河畔に咲く鮮花  

     

 狂う日常A佑樹編

 
  
 家朝が公務で忙しくて蘭の相手が出来ない時は、別邸に滞在している佑樹がすることになった。
 佑樹も仕事といっても、こちらに出店しているチェーン店のカフェを見回りして至らぬことがあれば指導するといったものだった。そんなの少しの時間があれば見られることだし、今日も朝の内に回ってしまい一息ついたところだ。
 別邸には稲穂とその親友のいちるが住んでいるらしいが、彼女たちはどこかに出かけているようでまだ挨拶を交わしていない。それに別邸といっても、城のように広い敷地のために、なかなか出会うこともなかった。
 滞在期間中に挨拶しなければと思いつつも、昼の三時頃に催される蘭とのアフタヌーンティーに心惹かれていた。
 あのことがあった後では顔を見合わせるのも気恥ずかしかったけど、相手も気にしていない素振りをするのでこちらもそういう対応を試みた。
 だからすぐにでもあの時の行為のことは薄らいでいくものだと思っていたのだが。
 佑樹は自分の意思がどれほど薄弱なのか思い知らされる。今日の蘭は白い肌に似合う、デコルテ部分が浅く開いているピンクベージュのワンピースを着ている。
 正面に座るだけでも緊張してしまい、情けなくも上手く話が出来なかった。
「へぇ、カフェですか。どんなお店なんですか」
 蘭が大きな瞳をきらきらと輝かせながら、佑樹の仕事について聞いてくる。女性慣れをしていない佑樹は当たり障りのない話でなんとかこの場を繋いでいた。
「え、えっと、今手掛けているのは若い人向けのお店で」
 そんなことを上辺では話ながらも、彼女のことをちらちらと盗み見する。一見は清楚で可憐な出で立ちなのだが、どこか人を惹きつける抗えない魅力があった。
 なんて言うのだろう。覇者の娘と言えばそうなのだろうけど、楚々としながらも凛と鮮やかに咲き誇る花のような。
 そう。隠しても隠しきれない匂い立つ艶やかさが彼女からは滲み出ている。
 それにころころと表情が変わるのも新鮮で、他の覇者の娘のように嘘めいた笑顔を貼りつけないところにも好感がもてる。心から喜んでいる笑みには、なにやら胸を打つものがあった。
 きっと彼女は素直で純粋なのだ。まるで少女のように無垢で愛らしいのに、あの行為の時は悩ましいほどエロティックだ。彼女を前にしながらどうしてもそれを思い出してしまうと、淫らな想像に没頭してしまう。
 可憐に笑顔を浮かべている表情を自分の手でいやらしく乱したい。艶やかな髪に手を差し込んで、貪るほどあの可愛らしい唇にキスをしてみたい。
 その服の下に隠れている胸に手を這わせ、飽きるほど蕾をしゃぶりたかった。そして、あの丸く白い膝を割り広げ、己の欲望をぶちこみたい。
「――さん? 佑樹さん?」
「え? あ、ああ、すみません。ぼうっとしてまして」
「いいえ、慣れないこともあって疲れているんだと思います。私の相手なんてさせてすみません」
「え……」
 あまりの衝撃に言葉を失ってしまった。仮にも覇王の婚約者が自分より格下の男のことを気遣い、謝罪するなんて。
「あ、紅茶のおかわりしますか?」
 佑樹がなにも言わないので、彼女なりに空気を変えてくれたらしい。彼女に気を遣わせるなんてなにをやっているのだろうか。
「あれ? 今日はいつもの蜂蜜がないな」
 蘭が首を傾げてワゴンの上に並ぶ蜂蜜の瓶を見つめている。
「え、えっと、俺が徳山執事に聞いてきましょうか」
 ようやくのところで言葉を発し、立ち上がろうとしたところ彼女に押しとどめられた。
「そんなの悪いのでいいです」
「いや、でも……」
 まさかそんな風に言ってくれるとは思わず、戸惑ってしまう。やはり行こうかどうしようか迷っていたところ、蘭が身を乗り出してきて声を潜めてくる。
「ここだけの話ですよ? あの蜂蜜はとも君が用意してくれるから断りづらいんですけど、あれを飲むと頭がぼうっとしてしまって、あまり好みじゃないんです。内緒ですよ」
 お茶目に片目を瞑ってくる仕草もたまらないほど愛くるしかった。彼女の可憐な顔が近づいてきたことに胸がどきどきとし、思わず目を逸してしまう。
「え、えっと、蜂蜜でぼうっとするんですか?」
 自分が動揺していることを気づかれたくなくて、本当はどうでもいいことを聞いてみた。
「うーん。私もよく分からないんですけど、漢方が混ぜられている高級品みたいなんです。その作用が私には効きすぎているみたいで」
 さすが覇王の用意する蜂蜜だと思ったけれど、どこか引っかかりを覚えた。漢方というと目が冴えるとか、やる気が出るとか、健康に良いもののはずなのに頭がぼうっとするとは。
「それを飲むと気分が安らいで眠くなるのですか?」
 副交換神経を促して、安眠効果があるのではないかと聞いてみる。
「気だるくはなりますが、身体は火照る感じで、思考が鈍るというか」
 うーん、と首を傾げる仕草よりも蘭の発した単語に堪らず反応してしまう。身体が火照ると聞いてしまうと、またいやらしい想像が頭の中をもやもやと駆け巡る。
 彼女の薄く開いた唇や、白いデコルテ、くびれた腰を舐めるように見てしまい、勝手に下半身の中心が疼いてしまう。
 ああ、駄目だ。彼女を想像し自慰なんてもうしないと決めたのに。
 それでも、蘭とアフタヌーンティーをした後は部屋に引きこもり、自慰に耽る日々を過ごしていた。今日こそはしない、と考えながらも次第に悶々とした欲望が強まっていく。
 本当なら、無防備な彼女を襲ってしまいたい。
 だけど覇王の婚約者に手を出す度胸なんてこれっぽっちもなかった。家朝も、佑樹がこのような性格だと見抜いているからこそ、蘭の相手をさせるのだ。
 下半身が張り詰めてきたのに気づいて、気を逸らすためにわざと腕時計を見た。
「す、すみません。俺、店に行くのを思い出しました」
 これ以上ここにいると、テーブルの下で扱いてしまいそうだ。そんなことをしたら、本当に変態の称号を与えられてしまう。わざとらしく話を切り上げてみたが、彼女はこちらの考えなど一切気づいていないようだった。
「ごめんなさい、長々と付き合わせてしまって」
 眉を下げて謝ってくる彼女に申し訳なさが募っていく。男の欲望を吐き出すために席を外そうとする自分が少しばかり情けなくなった。
「で、ではまた、空いた時間にお伺いしますね」
 なんとかむくむくと勃ち上がったモノを落ち着かせ、弾けるように立ち上がる。見送ってくれる蘭に何度もお辞儀を繰り返し、甘やかな花の香りがする庭園を去った。
 早々に部屋に戻りたい。彼女の姿を目に焼き付けたまま、耽っていたい。
 気持ちは急いているのだが、別邸に戻るには一度本宅を出てから裏道へと回らなければならなかった。本宅と別邸とでは中で繋がっていないし、こちらに入るにも徳山の許可がないと立ち入れない。
 だけど覇王と婚約者が住んでいるのだから、これぐらい厳重にしなければならないだろう。それに納得しながら、警備が見張る本宅の豪奢な門扉をくぐり出た。
 そして裏道に入るべく角を曲がったところ、佑樹はそこにいる男を目にして足を止めてしまった。
 陽が当たっているのに、壁に背を預けている長身の男にだけはどこか暗い影を落としている。それでもさらりとなびく艶やかな長髪に、目を伏せていても十分に男の色気を放っている麗しき美男に同性であろうとも目を奪われた。
「あなたが伊達佑樹様ですか」
 しっとりとした落ち着いた声音と共に美しい瞳が流れてきて、佑樹の瞳とかち合う。ゆっくりと壁から背を離す仕草さえ優雅で、こちらに身体を向ける動作一つを取っても全てにおいて完璧に洗練されていた。
いくら世情に疎い佑樹でさえ、この気品漂う花のような美男のことは知っている。
「はじめまして。私は今川義鷹と申します」
 たおやかに微笑みを漏らす中、冷然とした氷のような眼差しを向けられるとすうっと肝が冷えた。
「あ、あ、はじめまして。伊達佑樹です」
 彼の漂わせる空気にすっかりと飲まれてしまい、声が上擦ってしまった。巷の噂では聞いていたけど、これほどまでに強烈なオーラを放つ貴族はいないだろう。義鷹の怖さを肌で感じ取ると、嫌な汗が背中をじっくりと濡らした。
「そんなに警戒なさらないでください。少しだけ話をしたいのです」
 黒い洋服に身を包む彼は、ともすれば俳優と見間違うほどの容貌だ。自分は覇者の位だというのに、格下の貴族の男になにもかも負けている気になってしまう。
「で、でも、俺に用事って……」
 男の格の違いを見せつけられた気がして、一緒に立っているのも気が引ける。話なんて嫌な予感しかせず、不安ばかりが膨らんでいく。
「なにも取って食いはしませんよ。そんなに怯えないでください」
「ど、どういう用件ですか」
 自分より下の位だと言うのに、彼の顔を窺うような聞き方をしてしまった。義鷹から見れば、佑樹なんてびくびくとしている小動物にしか見えていないのだろう。それぐらいにしか思っていないはずなのに、ふいに眉を下げて神妙な顔をする。
 まるで助けて欲しいと言わんばかりの表情で。
「ええ、実はとも様の婚約者に関することなのです」
「えっ……」
 蘭に関することと言われ、思い切り食いついてしまった。その反応を見て取った義鷹は、流麗な瞳を細め、身を寄せるほど近づいてくる。
「実は、ここだけの話ですけど彼女は下虜なのです」
 耳元で潜められた言葉に、佑樹は凍りつく。なにを言っているか分からず、その場に立ち尽くした。
 下虜? 蘭さんが? 
 いきなりそんなことを言われても思考が追いつかず、言葉を失ったまま目を彷徨わせる。
 それでも義鷹がくだらない冗談を言うとも思えず、聞いてはいけない禁忌を知った気がしてごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、あの、」
「下虜である蘭は覇王の花嫁に相応しくないと思いませんか」
 佑樹の言葉をあっさりと遮られ、義鷹が憂いを含んだ口調で語りかけてくる。考えはまとまっていないけれど、その中で彼が彼女のことを「蘭」と呼び捨てにしたことだけが鮮明に脳裏に刻みこまれた。
 どうやら義鷹は蘭のことを以前から知っている口ぶりである。どういう仲なのか気になるところもあったが、彼は徳川家と懇意にしている貴族だ。昔からの古い付き合いだから彼女のことを知っていても不思議ではない。
 ああ、でも……。
 本多稲穂が家朝の花嫁候補であったはずで、蘭のことは名前すらも出生の一つも今まで知らなかった。それを考えると蘭は最近家朝の前に現れたと過程が成り立つのであって、そうなると義鷹が知っているのもおかしいのでは?
 分からない。一体なにがなんだか、分からない。本当はそういうデリケートな部分を深く掘り下げてはいけないのだが。
 自分の知らない蘭のことをもっと知りたくなって、その場から逃げずにいた。
「え、えっと、本当に蘭さんは下虜なんですか。それにしては、テーブルマナーや仕草など目につくところはありませんでしたが」
「ええ、まぁそうでしょうね」
 義鷹の含みある言い方に、胸にきりきりとした痛みが走る。彼女のことを何でも知っているような口ぶりにどうしてかムッとしてしまった。
「だけど、本当にそうなのです。彼女が身売りされていたところ、それを救ったのは私ですからね」
「え――」
 また彼から紡がれる新たな事実に衝撃を受けずにはいられない。
今川義鷹が彼女を助けた? 噂では冷酷な男と言われているのに。
目の前で対峙している男は、その美しい顔に氷の微笑を浮かべる。その凄みのある笑みに背筋が凍りつきそうになった。こんな恐ろしい男が下虜を助けるはずがない。
嘘だ、と突きつけたかったのに緊張で喉がからからになり声が出なかった。これから伊達家を背負っていくには、こんな弱気では駄目なのに。
「話は逸れてしまいましたが、ともかく協力できませんか」
「き、協力?」
 なんだか勝手に話が進んでしまい、断るという雰囲気にすらさせてもらえない。
「とも様には正統な相手に、本多稲穂様がいいと思うのです」
「そ、それは……」
 思いがけずその名前が出てきてしまい、ぐっと怯んでしまう。義鷹の言うことはなに一つ間違ってはいない。覇王の花嫁たる相手には、由緒正しき娘が良いだろう。
 だけど、勝手にそんなことを裏で話をしていていいのだろうか。
「なにも蘭が憎いわけではありません。ですが、彼女には覇王の花嫁など荷が重いことでしょう。可哀想に」
「可哀想……?」
「ええ、そうでしょう。覇王相手に側にいろと言われたら断れるはずもない。彼女は権力に縛られて、外にも出られないんですよ」
「そんな、馬鹿な」
「本当のことです。彼女は囚われた蝶なのですよ」
 普通は鳥かごの鳥、と言う言い方が適切だと思うのに、蘭を思い出すとなぜかそれがしっくりときた。あのむせかえるような濃い花の匂いを放つ庭園で振り返る彼女は、まさしく美しくも艶やかな蝶のようで。その花蜜に誘われ、全てを吸い付くそうとしている人物に家朝の顔が思い浮かんだ。
「稲穂様が花嫁になれば、全ては正しい方向に進むのです。そう思われませんか?」
 疑問を投げかけるというより、それは確信を持った言い方だった。その言葉がじわじわと胸の内に染み込んでくる。
「だ、だけど、そうなると、蘭さんは……?」
「自由になりますよ。全ての縛りから解放されてね」
「自由……」
 覇王の婚約者としての縛りから解放されれば、蘭はどこに行こうとも、誰のものになろうとも構わないのだ。そうなると、自分にもチャンスが回ってくるのだろうか。
 いけない想像をしてしまい、唇を噛みしめる。
「今、蘭に近づけるあなたには協力して欲しいのです。家朝様のために、蘭のために」
 惑う心にするりと滑り込んでくる言葉は、あまりにも甘い悪魔のような囁きだった。それでもまだ義鷹の甘言に乗る度胸もなく、すぐには返事が出来ない。
「いいんですよ。ゆっくりと考えてください。また、連絡してもいいでしょうか」
 義鷹が携帯電話をポケットから出してきて、自分の連絡先を教えろと促す。佑樹はなぜか断れないまま彼に連絡先を教えてしまった。
「もちろん、とも様には内緒ですよ?」
 義鷹はしーっと繊細な指を唇に当てて、悪魔のように微笑む。連絡先を教えた時点で、義鷹に協力する意思があるとみなされているだろう。もちろんこんな恐ろしい計画を家朝に言えるはずもなく、携帯電話を持ったまま小刻みに指先を震わせる。
「ではまた近いうちに」
 ふわりと貴族然とした優美な微笑みを浮かべ、佑樹の前から悠々と去っていく。その後ろ姿を見ていると激しい後悔が襲ってきて、どうしたらいいのか分からずその場でいつまでも立ち尽くしていた。


 




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