河畔に咲く鮮花  

     
 
 支配欲と衝動

 ともが蘭を庇って怪我をしてしまい、少しでも彼の役に立とうと蘭は毎日手伝いや看護をしていた。手伝いといっても書類を整理したり、仕舞ったり彼に渡すぐらいのものだが、それでも邪魔扱いされず嬉しそうにしてくれるのでほっとしている。
 仕事が終わると一緒に夕飯を食べるのだが、いつもリードしてくれるともがこの時ばかりは年下の男性として甘えてくる。特に洋食はナイフとフォークを使用するので両手が使えない。なので、蘭が肉や野菜を切り分けてともの口に入れてあげる、というのが日課になっていた。
 そういう日が一週間ほど過ぎた頃、ともからある提案をされる。どうしても背中が流せないから、お風呂を手伝って欲しいと言われてしまった。
 そんな申し出は出来ないと本来は断るところだ。それでも、彼が困った顔をして怪我に苦しんでいるのを見たら了承してしまう。
 婚約者だもの。背中を流すぐらい変じゃないよね……。
 先に入っているともを追いかけるように、浴室に足を運んだ。
「は、入るね」
 一声かけると、中から返事が返ってくる。彼の了承を得て、恐る恐る浴室へと入った。
「わっ……」
 湯気がもうもうと立ち、一瞬中の様子が見えなかった。それでも徐々に視界がよくなり、浴室が一望できる。
 壁とタイルは白を基調としたもので、バスタブは陶器という豪奢な造りだ。
そのバスタブのカランは金色をあしらった洒落たデザインで、それを支える脚は四つとも猫脚となっていた。壁に取り付けられたシャワーの蛇口も黄金となっていて、全体的に洋風造りのバスルームになっている。
バスタブから長い手足が伸びていて、ともが視線だけをちらりとこちらに向けた。髪の襟足が湯に浸かり、濡れている様はいつもと違って気だるい雰囲気を醸しだしている。
青く憂う瞳が流れるようにじっと見つめてくると、心臓がどくりと騒いだ。
 いつもきっちりと服を着こなし、なにをするにも隙がないほどスマートな姿からは想像が出来ないほど、今は色気を放っている。
「来てくれたんだ、ありがとう」
 ともがにこりと笑みを浮かべ、バスタブからゆっくりと立ち上がった。蘭は慌てて視線を逸すと、もじもじと指先を動かせる。
「ああ、タオルを巻くから」
 くすり、と彼が笑ってバスチェアに腰を下ろした。彼の用意が整ったところで蘭は視線を戻して背中のすぐ後ろにしゃがんだ。それをドレッサー鏡で見たともが、棚に置いてある瓶を蘭に渡す。
「これは?」
「アロマオイルだよ。背中が洗えなくて汚れているから、まずはそれを塗ってくれない?」
「う、うん。分かった」
 汚れている、と言っても彼の滑らかな肌は染み一つないほど美しい。それでも気になっているのならしてあげるべきだろう。瓶からオイルを取り出して、てのひらに垂らしてみる。
 思ったよりたくさん出てしまい、タイルにぽとりと垂れてしまった。
「じゃあ、塗るね」
「うん。疲れているから、マッサージするように塗り込んでくれたら嬉しい」
 甘ったるい香りのするオイルを彼の背中に塗る。その粘ついた感触に驚いたのか、ともがぴくりと背を震わせた。
 背中一面にオイルを垂らして、少し強めにマッサージするように塗り込む。背中だけでなく肩、腕まで塗っていく。三角巾は取れたものの、左腕には痛々しいほど包帯がぐるぐると巻かれていた。
「こっちは塗らないでおくね」
 怪我をしている左腕を避けて、右腕にオイルを塗りこんで筋肉を解すように揉んだ。また背中に戻り両手で塗り込んでいると、彼が半分だけ身体をねじらせ蘭の片手を掴んだ。そのままともは身体の前に手を持っていき、そこで自分から手を離す。
「背中だけでなくて、前もお願いできるかな」
「え、あ、うん」
 蘭はオイルで濡れた手を彼のお腹に置いたままゆっくりと塗り込んでいく。それまであまり意識していなかったけれど、とものしっとりとした瑞々しい肌に胸がどきどきとした。
 服の上からは気づいていなかったが、ほどよく筋肉の乗った胸に、引き締まって割れた腹、水を弾く肌の全てがしなやかな雄の獣のように見えてしまい、鼓動が速くなる。
「もっとゆっくり」
 気恥ずかしさが襲ってきて雑になってしまったようだ。もう一度塗り込もうとしたけど、緊張してぎこちない動きになってしまう。すると正面からともの手が重なり、わざと自分の肉体美を見せつけるように筋肉の一つ一つをなぞらせていく。
「どうしたの、蘭?」
「な、なんでもない……」  
彼の身体を舐め回すように撫でているだけでも意識してしまうのに、オイルで重なった手がぬるぬると絡み合うのも相まって、奇妙な感覚が湧いてくる。すると、ともの五指がぬるりと蘭の指の間を撫で上げてきて、その粘つく感触に肩を跳ねさせてしまった。
それが指の間だけでとどまらず、手の甲、手首へ昇ってきて、時間をかけた悩ましげな動きで触られると、胸が異常なほど早鐘を打つ。
「と、とも君……っ」
「ごめん、蘭にばかりしてもらっているからお返ししようと思って」
 ドレッサー鏡越しにともが悪戯っぽくばちりとウインクをしてきた。同時にすっと手を離され、解放される。
「ありがとう、シャワーで流すから離れていて」
 あっさりと終わってしまい、なぜか残念だと思ってしまう。手に残る粘つく感触の余韻に浸りながらぼんやりとしていたら。
「きゃっ!」
 水飛沫が顔にかかり、熱が一瞬で冷めて現実に意識が戻る。
「ごめん、シャワーの勢いがよすぎて」
「ううん、私がぼんやりしていて離れていなかったから」
 蘭はさっと立ち上がると、まだ勢いよく出ているシャワーから離れようとした。だけどすぐに手首を掴まれ、くるりと身体を反転させられる。
 気がついた時は、シャワー蛇口がついている壁に背をつけている格好になり、全身に水がかかってしまう。
「どうしてぼんやりしていたの?」
 ともが近づいてきて、濡れた前髪をくしゃりと掻き上げる。甘いオイルの香りが鼻孔をくすぐってきて、脳がじんと痺れてくる。オイルで弾かれる水が筋肉の筋をなめらかに滑り落ちていく様に、冷えていた身体が熱を持って再燃し始めた。
「ねぇ、蘭。教えて。どうしてぼんやりしていたの?」
 繊細な金色の髪が濡れて首筋に張り付くのも、艶やかなまつ毛が水を弾いていくのも、その全てに色香が漂い妖しい魅力を醸し出す。逃げようとしても、ともが壁に手をついて蘭の逃げ道を塞いでしまう。
「そ、その……」
 見下ろしてくる彼の青い瞳に強い欲求を感じ取ってしまい、激しく動揺してしまった。いつもと違ったともの表情にどぎまぎしていたら、彼の手が頬に張りつく髪をそっと撫で払う。そのまま耳にかけられ、彼の長いまつ毛が顔の側まで近づいてきた。
「蘭、僕に癒やしをちょうだい」
 ほとんど吐息のかかる距離で囁かれると、身じろぎ出来ずに瞳だけを動かして彼を見上げる。青い瞳が熱を帯びたように蕩けていて、彼が強烈になにかを求めているのが分かった。
「癒やしって? わ、私になにか出来ることなら」
 なんとなく甘い予感を感じながらもぎこちなく返事をしてみると、ともの片手が下ろされていた蘭の手に緩く絡んできた。ぬるり、とぬめりを帯びたオイルの感触に背筋がぞくりと震える。
「キス、していい?」
 決定的なことを言われた気がして、瞠目してしまう。いつもなら意思とは関係なく奪われていた蘭にとって、こういう時はどうしたらいいのか戸惑いを覚える。
 視線を一瞬逸らすと彼の左腕に巻かれた包帯が目に入り、ちくりと胸が痛んだ。
 惑うように視線を動かしていると、繋がれた手が一層強く絡み合ってくる。
 どうしてだろう。この手に繋がれていると、逃げられないような気がするのは。彼はこんなにも優しく、キスをしていいとまで聞いてくれる気遣いを持っているのに、なぜか怖いと感じてしまう。
「わ、私……」
「ねぇ、お願い。それが僕にとって最高のご褒美なんだ」
 視線を戻すと、縋るように見つめてくる青い瞳と絡み合った。
 いつも穏やかな彼の瞳の中に、どこか悲哀の色が混じる。それは長い間待ち望み果たされていない願望を今、全身で叶えたいと言ったような切実な熱だった。
 どうして、そんな瞳を……?
 けれどもすぐ答えにたどり着く。彼は行方不明になっていた蘭を諦めずにずっと探してくれていた。再会を果たした時は、彼は蘭が見ているのも関わらず涙を流して泣いた。
 それは見る者の目を奪わずにはいられないほど純粋に綺麗で。
 そんな彼が求めているなら、少しでも役に立てるなら――と。
「う、うん……」
 憂い、もの悲しい寂しげな瞳が傷ついているようで、拒絶することができなかった。頷く蘭を見たともは悲しい表情を一変させ、心の底から嬉しそうな花のような笑顔を浮かべて。
「蘭……」
 蕩けるような甘い声音で囁きが落とされると、彼のもう片方の手が頬に伸ばされた。するりと指の腹で撫でられたかと思えば、彼が蘭の顔を覗き込むように角度をつける。
 青い瞳が間近に迫ってくると、唇に軽くキスを落とされた。どこか触れるのを怖がっているような、蘭の様子を窺うようなキス。
 それでも蘭が拒絶することなくじっと見つめていれば、ほっとしたような顔をしてもう一度唇を重ね合わせられた。
 水に濡れて冷たくなった彼の唇がひんやりとした食感を持って何度も押しつけられる。シャワーが降り注ぎ、呼吸をしようと唇を開くと、やんわりと弾力のある舌が忍び込んできた。同時に水が唇の中に入り込み、彼の熱い滴りと共に喉の奥に流される。
「んぅ……」
「ああ、蘭……やっぱり素敵だよ」
 ともは感慨深く漏らすと、角度を変えて何度も蘭に口づける。舌が探るように口腔の粘膜や歯列をなぞり、舌先を突いてきた。
 キスが徐々に大胆になり、身じろいだ蘭を押さえ込むと執拗に舌を絡ませてくる。
「んっ……とも君……苦しいっ……」
「逃げないで、お願いだから」
 懇願するように囁いてくると、一層キスが深くなった。それはまるで離れていた時間を取り戻そうとするかのような口づけで。
 握られていた手が肩まで持ち上げられ、壁に身体を縫い止められると彼の華やかな顔が離れる。シャワーを浴び、全身ずぶ濡れになっているともはあまりに扇情的で、蘭の鼓動はどくどくと速まっていく。
 彼の視線が蘭の唇、首筋、鎖骨をなぞるように滑り落ち、胸のところにまで来るとぴたりと止まった。その瞳の奥に隠された炎のちらつきを見てしまい、水を浴びているというのに胸の頂きがじんと熱く痺れる。
「と、とも君……」
 じっくりと犯すような視線に耐えられなくなって、彼の名前を呼んだ。だけどそれは「見ないで」と窘めるような言い方ではなくて、鼻にかかる甘い声になってしまい、彼の欲情を掻き立ててしまう。
「蘭、キスで感じたの?」
 シャワーの音と混じり、なにかとても官能的なことを言われた気がした。彼の視線の先をたどり、その意味が分かってしまうと身体がかっと火照る。
 ブラウスが水に濡れて張りつき、下着がくっきりと見えていた。それだけでなく、薄い布で覆われているだけの下着の中心はぷっくりと勃ち上がっている。
「ち、違うの……これは水に濡れて寒くて……」
 恥ずかしくて言い訳するけれど、それがいけなかったようだ。ともが目を細めると、顔を胸の高さまで落とす。
「そう、ごめんね。冷えたなら暖めてあげるよ」
 情欲に掠れた声で呟き、肉感的な唇が下着越しに口づけられる。たったそれだけで身体にぼっと火が灯り、立っていられないほどの衝撃に見舞われた。
「あ……んぅ」
 優しく胸の尖りを啄まれ、ぞくぞくとした寒気が背中を駆け走る。ちゅっ、ちゅっと軽く口づけられ、その粘りを帯びた音が水と混じり、その淫靡な雰囲気に目眩を覚える。
「まだ、冷えているね」
 ともがたまらないと言った風に溜息を漏らすと、唇を薄く開き胸の頂きを咥え込んできた。下着に染み込んだ水も一緒に飲むように、蕾をきつく吸い上げられる。尖りを唇に咥えられたままちゅうっと強いほど吸われると、膝ががくがくと震え、とうとうタイルの上にしゃがみ込んでしまった。
「はっ……ふっ……」
 身体が火照り、荒々しい呼吸を繰り返してしまう。自分の胸を腕で隠し、呼吸を整えているとふと影に包まれる。立ったまま覗き込むともを見上げようと視線を巡らせば、ある場所に目がいき、はっと息を呑む。タオルを巻いている彼の下半身の中心が隆起し、張り詰めていた。しかも水に濡れてタオルが張りついているため、うっすらと雄の形を浮き上がらせている。
 恐る恐る彼の顔を仰げば、熱情を孕んだ瞳を向けられ思考が目まぐるしく乱れた。
「ごめんね、少し驚かせたかな」
 蛇口をひねり、ようやくシャワーを止めてくれる。ともがしゃがみ込み、もう一度蘭にキスをするとようやく解放してくれた。
「僕はもう出るから、蘭はお風呂に入って身体を温めてね」
 愛おしげに彼の手が蘭の髪を撫でて、バスルームを出ていく。一人残された蘭は、まだ熱っぽい身体をかき抱き、しばらくの間その場でじっとしていた。



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