河畔に咲く鮮花  

     

 

 
 絶望の箱庭⓶  
 

 マスカレードパーティは成功に終わり、そこから数日の時が経った。蘭は夜会の日から正体不明の彼のことが頭から離れない毎日を送っている。ぼうっとすることが多くなり、お茶相手の佑樹に心配されることもしばしばだ。だけど、最近では賑やかな日が続き、蘭は深く考える暇がなかった。
「あー、それってボクのお菓子じゃん。佑樹はあっちでしょ」
「いや、それは俺のであって……」
 目の前のアフタヌーンティーで繰り広げられるアキと佑樹のお菓子争奪戦の攻防。夜会が終わって三日ほど経ったある日、ひょこっとアキが姿を現して自分も別邸に住むことになったと言ってきたのだ。どうやらともの助力もあって、あっさりとアフタヌーンティーの仲間入りをしている。彼の順応力に感心しながら、毎回お菓子を取り合っている二人を見て微笑ましくなった。
「ふふ、なんか兄弟みたいですね」
 そう漏らすと、アキが嫌そうに顔を顰めてお菓子を取る手を止める。
「はぁ? 止めてよね。大体ボクは一人っ子だし、こいつには兄貴がいるでしょ」
「……そう言えば佑樹さんって、お兄さんがいるんでしたっけ?」
 そう気軽に聞き返すと、なんとも言えぬぴりっとした緊張感が走った。
「は、はは。兄弟みたいっていいますが、アキ君は弟なのか、妹なのか分かりませんよね」
「はぁ? どこをどう見ても男でしょ。まぁ、可愛いから女に見違えてもおかしくないけど。あんたボクにダンスに誘われて鼻の下を伸ばしていたじゃん」
「ち、違いますよ。鼻の下なんて伸ばしていませんよ。大体、その女性っぽい格好が紛らわしいんです」
 あからさまに話題を変えられた気がして、蘭はしばし呆然としてしまう。聞いてはいけないことだったのかと思い、それ以上は深く追及しないようにして紅茶を口に含んだ。
 ぎゃあぎゃあ言い合っている二人を見ていると、強い風が吹いてきて髪が頬を打っていった。髪がぼさぼさになり、それを戻そうとしたところアキの手が伸びてくる。
「蘭、じっとしてなよ。ボクが直してあげる」
「え、あ、うん。ありがとう」
 にっこりと微笑むアキを見ていると、彼の手が髪を綺麗に梳いていく。それが徐々に大胆な動きに変わり、蘭の頭皮にまで手が届いてなぞりあげていった。執拗に何度も撫でつけられ、なんとなく居心地の悪さを覚える。
「あの、もう綺麗になっているんじゃないですか」  
 佑樹の言葉にぴたりとアキの手が止まり、ぱっと髪から離れていく。
「そう? まだ乱れているじゃん」
 アキが朗らかに笑い、もう一度蘭に手を伸ばそうとした。――が、その手は佑樹によってとめられてしまい蘭の髪には届かなかった。
「なに? 男に触られる趣味はないんだけど」
 アキの剣呑な響きに佑樹が一瞬だけ怯んで、手を緩やかに離す。だけどすぐさま牽制するように佑樹が声を張り上げた。
「アキ君は少しコミュニケーションが過度すぎませんか?」
 蘭も確かにそう思っていたが、口に出して言えなかった。アキを加え、アフタヌーンティーが始まって以来、なにかにつけてアキが蘭に触れてくる。初めは気のせいかと思っていたが、回数を重ねるにつれ気のせいではないと気がついた。
「そう? 女同士だからいいでしょ」
「アキ君は女性じゃないでしょう」
「本当にそう思う? ボクの裸を見たことないじゃん。はっきりさせるために見てみる?」
 アキがからかうように笑いながら、スカートの裾を持って持ち上げようとする。
「そ、それは、その……」
 佑樹が困ったように視線を逸し、こうして話はいつもそれていく。アキを見ていても別段変なところはなく、それを見た限りでは蘭が過剰に反応しすぎかとも思える。
 それでも蘭の中には一抹の不安があった。
 長虎の別荘にいた時、静音の陰謀によって蘭とアキは……。彼はそのことをすっかり忘れているかのように振る舞う。でもその気持は分かる。
確かにあれは尋常ではなく、狂っていた。
 あのように狂った夜の出来事は、忌まわしい静音の存在と共に葬り去ったのかもしれない。アキが何を考えているのかわざわざこちらから掘り起こすこともないだろうし、いつまでも引きずっていても仕方がない。
 だから、蘭も胸の奥にそれを仕舞い込んでいるのであって。
 本当にアキがコミュニケーションとしてボディタッチしているのかもしれないし。
 佑樹とアキが話しているのをぼんやり見つめながら、蘭はそっと溜息を吐く。
「その、あまり勘違いさせない方がいいと思って言っているんです」
「なによ、それ」
「俺は蘭さんのことを頼まれているのであって、なんでも家朝様に報告する義務があるんです」
 佑樹がそう言うと、アキは拗ねたようにふんと鼻を鳴らす。どうやらともの名前を出されるとアキは弱腰になるようだ。それを知っている佑樹が最終的にはともの名前を出して、この不毛なやり取りを終わらせている。
「あーあ、興ざめ」
 アキはお菓子を一つだけ摘みあげるとひらりと手を振って庭園を去って行った。
結局、アキの真意も分からないまま、いつもこのようにアフタヌーンティーの時間を終えるのだった。





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