河畔に咲く鮮花  

     

 

 
   
 

 絶望の箱庭③ 佑樹の憂鬱編

 小早川秋也。どうして彼をアフタヌーンティーに加えることを家朝は許したのだろう。
「い……っつ――」
 佑樹は部屋に備えられている薬箱から胃薬を取り出し口に放り込む。
佑樹の胃を痛めている元凶の大半を占めているのはアキだ。女性の格好をしているから初めはそうだと思っていたけど、どうやら性別は男らしい。だけど分からないのは、彼の気持ちだった。
アキの気持ちは男なのか、女なのか。
女性のように振る舞うから心は女性なのかもしれないが、それにしては蘭に触れる手つきがどうも邪なものに感じてしまう。軽く触れるというより、まるで彼女自身を味わうようなねっとりとした手つき。
それを見ていると胸がざわめき、目についたら注意しているようにしている。いつ家朝が気まぐれにアフタヌーンティーに現れるかも分からないのに、あんなことを堂々とやられては困ってしまう。
「疲れたな……」
 今日は家朝が蘭とのアフタヌーンティーを二人で楽しむため、佑樹とアキには暇を出されていた。アキが一緒じゃないから少しは気持ちが穏やかでいられるが、蘭を思うとまたやきもきした気持ちがせり上がってくる。
「蘭さん、大丈夫かな……」
 夜会の時、蘭が質問してきた答えを彼女に返していない。蘭が家朝の婚約者かどうか、を聞かれてしまいどう言えばいいか分からなかったのだ。佑樹だってその真実をはっきりとは知らない。
 だけど、何となく感じてはいる。家朝が蘭に思考を鈍らせる薬を盛って、記憶の上書きをしていることを。それに、
「あの男性……」
 夜会の終盤、蘭の前に現れた正体不明な男の存在が今も鮮烈に瞼に焼き付いていた。不遜な物言いをされてかっときたけれど、寄り添う蘭と男を見てなぜか彼に対する警戒心が消えてしまったのだ。
 それほど二人は、絵のようにしっくりとしていた。
 あまりにも完璧すぎて、そこに入る隙などなかった。
 踊る二人をただ呆然と見るしか出来ず、そして涙を流す彼女を見て全ての答え合わせができた気がした。
「あの人が蘭さんの愛した男性なのだろうか……」
 だけど、そうだとしたらなぜあの男は蘭を奪い去っていかなかったのか。
「ああ、ここが覇王の家だからか」
 あの男性は蘭と同じ下虜の身分かもしれない。なんとかここに忍び込んだけど、蘭を連れて逃げるまでには至らなかった。
 それにしては随分と威厳があり、家朝よりもオーラを放っていたような。謎めいた彼のことを考えていたら、ドアがノックされた。
 思考が浮上し、のろのろとソファから立ち上がってドアを開く。
「こ・ん・に・ち・は」
「――っ!」
 開いたドアの隙間から稲穂がにゅっと顔を覗かせ、にまりと笑っているから心臓が飛び上がりそうになった。
「佑樹さん、今日は私とアフタヌーンティーしましょ」
 ぐいぐいとドアを押して入って来るので、佑樹は怖くなって自然に押し返していた。
「あら、佑樹さんの部屋が駄目なら、私の部屋にいらして」
 それも困りものだと黙っていると、稲穂がにっこりと笑う。
「いちるもいるから、ね」
 それを言われたら、肩の力が抜けてきて受け入れてしまうから不思議だ。いちるはまともな人で、上手く中和剤の役目を買っているからかもしれないが。
「はぁ、では行きます」
 今ここで断っても、夜に再び来られそうだから仕方なく頷き返した。機嫌を取り戻したようで稲穂はにこやかな笑みを浮かべ、ドアから一歩退いた。佑樹がドアを開いて、稲穂と部屋に向かおうとしたところ明るい声が廊下に響き渡る。
「あーれー? 佑樹じゃん。どこ行くの?」
 佑樹の姿を見つけぱたぱたと前から走って来るのはアキだった。いつものように女性物のひらひらの服を身につけ、無邪気な子犬のようにやって来る。稲穂は初めて見るのか、少し首を傾げてアキを眺めた。
「この人、誰?」
 目の前に立ち止まったアキが不思議そうに稲穂を見やる。稲穂はにこりと笑うと、アキに向かって会釈した。
「私は本多稲穂と申します。それで、あなたは?」
「ボクは小早川家の者。アキって呼んでくれていいよ」
「はあ……」
 稲穂が不思議そうにアキを上から下まで眺め、曖昧な笑みを浮かべる。ぐいぐい来るアキに若干戸惑っているようだ。
「あんたって、何歳?」
「え……私は二十三歳ですけれど……」
「なんだ、おばさんじゃん。やっぱ、ボクの方が若くて可愛いよね」
 アキが勝ち誇ったようにスカートの裾を持ち上げ、くるりと一回転した。その言い様には稲穂も頭に来たのか、眉をぎゅっと寄せる。
 佑樹は重くなる空気を感じつつ、どうしようかとおろおろしていたら、稲穂が先に口を開く。
「ええ、そうですわね。とても、可愛らしいですわ。流石、男を捨てて女に育てられた方は違いますわね。小早川家の秋也さん」
 その事実を知らなかった佑樹が呆然としている前で、アキの表情が初めて崩れた。
「くくっ。ボクにおばさんって言われて怒り丸出しでさ、笑っちゃうよね。そんなんだから、蘭に家朝様を取られちゃうんだよ」
 その言葉はまずい――アキをたしなめようとしたよりも先に稲穂の片手が上がり、ばしりとアキの頬を叩いていた。
「いった――っ」
 アキがぶたれた頬を押さえ、きっときつい目つきで稲穂を睨む。だけど、稲穂は我を忘れているのか怒りに震えながら、顔を真っ赤に紅潮させた。
「下虜と一緒にしないで!」
 全身から放たれる怒気に、びりっと空気が震えた気がした。怖くて竦みあがる佑樹とはよそにアキは余裕ぶった表情で稲穂を見据える。
「笑えるよ、そういうあんたは下虜に負けているじゃん。ボクが家朝様でもあんたは抱きたくないな」
「ふざけないでください! 家朝様が下虜を本気で相手にするわけがありません!」
「認めなよ。現実逃避は醜いよ」
「いい加減にしてください! あんな人、すぐにでも追い出してみせますから!」
「怖い、怖い、女の僻みはさ」
 とうとう稲穂の怒りが頂点に達したのか、彼女がアキの髪の毛を掴んだ。まさかそんな行為に出るとは思わず、佑樹が唖然としているとアキも負けずに稲穂の襟ぐりを掴み上げる。
「ちょ、あの、二人とも!」
 取っつかみ合いが始まり、喧嘩の仲裁に入ろうとしたところ恫喝のような叫び声が届いてきた。
「あんた達、何やってんのさ! やめなっ!」
 騒ぎを聞いていちるがどかどかと歩いてくると、ようやく稲穂とアキがお互いから離れる。
「稲穂、どうしたのあんた。そんなに興奮して」
 いちるが心配そうに見る中、アキが乱れた髪を整えていた。佑樹の胃がずきりと痛み、腹に手を当てて労るように擦った。
 ああ、もうむちゃくちゃだ……。
「ねぇ、ボクも一緒にアフタヌーンティーに呼んでよ」
 アキのあっけらかんとした態度に、稲穂も佑樹も目を丸くする。先ほどまで取っつかみ合いをしていたのに、何を言い出すのやら。
「いいでしょ、佑樹」
「いや、それは俺に言われても……」
「へーぇ、嫌なんだ? ボクを除け者にして何か悪い算段でもするつもりじゃないよね?」
 何気に言った言葉は図星をついていたらしく、稲穂といちるが動揺する。その様子を見ると、政春と蘭を逃がす計画の話しをしたかったらしいと佑樹は気づく。
「私はあなたとは仲良くなれないようですわ。だから、アフタヌーンティーは遠慮してくださいますか」
 はっきりとした敵意を向け、稲穂がつんっとそっぽを向く。
「さぁ、いちるに佑樹さん行きますわよ」
 アキを目に入れたくないように踵を返し、稲穂はさっさと廊下を歩いて行く。その後をいちるが追って行き、取り残された佑樹がアキに振り向いた。
「あ、あの、ああいう言い方は……」
「あんたもさっさと行けば。ボクも蘭の偽物なんかと仲良くする気はないし」
 そういう言い方が駄目だと言いたかったが、アキに何を言っても通用しないと思い諦めの溜息を吐き出した。
「じゃ、行きますね」
 軽く会釈をすると、アキがバイバ~イと軽い感じで手を振ってくる。それを目の端に入れながら、佑樹は稲穂の後を追って行った。




 









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