河畔に咲く鮮花  

     

 狂う日常B佑樹編

 
  
 
運命とは自分の予期せぬ方向に進んでいく。佑樹は最近、蘭に会えずに悶々とした毎日を過ごしていた。本当は店の視察も終えて実家に帰るはずだったけど、義兄の政春の話がまだ伸びているといって、徳川家の別邸に滞在していた。
 のんきな父親は家朝に気に入られていると勘違いし、政春のことはともかく、覇王の側にいてもいいと言ってくる。
 本当は蘭のことで頭が一杯ということはもちろん伏せていた。部屋にいるのも息が詰まるし、気分転換しようと外に出ようと思い立つ。
 絵画や美術品の並んだ回廊に出て、磨き上げられた大理石の床を足早に歩いていた。
 そんな時、なんの運命の悪戯なのか廊下の先で今まさに部屋に入ろうとする二人組みの女性に目がいく。
「あ、あの!」
 思わず声をかけてしまったのは、二人組の一人が蘭と雰囲気が似ていたからだ。別邸に彼女がいるはずがないのに、所作も無視で廊下をばたばたと走ってしまう。ドアノブに手をかけたまま、こちらを見る二人組の女性の訝しげな表情が視界に入る。
「え、えっと……」
 全速力で走ったために、ぜぇぜぇと情けないほど息を切らしてしまう。なんとか呼吸を整えた後顔を上げて、蘭に似た女性をじっくりと見つめた。
「あんた、なに? アタシらに用事でもあんの?」
「あ、あ、あの、俺は怪しい奴じゃありません。伊達佑樹と言います。はじめまして」
 髪が短めの快活そうな女性に凄まれて、佑樹は情けなくもあっさりと身分を晒した。これで怪しくないと疑いは晴れたと思うが、名前を聞いた二人は顔を見合わせる。なにか変なことでも言っただろうかと首を傾げるが、思い当たることはなかった。
「まぁ、あなたが伊達家の後継ぎの方? ああ、ごめんなさい。私は本多稲穂、こちらは雑賀いちるよ。私の親友なの」
 蘭に似た女性が本多稲穂と聞き、佑樹は衝撃を受ける。なんだろう。なにが、とははっきりとは言えないが、胸がざわめく。それは自分が想像していた稲穂という女性像とはまるっきり違っていたせいだろうか。
 どうして家朝はこのように似た女性を自分のもとに置いているのか。経緯は分からないけど、こういう容姿がタイプとか?
 似た風貌を持っているなら、どちらが婚約者でも構わない気がする。だったら正統な血を持つ稲穂が花嫁となっても、家朝にとってなにも変わらないのでは。
 なんとなく義鷹の言っていることが現実味を帯びてきた気がして、肩肘張っていた自分が馬鹿らしくなってきた。
「もうこんな時間だわ。良ければ佑樹さんも部屋に入ってください」
 腕時計を見ると、針がちょうど午後の三時を差していた。彼女たちもアフタヌーンティーをするのだろうかと思い、この機会に彼女たちのことを知ろうとお呼ばれすることにする。
 別邸と言えども女性の部屋に入るなんてどきどきとしていたけど、いちるはさっさとソファに腰を下ろすし、稲穂に至っては鏡台の上に置いているなにかを手に取って、バルコニーへと行ってしまう。
 客人というよりまるで佑樹はいないものとして扱われている気がして、どうしてよいかも分からずに部屋の入り口で立ち尽くしていた。
「あ、えーと、佑樹さんだっけ?」
 ふいにソファから声をかけてくるいちるに救われた気がして、そちらにすぐさま振り向く。
「悪いこと言わないから、帰った方がいいよ」
 招かれたはずなのに、あっさり帰れと言われて愕然とする。間抜けにもあんぐりと口を開けながらいちるを見ていると、バルコニーから陽気な声が聞こえてきた。
「佑樹さん、こっちに来てください。ほら、始まりますよ」
 稲穂は佑樹に振り返ることなく、前方を向いたまま声をかける。これは稲穂にバルコニーまで来いと言われているのだろうか。それを聞いていたいちるは、どことなく気鬱そうな溜息を吐き出し、ソファから立ち上がる。バルコニーへ行くのかと思いきや、彼女はミニバーに行くとそこに設置されている冷蔵庫からボトルを取り出してミネラルウォーターを飲み出した。
「ほら、佑樹さん。開演しましたわよ」
 いちるが行く意思がないのを見て取って、佑樹はのろのろと緩慢な動きで稲穂のいるバルコニーに向かう。彼女の隣に立つと、精度の良さそうなオペラグラスを覗いていることを知る。彼女は一体なにを見ているのだろうかと、その視線の先を辿ると別邸の壁の向こうにきらきらと水を弾きながら天高く吹き上がる噴水と、その周りを囲む咲き誇る花々の花壇が見えた。
「ふふ、ああ、やだ。今日も麗しいわ」 
 彼女の見ている、いや覗いている先を知って佑樹は慄然とする。彼女は別邸の向こうに広がる本宅の庭園を見ているのだ。しかもその庭園は佑樹もよく知っている、蘭とのアフタヌーンティーをしている場所であって。
「ねぇ、あなたも観ます?」
 稲穂がぐるんと首を回し、佑樹の方に向いた。どこか目を爛々と輝かせている稲穂を見て、どこかうすら寒いものを感じる。
「い、いえ、俺はいいです」
「あら、いつも見られている立場なんですもの。今日ぐらい鑑賞されては?」
 その言葉に佑樹の背筋に冷たいものが走っていった。
 いつも、見られている? 
そこでようやく稲穂が佑樹と蘭がアフタヌーンティーをしているのを見ていることに気がつき、ごくりと喉が鳴った。
「ほら、どうぞ」
 断ったというのに稲穂は佑樹にオペラグラスをぐいぐいと押しつけてくる。強気に出られない佑樹は仕方なく彼女からオペラグラスを受け取り、恐る恐る覗いてみた。
 ちょうどよい距離に合わされ、すぐ目の前に家朝と蘭が仲睦まじくティーを楽しんでいるのが見える。
 こんな覗き見なんてよくないと思いつつも、久しぶりに蘭の顔を見てしまうとそんな考えなんてすぐに吹っ飛んでしまった。今日は白いワンピースを身に包み、すらりと伸びた脚には少しだけヒールの高い靴を履いている。今日もよく服が似合っているなと、頬を緩めながら見ていると、
「あ……」 
 あることに気がつき思わず声を上げると、稲穂がつかさず隣から声をかけてくる。
「どうなさったの?」
「あ、いえ……」
 別に言うことではないだろうと微妙に濁すと、いきなりオペラグラスを取り上げられた。
「駄目ですよ。分からないことはきちんと聞いてくださらないと」
「いや、でも」
 彼女の言い方はかなり独特で奇妙な言い回しだ。先ほどからまるでオペラ鑑賞でもしている観客のような振る舞いに見えて、思わず眉を顰めてしまう。
「ね、知らないストーリーを観るには、予備知識も必要でしょ」
 稲穂がにこりとした笑みを顔に張りつかせ、ぽんと佑樹の肩に手を乗せてくる。なんとなくいちるが帰れと言った意味が分かった気がして、今更ながら後悔の念が押し寄せてきた。
「さぁ、なにを観たの?」
 佑樹が喋るまで解放してくれそうになく、仕方がなく気がついたことを言うことにした。
「え、えっと、蘭さんがあまり好きじゃないって言っていた蜂蜜の瓶がワゴンに載っていまして。いつも俺とのアフタヌーンティーの時にはなかったので、すぐ違いに気がついたんです。あ、あの、それだけです」
 つまらないと言われるかと思っていたが、なぜか稲穂は嬉しそうに目を輝かせた。肩に置かれていた手が、子供をあやすように優しく撫でる手つきに変わる。
「素晴らしいわ。よく気がついたわね」
 その後で稲穂がきゃっきゃっと子供のように笑い声を立てて、佑樹の顔をじっと覗いてきた。
「いいこと教えてあげましょう」
 笑っていたかと思えば、すっと笑顔を引かせて真顔になると佑樹の側にずいっと寄ってくる。その表情の変化に戸惑っていると、稲穂が秘密を教えるように耳元で囁いてきた。
「あの蜂蜜には危険なものが入っているんです」
 その後、彼女は密やかな笑みを浮かべて佑樹の耳にふうっと息を吹きかける。
「わぁっ!」
 佑樹は生暖かな吐息にびくりと肩を竦ませて、稲穂から一歩後ずさった。そうすると稲穂は先ほどのようにくすくすと笑っていて、目に溜まる涙を細い指先で拭う。
「き、危険ではないと思いますよ。あれは、漢方が入っているって聞きましたから」
「漢方? まぁ、そんな風におっしゃっていたの? あの女性も可哀想だわ。いいえ、効能を知らない家朝様も騙されているのね」
「失礼ですが、言っている意味がよく分かりません」
「私はずっと観てきたのです。だから、あの蜂蜜がいかに危険なものか分かるんです。あれは思考を鈍らせる一方で、媚薬が混ぜられているのですわ」
「い、いや、そんなことは」
「あら、疑うのですか? この症状のことをある方に言えば、そういう薬が混ぜられているって教えてくれましたもの」
「その、誰が教えてくれたのでしょうか?」
「貴族の今川義鷹様ですわ」
 稲穂はふふっと笑みを浮かべ、手に持っていたオペラグラスを覗いて庭を眺め始める。衝撃を受けた佑樹はバルコニーの手摺を掴み、よろけそうになった身体を支えた。
 まさかここで義鷹の名前が出てくるとは思わず、目眩を起こしそうになる。稲穂の勝手な想像ならまだしも、義鷹が蘭の症状を聞いてそう答えたとしたら不思議と信じてしまう。
 まさか、とは思いつつも佑樹自身も違和感を覚えたのは事実だ。
 よく考えると佑樹がいる時あの蜂蜜はワゴンに載せられていない。それは出し忘れていたのではなく、意図的に出されていなかったとなると話は変わってくる。
 でも、一体なんのために……?
「どうして家朝様はそんなことをしているのだろう……」
 心で思っていたことがつい口を突いて出てしまった。すると稲穂がオペラグラスから顔を離して、不愉快そうに顔を顰める。
「家朝様はご存知ないのですわ。これは、あの下虜の女性の本性を曝け出すために、家朝様に仕えている誰かが仕組んだものですの」
「か、下虜……」
 稲穂の口からその言葉が出ると、蘭はやはり下虜の身分で間違いないようだ。
「あ、分かりましたわ。あの蜂蜜はあなたが献上したのでしょう?」
「え、俺がですか? どうしてそんなことをする意味が……」
「とぼけなくていいですわ。あの蜂蜜で淫らに変貌する彼女の姿を家朝様に見せて、覇王の相手に相応しくないと教えているのでしょう?」
「い、いえ、俺はそのようなことは……それに、その、家朝様はその姿を見て嫌がっているのでしょうか……」
 佑樹が挨拶に行った時に蘭との淫らな行為を見せつけてきたのは家朝のように思える。あれは嫌がると言うより、どちらかと言えば随分と乗り気な感じに見えた。  
「これは試練ですの。それを家朝様は私に課してきているんです」
「は、はあ……」
 ますます彼女の言っていることが分からない。曖昧に返事をすると、稲穂はまた秘密めいた目で佑樹を見つめ、声を高らかにして叫ぶ。
「この物語での主人公は私! 幸せに別邸で暮らしていたけれど、幕が変わってしまうと新しい女が出てきてしまったという場面に突入したのですわ。だけど、私から家朝様を奪おうとする女の正体は色気で迫る悪い人なの。それに気がついて、やはり私が花嫁に相応しいという結末を迎えるのです。だから、私は今じっと耐えているの。いいえ、あの女性が淫らであればあるほど、好ましいことはないわ!」
 彼女の逸脱した考えに賛同が出来ず、それどころか佑樹はどこか恐怖めいたものを感じていた。彼女は家朝を慕うあまりに、きちんと現実を見据えられていないようだ。
「だから私はあなたに感謝してますの。佑樹さんは私を応援して、協力してくれる方なんですもの」
「え、いえ、だから、俺は蜂蜜をあげたわけでもないし、そういうのじゃなく……」
「あら、謙遜しなくていいですわ。義鷹様もおっしゃっていましたもの。新しい協力者はあなただって」
 それには言葉を詰まらせてしまう。徳川家に懇意にしている義鷹ならこの家の出入りも難しくはないだろうけど、まさか稲穂にまで近づいていたとは。しかし稲穂はなにやら狂信的というか、情緒不安定に思える。こんな状態の彼女にまで協力を頼んで家朝から蘭を引き離そうというのだろうか。
いや、彼は解放という言葉を使っていたが。なんとなく、みんな正常な状態ではないように思えて、急激な不安に陥る。
やはり義鷹の話は断ろうと思っていた時、稲穂が絶妙なタイミングで佑樹の気持ちを揺さ振ってきた。
「ほら、あなたのお義兄様も協力者でしょう? あの下虜の女性に恋焦がれているようですものね。佑樹さんはお義兄様とあの女性を逃がすために来たの知っているんですよ」
「――え? あ、あの、今なんて……」
 ここでまさか政春の話が出てくるとは思わず、顔を強張らせて稲穂を凝視する。稲穂は少女のようにふふっと無邪気な笑みを浮かべて目を細めた。
「だ・か・ら、伊達政春様のことです。佑樹さんがこれからも協力すると言ってくだされば、お義兄様がどこにいるか教えてあげますよ」
「あ、いや、えっと……」
 一度にたくさんの情報が出てきてしまい、なにから聞いていいか分からなくなる。
 言い淀んでいると、稲穂が眉を顰めながら華奢な手首を持ち上げて腕時計を確認する。
「あら、お話が弾んでしまいこんな時間。アフタヌーンティーが終わってしまいましたわ」
 残念そうに声のトーンを落とし、オペラグラスを覗いて本宅の庭を覗く。家朝の帰る姿でも確認しているのだろうかと、真剣に見ている稲穂の横顔を見つめた。
「おい、もう部屋に戻れば」
 バルコニーにいちるが現れ、佑樹に促してきた。そこで我に返り、佑樹は腕時計に目を落とす。見ればかれこれ稲穂と一時間ほども喋っていたことに気づき、慌ててバルコニーから出た。
「佑樹さん、またお待ちしていますわ」
 帰り際に稲穂がこちらに身体をねじり、にまりと口元を歪める。それに返答が出来ず、佑樹は逃げるようにして部屋を立ち去った。



 




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