河畔に咲く鮮花  

     

 

 
 恋の誘惑と陰謀のマスカレード@

「ええ! 健吾、あんたがこんなのに参加するの?」
 上杉綾乃がぎゃあぎゃあと騒いでいるのを見て、雪は騒がしい二人のもとに近づいて健吾が持っている高級な封筒を覗き込んだ。すでに封蝋は外されているけれど、これは徳川家の印で間違いない。
「なんだよ、これ」
 健吾の手から封筒を奪い、中に入っている夜会のお誘いの招待状に目を通した。それは仮面舞踏会の案内で、正装に仮面を用意して参加するよう記載されてあった。
「まさか、健吾がこれに参加するのか?」
 雪はパーティというより宴会という言葉が似合う健吾を見て、思い切り顔を顰める。
「仕方ねぇだろ。徳川からの招待状だ。御三家に組み込まれる俺としては行かなきゃ意味ねぇだろ」
「いや、でも、だって、健吾が正装で仮面装着してびしっと決めていくなんて。あはははは」
「綾ねぇ、笑うなよ。あー、くそっ」
 健吾がわしゃわしゃと髪の毛を掻き乱し、やってられないとばかりに溜息を落とす。
「でも、なんだってこんなことを? ともはあんまりパーティみたいなの好きじゃないはずだ」
「おーおー、さすがは幼馴染ってか? 鋭いじゃねぇか、信雪」
「やっぱ、なんかあるのか」
「まーな。噂の域を越えないけど、塞ぎ込んでいる婚約者に少しでも明るくなってもらうとかなんとか」
「婚約者? そんなのいるのか」
 雪はともの想いを知っているため、せいぜい政略結婚の相手のことだろうと高をくくっていた。雪も上杉家に厄介になっているし、ふらりと戻ってくる健吾から情報だって聞いている。確か今は本多家の娘が別邸に住んでいるとかで、きっとそんなところだろう。
 けれど、健吾はいつもより歯切れが悪くどこか困ったように眉を下げていた。豪快な彼に似合わない態度に、なにかしら奇妙な違和感を覚える。
「なんだよ、健吾。言いたいことがあるなら言ってみろ」
「あー、その、実はお前に黙っていたことがあってな。いや、悪いな」
「は? なんだ、言ってみろ」
「心してよく聞け。多分なんだが、お前の花嫁の下虜、蘭が徳川家に渡ったんじゃないかと思ってな」 
「お前、冗談だとぶっ飛ばすぞ」
 ここにきて蘭の名前があがってくるとは思わず、激しく動揺する。
「俺も確信はないんだけど、最近本多家の稲穂が外をうろうろしていて、怪しい動きをしているって情報が入ってな」
「蘭は義鷹に連れて行かれたんじゃねぇのか? 本多家の娘の話なんてどうでもいい」
「だから、俺もよく分からんが、その稲穂があっちこっちで、婚約者の座を奪った下虜がいるって吹聴しているって言っているんだよ。しかもその女が自分に似ているとかなんとかで。随分と噂になっている」
「健吾は蘭と稲穂の顔を知っているんだろ。似てんのか?」
「あーうん、まあ、似てるっちゃ似てる。だけど、噂だ、噂、信じなくていい」
「……いや、その噂、多分正しい。きっとともの側にいるのは蘭だ」
「待て、待て。もしかしたら、蘭に似た女がもう一人ぐらいいて、家朝の側にいるかもしれないぞ。お前の言っている蘭とでは違うかもしれねぇだろ」
「いや、義鷹は今でも徳川家の庇護を受けている。あの二人がどんな形であれ繋がっているなら、ともが蘭を見つけることも可能なはずだ」
「じゃー、え? 今川の若様から家朝が奪ったってことか?」
「……それらを説明するには、複雑なんだよ」
「んだよ、こっちは教えてやってんだから、教えろよ」
「こら、健吾、いつからゴシップ好きになったのよ」
 今まで黙っていた綾乃が健吾の頭をぺしんと叩く。頭を押さえ、綾乃に文句を言う健吾を見ながら雪は一人物思いに耽る。
「ったく、結局はこうなるのかよ」
 どこか遠くに行っても、離れたと思っても、蘭は巡り巡って自分たちのもとへと戻ってくる。いや、反対に自分たちが強烈な運命の女に引き寄せられているのかもしれない。義鷹も、ともも、雪自身も奇妙で複雑な糸にがんじ搦めにされ、身勝手な運命に翻弄されているようだった。だけどその糸の先はどれだけこんがらがっていても、最終的には蘭のくすり指へと続いている。雪はそう信じている。
 だったら――。
「なぁ、俺にも招待状を手配してくれ」
 それを聞いた綾乃と健吾が喧嘩をぴたりと止めて、信じられないといった風に目を見開いた。そして二人して勢いよく雪に迫ってきて、
「あんた、馬鹿じゃないの!」
「お前、もう少し考えてから物を言えよ!」
 耳元で大声で怒鳴られた。なんだかんだ言いながら、息のあっている姉弟だと関心しながらも真剣な顔をして二人を見る。その様子に気がついたのか、二人はこめかみに青筋をぴきぴきと立てて思いっきり顔を顰めた。
「てめぇ、調子こくなよ。誰のおかげでここに匿ってもらえてると思ってんだ」
 健吾が怒気丸出しで、今にも突っかかってきそうな勢いになる。それでもここで退くわけにいかず、自分よりも背も体格もいい健吾を見上げる。
「これはマスカレードだろ? 仮面さえ装着してたら気づかれない。それに、俺だって迂闊にともに近づくわけがない。蘭さえ確認できればいいんだ」
「は? それでもだな――」
「俺が思うに、このパーティは大規模な範囲で行われるはずだ。覇者だけでなく、貴族の家にも招待状が出回っている。それだけ不特定多数の人数がいれば俺が紛れ込んでも気づく奴はそうそういない」
 雪の予想は当たっているようで、健吾がぐっと怯んだ。敵対したといっても、皮肉なほどとものことが手に取るように分かった。パーティなどいつも冷めた目つきで見ていたともが、こんな派手なことをするのはきっと誰かのため――。
 それが自分の愛しの相手であるなら、迷わずに開くであろう。
 そうだろ、とも? この俺から奪い取り、その手に入れたかった蘭のためなんだろう?
 それに仮面舞踏会であることを選択したのはまだ蘭をお披露目したくないからだ。とものことだから、自分の誕生日に合わせて婚約発表をしてくるだろう。
 ふと、ともが十五歳の誕生日に脱童貞宣言を発表したのを思い出した。それを思うと、変な笑いがこみあげてくる。
 とも、お前はなにも変わっていないんだな。あの頃と同じように。
「なに、笑ってんだ信雪」
「少しともの昔のことを思い出してな。あいつは、蘭のことをまだみんなに知られたくないはずだから、パーティの時はあまりくっついているとは思えない。そこに隙はある」
 ああ、蘭と離れてもう二年の月日が経ってしまった。また狂おしいほどの熱い夏がやってくる。
早く、早く、蘭に会いたい。
「信雪、なんとかしてやる。だけど、面倒は起こすな。分かっているな?」
「健吾! あんた、勝手にそんなことしないでよ」
「綾ねぇ、こいつが言うこと聞くと思うか? 断って変な行動されるより、こっちが監視していた方が安心するだろ」
 雪が一度言い出したら聞かない性格なのを知っている綾乃はそこで降参した。
「ありがとうよ、健吾。お前たちには迷惑かからないようにする」
 雪は二人に感謝を述べて、蘭に会えることだけに気持ちを集中させる。そして、今やこの世界を平定しているともの顔を。
 それを思い出すと、義鷹や秀樹の顔も思い起こす。懐かしい面々に郷愁の念すら浮かんできて、なぜか自分らしくもない哀切な想いが胸の中をよぎり、雪はそれを振り払うかのように目を閉じた。











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