河畔に咲く鮮花  

     

 

 
  
恋の誘惑と陰謀のマスカレードA
 
佑樹はまさか自分の言った提案があっさりと通ってしまったことに驚きを隠せないでいる。何日後かに催されるマスカレードのことは実は稲穂から提案されたものだった。政春に会いに行った地下牢で彼女が密かに耳打ちしてきた内容は、パーティを開くというものだった。
不特定多数の者が入り浸ることになれば、警護や執事たちの動きを掴めるということでまずはパーティを開いてみる。それが稲穂の言う予行演習というものだった。
初めは難色を示していた家朝だったが、外に出られない(きっと出したくない)蘭の気分を変えるために踏み切ったのだろう。だけどまだ蘭のことを知られたくない、と言った家朝に仮面舞踏会はどうだろうかと言ってみたのは佑樹だった。
仮面で顔を隠すことによって、誰が誰だか分からなくなる。その提案をいたく気に入ってくれてマスカレードが催されることになった。
別邸にホールがあるということで、マスカレードはこちらの邸宅で開かれることになる。そのせいで別邸には色んな業者の人間が出入りし、当日は生演奏のオーケストラまで来ることになっていて、毎日のように演奏の練習をしていた。
にわかに賑やかになってきて、佑樹もらしくなく浮かれてしまう。タキシードも用意したし、顔に装着している仮面も誂えた。
自分の部屋の姿見の前でタキシードを当てて見ながら、うきうきと気持ちを浮き立たせる。なぜなら、マスカレードの当日、蘭の相手を家朝から承ったのだ。
家朝は主催者のため、訪れる人々に挨拶やパーティを滞りなく進めるホスト役を買って蘭の相手が出来ないという。
婚約者と言いつつ、まだ世間では知られていないことに疑問を抱くがあまり踏み込んだ質問が出来ないためにそこは一旦置いておくとする。
「これ、変じゃないかな」
 角度を変えながらタキシードが自分に似合っているか確認をした。蘭はどんなドレスで来るのだろうかと想像しながら、早くその日が来ないかと待ち遠しく思う。
「それにしても信用されているのかな?」
 蘭の相手に男である自分に相手をさせるとはよほどのことだ。それだけ家朝に信頼されているといってもいいだろう。
――と、そう思っていた。
『蘭はお前を選ばない』
 地下牢で政春に言われた言葉がふっと脳の中によぎっていき、その意味を知って愕然とする。あの時、どうして胸が騒いだのか今になってようやく分かった。
 姿見の前のタキシードはオーダーメイドしたもので、覇者の息子として恥ずかしくない高級な洋服だ。靴だってこの時のために新調したし、仮面でさえ特注で作らせた。
 だけど、その服に見合っていない姿を確認すると浮かれていた自分が愚かに思えてくる。  
 髪はぼさぼさで襟足まで伸び切っていて、人見知りのために前髪は瞳を隠している。背中は丸まって自信のなさが見て窺える。陰気で暗い男、内気で気弱な男、欲望をひた隠し、裏では蘭の肌に触れたシャツをいつまでも自慰の行為に用いる男。
 それと比べて家朝は華やかで美しい、義鷹は気品があり麗しい、そして牢に入れられていてうす汚れていても政春は妖しくも艶やかだ。
「そんな……」
 佑樹は手からタキシードをばさりと落とすと、わなわなと震える。どうやら自分は勘違いしていたようだ。家朝から蘭の相手を承ったのは、信頼なんかじゃない。
 そう。異性としてこいつだけは『ない』と判断されていたからだ。
「俺……俺……」
 情けないほど狼狽し、泣きたい衝動に駆られた。今になって政春の言葉が胸を貫いていき、その苦しさで吐き気すら催した。仮面で顔を隠していても、家朝や義鷹ともなれば隠しきれない美しさが溢れ出るだろう。
 それに比べたら俺は……?
 こんなことではなにより、相手をしてもらう蘭に恥をかかすかもしれない。いや、一生蘭に異性として見てもらえないのが怖かった。
 今まで自分の容姿について気にしたことはないが、このままではいけない気がした。
 佑樹はもう一度姿見を見つめ、自分の伸び切った髪を梳いた。そして前髪を上げて、ごくりと唾を飲み込む。
 今まであまりきちんと顔を晒したことはなかったが、こうしてみると政春に雰囲気が似ている。母が政春を嫌っていたために、今日までずっと顔を出せずにいたのだが。
 俺でも変われるだろうか?
 蘭に見合う、そして他の男からも侮れない男だと見てもらえるだろうか。蘭のことを思うと今までにない勇気が奮い起こされる。
 佑樹は決意に満ちた瞳を上げて、この瞬間変わることを心の底から望んだ。


***


 蘭は数日後に開かれるマスカレードに胸をときめかせながら、ともが贈ってくれた数々のドレスを身体に当ててはどうだろうと首をひねった。そんなことをしているうちに、佑樹とのアフタヌーンティーの時間が来てしまい、慌てていつもの庭園に向かう。
 マスカレードの支度のためともは今日はティーを一緒に出来ない。手伝うと言ったのだけど、気遣われてしまいやんわりと断られた。
 とも君だって、まだ怪我が治っていないのに……。
 後ろ髪を引かれながらも、佑樹を待ちぼうけさせるわけにいかず螺旋階段を下りていく。そう言えば、佑樹がパーティの間一緒にいてくれると聞かされたのを思い出し、お礼を言わなければと先を急いだ。
 別邸が騒がしいのに対し、本宅だけは時間が止まったように静寂に満ちている。花薫る庭園にたどり着いた時、蘭はえっと目を丸くした。
 いつもの席に蘭の知らない男性が優雅な装いで座っている。清潔感のある白いシャツに、グレイのスラックスという清楚な出で立ちだったが、溢れ出る色気が相まって華やかにさえ見えた。
 蘭はどぎまぎとしながら近寄って行くと、艶やかで細い髪が風によってさらさらと音を立てるように後ろに流れていく。ふいに彼がこちらに気づいて、顔を向けてくる。
 妖しいほどの切れ長の瞳は艶やかで、光の加減によって青みがかっている様も彼の美しさを引き立てていた。蘭を見た途端、瞳が和らぎ物憂げな表情をしてくるのも、線の細い彼に似合っている。
 物静かで秀麗な美貌を湛えている彼は、椅子から立ち上がりぺこりとお辞儀をしてきた。
「ら、蘭さん、こんにちは」
 その物の言い方で、それが佑樹だと分かった。あまりの変わりように驚いてしまい、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりする。
「あ、あの、変でしょうか。美容室に行って髪を切って、その後服も買ったんですが」
 佑樹は所在なさげに視線を彷徨わせながら、切ったばかりの髪を何度も撫でつけた。彼が落ち着きなくそわそわとしているので、蘭はなんだかほっとしてしまう。いつもの佑樹が戻って来た気がして、頬が緩んだ。
「すっごく、似合っています! 初めからその髪型にすれば良かったのに」
「え、ええ? ほ、本当ですか。お世辞でもそう言っていただけて嬉しいです。あ、あの、座りませんか」
「ええ、ありがとうございます」
 佑樹が椅子を引いて、蘭を促してくれる。こういうところまでスマートになっていて、本当にこれは佑樹なのかと何度も目を瞬かせた。
「あ、あの、紅茶を淹れますね。あつっ!」
 ティーポットに触れてしまい、佑樹は手を引っ込める。
「大丈夫ですか? 手を見せてください」
「い、いえ、大丈夫です。俺が慣れないことをしたせいなので」
「私が淹れますから、佑樹さんは座っていてください」
「え、え、すみません」
 しおらしく椅子に座る佑樹は、肩身が狭そうに顔を俯かせた。それを見た蘭はついくすりと笑ってしまう。その笑い声か聞こえてしまったのか、佑樹が弾けるように顔を上げた。
「や、やっぱり、俺、変ですよね……」
「あ、誤解しないでくださいね。いつもの佑樹さんだと思えば、安心したんです」
「そ、そういうものですか……?」
「はい。急に格好良くなったから見知らぬ人になったみたいで」
「か、格好良いですか」
 何気に言った言葉に反応して、佑樹がなぜか顔を赤らめた。それからと言うものの、いつもの佑樹に戻ってしまい、そわそわと終始落ち着きない態度になる。
 照れてしまったのかしら?
 自分より年上のはずだけど、なんとなく彼といると気持ちが楽だった。ともは婚約者なのにいつまでたっても緊張してしまうし、義鷹に至っては冷たい態度を取られ、その後稲穂との蜜夜を見てしまいそれから疎遠になっている。
「あの、どうかしましたか?」
 義鷹のことを思い出していると、カップを持ったまま止まっていたらしい。佑樹が心配そうにこちらの様子を窺っているのに気づき、口元の端を無理やり持ち上げた。
「いえ、何でもないんです」
「いや、でも、その……蘭さん、今無理に笑っていますよね」
 佑樹の言葉にハッと顔を上げて、彼を見ながら何度か目を瞬かせる。彼の観察力に驚いてしまい、こちらをじっと見つめる切れ長の瞳を見つめた。
 そうすると佑樹が恥ずかしそうに顔を赤らめ、ゆっくりと目を逸らす。
「私、顔にすぐ出ちゃうんですよね。情けないです」
「そ、そんなことありません。あの、もし、なにかあれば俺なんかで良ければ相談してください。聞くぐらいならできますから」
「ありがとうございます。そう言ってくれると甘えてしまいそうです」
「甘えてください!」
 彼が椅子から立ち上がる勢いで、声を張り上げたのには驚いた。その後ですぐに佑樹が声のトーンを落とし「すみません」と恐縮する。それを見ているとどうしてか、自分の胸の内にある不安を吐き出してみようかと思ってしまった。
「あの、今川義鷹様という方のことなんですが」
その名前を出した途端、佑樹が驚きに目を見開く。彼のことを知っているのだろうかと思ったが、なにも言わないので話を進めることにした。
「その、最近なのですが冷たい態度を取られた後、距離を置かれていまして。それが気になっているんです。あ、すみません、大した話ではないですよね」
「え、えっと、その……俺は彼のことをあまり知りませんが、なにか理由があるのではないでしょうか。だから、その、もう少し様子を見るとか。あまり、蘭さんが気にすることはないと思います。ほら、あの方はかなり忙しいといいますから。あ、俺こそすみません。こんなことしか返せなくて」
 佑樹がたどたどしくてもこちらを真っ直ぐに向いて必死で喋っている姿は、蘭の気持ちを軽くさせた。適当な言葉ではなく、親身になって答えてくれているのが分かったからだ。
「ありがとうございます。そうですね。義鷹様は忙しい方だし、あの日は虫の居所が悪かったのかもしれません。佑樹さんに言ったら、胸のつかえが取れました」
「え、あの、こちらこそ喋ってくれて嬉しいです」
「はい。佑樹さんとは良い友達になれたらいいな、と思います」
 心の中で思ったことをぽろりと漏らすと、佑樹がなぜか止まってしまう。どちらかと言うと、喜んでいるというよりは戸惑っているような感じだ。
「ごめんなさい、気軽に友達になりたいなんて」
 彼が不愉快に思ったかもしれなくて、すぐに謝罪する。数秒遅れて佑樹が紅茶をのろのろと飲んで、ぎこちない笑みを浮かべた。
「い、いえ、こちらこそ、とんでもない。マスカレードの時も一緒にいるのでこんな俺でよければ……」
「あ、そうでした。挨拶が遅れてすみません。マスカレード日はよろしくお願いしますね」
 蘭はようやく本来の目的を思い出し、ぺこりとお辞儀をする。そうすると佑樹も慌てたようにティーカップをテーブルの上に置いて、深々と頭を下げてくれた。
 そして顔を上げると落ち着きなく佑樹はシャツのボタンを指で弄る。それを見てふと気がついたことがあった。
「佑樹さん、そのシャツのボタンってそれだけ形が違っていませんか?」
「え、あ、いや、これは、こういうのが流行っているんですよ」
 彼が慌てると、弄っていたボタンを手で隠して見えないようにする。蘭は男性のファッションのトレンドに疎いため、そう言われてしまうとそんなものか納得した。
「そうなんですか。私ももっと勉強しなきゃいけませんね」
「いえ、そんな、蘭さんは知らなくてもいいですよ。あ、それより蘭さんはマスカレードのドレスは決まったんですか?」
「それがですね……」
 なんとなく話を逸らされた気がしたが、佑樹が話を振ってきてくれているのでその会話に移ることにした。
その後は和やかだが、佑樹との話が弾んでその日のアフタヌーンティーの時間は終えた。 












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