた。きっと今日の戴冠式で疲れたのであろう。
すぐにでも初夜に持ち込まれるかと思った蘭だったが、雪の心情も分かる気がした。覇王たる者が今までの常識を覆し、下虜と一緒になったのだから。
後ろ盾など全てを投げ打ってまで蘭を選んでくれたのだ。
それに応えた蘭は雪の力になり、これから一緒に苦労も背負って行こうと決めている。
手を取った時に、覚悟は出来ていた。
だから、少しでも雪の不安に思っていることを取り除いてあげたかった。一人ではないことを分かって欲しいと、蘭は雪の手を握り締める。
「……絶対に、桜を見るよ……それはずっとこれからも」
蘭が意味を込めて紡いだ言葉に、雪ははっと顔を上げる。雪がまっすぐに見つめてくる視線に迷いは一切なくて。
雪を見上げた蘭の顔に、柔らかい微笑みだけが降ってくる。
「ああ……一生お前と見続けよう……この冬桜に誓って」
雪が動いたと思えば、蘭の唇はあっという間に塞がれた。
誓いの祝福をするように、はらり、はらりと舞い散る白い桜の花びらが雪と蘭の頭にシャワーを浴びせる。
静かな空気の中での誓いはまるで厳粛な儀式のようだと――蘭は思った。
優しくそれでいて力強い口づけを受けて、蘭はもう一度だけ心の中で誓いを立てる。
――未来永劫、どんなことがあっても雪の隣に並んで、桜を見続けよう
愛情深いキスに心が満たされて、蘭は雪にそっと寄り添ったまま目を閉じた。
雪の体の熱にじんわりと心はほだされて、蘭の胸からも不安な気持ちは消え去っていった。
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