河畔に咲く鮮花  

     

 狂う日常D佑樹編

 
  

佑樹はいつになく緊張しながら、長い廊下をまっすぐに歩いている稲穂の背中を追っている。家朝に見せつけられた日からおよそ自分らしくない感情が溢れ出し、とうとう協力すると言ってしまったのだ。絶対的な余裕を持つ家朝から蘭が離れてしまえば、彼はどんな風に表情を崩すだろう。
 それが密かな楽しみとまでなってしまい、入れば二度と戻れない扉を開いてしまった。義鷹には稲穂から連絡がいくだろうと思い、あの男には連絡を入れていない。
 そして今日は稲穂から協力してくれたお礼と言われ、別邸の誰も使用していないような場所に案内された。その場所は別邸でも人気のない端っこの庭に面した薄暗いところだった。何人とも拒絶するように閉ざされていた鉄格子はあっさりと開き、その向こうには地下への階段が続いている。稲穂は臆することなく、しかも慣れた調子で地下へと下りていく。
「さぁ、いらして」
 稲穂は懐中電灯を照らし、優雅な仕草で手招きしてきた。女性を待たせるわけにも行かず、勇気を振り絞って彼女の後ろについていく。暗く静寂な中で、自分の履いている革靴の音が響き渡り、それが外に漏れてしまうのではと恐怖する。ここがどこだか分からないけれど、雰囲気的に来ては行けない場所のように感じたからだ。
「ほら、到着しますわよ」
 そんな中でも稲穂は朗らかに笑い、階段を軽やかに下りていく。その後を不安になりながらもついていき、随分と下ったところまでやってきた。
 ようやく到着したけれど、外より暗くてカビのような据えた香りが辺りに充満している。吹き抜けになっている天井には天窓が一つあるだけで、そこから陽の光が差し込んでいるが、それでも目が慣れないとなにがあるのか見えなかった。
「誰だ!?」
 暗闇から鋭い声がかかり、それと同時にじゃらりと重い鎖を引きずるような音が聞こえてくる。佑樹はびくりと肩を竦ませて、音の方向に目をやった。
「私ですわ。ほら、以前に言っていた協力者を連れて来ましたの」
 稲穂が懐中電灯を声のした方に向けると、そこにある男の姿が露わになる。それを見た佑樹はあっと声をあげてしまった。男は光が当たり、眩しそうに目を細めながもこちらを真っ直ぐに見据えている。
「おい、眩しいだろ」
「あら、ごめんなさいね」
 稲穂はくすくすと笑いながら、懐中電灯を下ろした。細々とした太陽の光が差し込む中で、佑樹は獣のように鋭い視線を向けてくる我が義兄と対面する。
「お前……まさか、佑樹なのか?」
「そ、そういう、あなたは義兄さんですか……?」
 久しぶりに顔を会わせた場所が牢獄だなんてどんな皮肉なのだろう。それでも政春がまだ生きていることに驚き、わなわなと身体が震え出す。唯直から政春を助け出すよう交渉して欲しいと言われてはいたが、実際のところ生死については怪しいものだった。
 元覇王、織田信雪に屠った爆破事件の犯人として捕われたということは知っている。その親友の家朝はすぐにでも人知れず処刑すると思っていたのに。
「もっとこっちに来い。顔を見せてみろ」
 信じられないけれど、この不遜な態度と冷笑は政春独特のものであり、それは彼自身が本物だという証明にもなっていた。それは一緒に暮らしてきて、嫌と言うほど彼を見てきた佑樹がなによりも知っている。
 ふらふらと導かれるように鉄の檻に近づいて行くと、にゅっと中から腕が伸びてきて胸元のシャツを掴まれ強引に引き寄せられた。
「つっ……!」
 勢いよく檻にぶつかってしまい、身体を強打する。けれどそれよりも、眼前に迫る政春の方が怖くて痛さなんて吹っ飛んでいった。
「よお、我が義弟よ。元気にしていたか」
 政春が佑樹のことを頭から爪の先までじろじろと品を定めるように見ていく。
「相変わらず、ださいな。その長ったらしい髪、どうにかしろ」
 何年ぶりかに会ったというのに、自分の身なりについて検分されるとは思わなかった。
「そ、そういう義兄さんだって……その、随分と汚れて……」
「へぇ、俺がなんだって?」
 片側から覗く妖しいほどの切れ長の瞳に射すくめられて、言葉が続かなかった。先に目線を逸してしまうと、ぱっと手を離されて身体を解放される。バランスを崩してよろめきながら数歩後ろにさがり、にやりと口の端を上げている政春を見た。
「で、親父に言われて来たのか?」
「いや、その、唯直さんに……」
「唯直が? ふん、あいつらしいお節介だな」
「その、義兄さんは……ここから出たいんですよね……?」
「当たり前だろ。お前だって分かっているはずだ。俺はある意味、囚人でありながらも人質だということを」
「そ、それは……」
 政春が生きている理由、それはわざと生かされているのだ。謀反人と言えども、彼は伊達家の嫡男である。もちろん勘当したといっても、彼が生きている限り伊達家と全く関係ないといえない。彼をこの世に繋ぎ止めることによって、家朝は伊達家を制圧しているというわけだ。彼をここから解放しなければ、いつまでたっても伊達家は徳川家と対等になれない。
 一生、奴隷のような生き方を強いられてしまい、自由を願うことなど出来ないだろう。
「義兄さんが人質であるなら、交渉は難しいよ……」
「ふっ、くくくくっ。相変わらずお前は馬鹿だな」
「なっ、そんなことっ……」
 無遠慮な言葉を突きつけられて、佑樹はかっと顔を紅潮させる。自分がいつも政春と比べられていたのは知っていた。男の魅力、能力、カリスマ性、その全て政春に備わっているもので、自分にあるのは健常な身体だけということだけだった。側室である母親が政春の母よりも狡猾だったために自分が後継ぎとして担ぎあげられただけだ。
 そんなことはよく分かっている。よく分かっているが……。
「お二人とも、兄弟喧嘩は後でやってください。佑樹さん、彼が生きていることが分かったでしょう? これで、嘘はついていないと信じてくれますよね」
「は、はぁ……ですが、どうやって義兄さんをここから出すんですか」
 稲穂によって政春とのやり取りが中断され、内心ほっとする。あまり長い間話していたら自分が彼より劣っているのを改めて認めてしまいそうで。
「政春さんはなにもずっとここに閉じ込められているわけではありませんわ。係の者が来て、入浴することを許可されていますの。その係員を買収する手筈を整えていますわ」
「買収って、そんなに上手く行くのでしょうか」
「ええ、その係員はかなりの借金があることが分かりましたの。主にギャンブルですけどね」
 佑樹の知らないところで着々と事が運んでいることに驚きながら、稲穂の言葉に耳を傾ける。
「だけど、買収したところで脱出する方が難しいのではないでしょうか」
 本宅とまではいかないけど、別邸も警備はしっかりとしている。出入り口から、裏口まで伊達家では考えられないほど人が詰めていた。その変わり、一度内側に入ればメイドやフットマンがいるだけで、警備の者は決められた時間しか見回りをしていない。
 そこに隙があるのか分からないけれど、到底不可能な気がしてならなかった。
「や、やっぱり、難しいのではないでしょうか」
「ええ、だからあなたに協力してもらうのですわ。まずは、予行演習と行きましょう」
 稲穂がにんまりと笑い、可愛らしく首を傾げる。嫌な予感しかせず、佑樹はじりっと後ずさりした。その距離を詰めるように稲穂が近づいてきて、こそりと耳打ちしてくる。
 佑樹はそれを聞いて、ごくりと喉を鳴らす。
「では行きましょう。長居は無用ですわ」
 稲穂に促され、地下牢から引き上げることにする。佑樹としてもあまり義兄と一緒にいたくなかったので、その申し出は有難かった。
 後ろを振り向かず去ろうとしたところ、政春が声をかけてくる。
「なぁ、蘭に会ったか?」
 不意打ちの質問に心臓が飛び出しそうになった。振り向かないと思っていたのに、政春の言葉によって馬鹿みたいに振り返ってしまう。
「あいつを連れて逃げるのは俺だ。分かっているな?」
 牽制してくる言い方に、政春の気持ちを理解してしまい呆然とする。本当に彼は蘭に恋をしている。
「そ、そんなの、義兄さんに言われなくても……」
「まぁ、そうだな。俺とお前はなにもかもが違う。女の趣味だってな。それに、蘭がお前を選ぶわけもない」
 ざわり、と佑樹の中でなにかが騒ぐ。まっすぐ射抜いてくる政春の視線を剥がすように逸して、上に繋がる階段に足を乗せた。
「あら、どうかしまして?」
「いえ……」
 稲穂の背中を追いながら、佑樹は政春に言われたことを頭の中で反芻する。確かに、佑樹と政春ではなにもかもが違う。今さら再確認しなくても知っていることだ。彼は身体を動かすのが好きだったが、佑樹は物静かに本を読むのが好きだった。性格だって、彼は過激であったけど、佑樹は内気なタイプだ。嗜好だって笑えるぐらいに真反対だ。彼は肉料理が好きだけど、佑樹は魚料理が好きだった。
 趣味嗜好、なにもかもが正反対の義兄弟。
「それでもね、義兄さん……」
 女性の趣味は嫌なほど似ているかもしれないと、今更ながらに痛感する。
「血の流れは半分だけど俺たちはやっぱり、笑えるほど兄弟だよ」
 地上に戻り、少しだけ晴れ間の覗いた空を見上げながら佑樹は稲穂にも聞こえないようにぼそりと呟いた。










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