河畔に咲く鮮花  

     

 

 
 絶望の箱庭@  
 



 「それで、どうするの?」
 冷ややかでそれでいて威厳に満ち、しっとりとした声がかかる。
 ほとんど年齢が違わない家朝の前に立ち、アキは緊張しながらもぞもぞとスカートの裾を指先で弄る。夜も深まり夜会はもっと濃密な彩りを増している。
 陽気に奏でられる音楽に賑わう人々の声が聞こえてくるのに、家朝の視線を感じるたびになぜか温度がぐっとさがった気になる。
窓が全てカーテンに仕切られたサロンには家朝が一人がけのソファに座り、足を組みながらこちらを注意深く見ていた。もちろんアキは彼の目の前に立っているだけで、座ることすら許されていない。早くこの部屋を出なければホールに待たせている長虎に変に思われるはずだ。
「ボ、ボクは……いや、小早川家は徳川家に下ります」
 声を上擦らせながらそれだけを言い切って、ふうっと息をつく。ようやく言えた安堵から胸を撫で下ろしていると、家朝がガラスのテーブルをこつこつと指だけで叩いた。
 どこか追い詰めてくるような仕草に、彼の機嫌を損ねたのかと緊張が舞い戻ってくる。
 こいつ、なんでこんなに怖いんだよ……。
 家朝はまだ十九歳だったはずで、アキとは二歳程度しか違わない。しかも家朝が徳川当主として織田信雪に変わり、覇王にはなったのは今のアキと同じ十七歳の時。
 彼の青い瞳がこちらを見据えると、心の全てが見透かされた気になり知らずに身体が震えてしまった。
「それで?」
「えっ……」
 家朝が先を促すようにくいっと顎をしゃくってくる。アキはたじろいで、彼の言わんとすることが分からず戸惑いを浮かべた。そうしていると、家朝が呆れたように溜息を漏らすと、身を乗り出しアキの服を掴んで引き寄せる。
「い、家朝様……っ」
 彼の青い瞳にじっと見上げられ、アキの身体は固まってしまう。
「浅井はどうなの?」
「あ、あ、えっと……」
 ようやく彼の聞きたいことが分かって、しどろもどろに声を絞り出した。
「多分、長虎は徳川家に下らないと思います」
 そう言うとぱっと手を離されて、アキの華奢な身体はふらりとよろめいた。
「へぇ、そう。それで、君はいいの? 上杉健吾、長井長虎とは幼馴染なんでしょ。それに浅井家と君の小早川家は親戚関係だったはずだけど」
「ええ、まぁそうですが」
 アキは顔を俯かせ、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。健吾は御三家に組み込まれるから仕方のないことだ。だけど家朝をよく思っていない長虎は徳川家には下らないと言っていた。   
本来なら親戚関係の浅井家に小早川家も付くべきなのだが。
 きっと長虎はあの男、織田信雪に付く。
 それは幼馴染としての直感だった。
 長虎は馬鹿だ。そんなことをしても、蘭は手に入らないし、この手に触れることも出来ないのに。家朝はぴったりと閉められていたカーテンを半分ほど開き、階下に見えるダンスホールに目をやった。
 アキもその視線を追いかけて階下を見ると、ダンスホールに置いて来た長虎の姿が見える。仮面を外し、壁の花になっているが周りにはダンスの誘いをしてくる女性達で賑わっていた。それでも長虎は断りを入れて、頑なに踊ろうとしない。
 彼も変わったものだ。以前は誘われれば誰でも受け入れていたのに。蘭に出会ってから最初は反発していたもの、今ではすっかり恋に目覚め腑抜けに成り下がってしまった。
 健吾から聞いた噂を確かめるために、マスカレードにやって来た。本当に蘭がここにいることを確かめてアキは徳川家に下る決心をしたのだ。
 ここにいた方が蘭に近づけるから――。
 思考に耽っていたら、再度家朝がテーブルをとんとんと叩く。
「浅井長虎を説得して」
 その言葉にはっと顔を上げて、家朝の顔を見た。彼は本気で言っているようで、射抜くようにこちらを向いてくる。それは、無理だと言いたかった。
 いっそのこと織田信雪のことを密告しようかとも思ったが、それは世界を壊すパンドラの箱を開けるようでアキには言う度胸がなかった。それにそんなことを話してしまえば、あの男を匿っている健吾の家がどうなるか想像したくもない。
「アキ、君をせっかく蘭のお茶の相手にしてあげるんだ。説得ぐらい出来るでしょ」
 するり、とその言葉が心の隙間に入って来てアキは顔を上げた。浅井家を裏切るのは、蘭のためだと言えば長虎はどんな顔をするだろうか。
「で、でも……長虎は……」
 元はと言えば、蘭に合わせて欲しいとの条件を家朝に提示した結果、こういう状況に追い込まれてしまったのだ。彼の追及によって蘭が一時期浅井家に匿われていたと話してしまった。
「上手く行けば、蘭にもっと近寄らせてあげる」
 ああ、彼はアキが蘭に執着心を持っていることを見抜いているのだ。美味しそうな餌を糸に吊らし、それをもっと寄越せと人の欲望を煽ってくる。
 久しぶりに蘭に会って、情けないほど彼女を欲している自分を再確認してしまった。彼女の滑らかな肌、さらりとした髪、全ての感覚がまだこの手に残っている。
 もっと、触れたい。家朝の元にいれば、その機会をくれるというのだ。それはあまりにも都合よく甘い誘惑なのに、この浅ましい気持ちは留まることをしらない。
「ねぇ、出来るでしょ」
 そう言われてしまえば、もう拒絶することなど出来ない。
 だから、いいよ。あなたに飼われ、ずっと手のひらの上で踊ってあげる。
「……はい、家朝様」 
 自分から逃れられない絶望の箱庭に入り、上辺だけの居心地の良さを提示され、考える意思と自由を奪い取られる。
長虎を馬鹿だと思った自分はもっと馬鹿だ――。
アキは開かれたカーテンから眼下を覗き、家朝が張り巡らせた見えない透明の糸によって踊らされている人々をぼんやりと見つめ、自分もその一人だとそう思った。




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